脱走悪役令嬢には、処刑人として雇われた追手騎士に溺愛されるルートが待っていました

2,アバロンの死神

白銀の鎧を纏った騎士が、その冷たい鎧の上から赤いマントを羽織った。

女の足ではそう遠くまでは逃げられないだろう。

騎士は、先刻処刑するよう命ぜられた罪人のことを思いながら、愛馬である白い馬の顔をそっと撫でた。



「逃げなきゃ…!できるだけ遠くまでっ…」



もうあまり上がらなくなってしまっていた足が(もつ)れて、転がっていた少し大きめ石につまずいて倒れ込んだ。

膝から血が滲む。

「痛い…」

ホントになんでこんなことに…
自分のワンルームの部屋にいたはずなのに。

ふかふかのベッドの中で目覚めるはずだったのに、こんな山道を裸足で走っている。
泣いている暇などないと分かっているのに、勝手に涙が込み上げてくる。

処刑になどされたくない!
罪を犯したのは“私”ではないのに!

「…逃げないと………」

そう小さく呟いて、よろよろと立ち上がった。
もはや走っているとは言えない足取りで、また進み出した。
足を一歩踏み出すたびに、刺すような痛みが走る。

ドレスも泥まみれだし、運良く逃げ延びることができたとして、その先はどうやって生きていけばいいのか…

つい弱気な考えが浮かんできてしまう。

ふと耳を澄ますと、自分の足音に重なって馬の蹄の音が近付いてくることに気付いた。
ぎくりと心臓が跳ねた。
それが何を意味するのか分かっていたからだ。

ついに死神が放たれたのだ。

足を引き摺りながら歩を進めるが、蹄の音は次第に大きくなり、ついにはすぐ真後ろまで迫っていた。
背中に強大な気配を感じて、振り返ることもできない。

馬のスピードが急に上がり、その影が真横に移った。

マズいっ………!!!

そう思った瞬間、白く大きな馬が眼前に飛び出した。

「キャッ…!!」

悲鳴を上げて腰から倒れ込むと、下半身が泥の中に浸かった。
そればかりか、全身を支えようと地面につけた両の手も泥の中に沈んでしまい、かろうじて裾だけの汚れで済んでいたドレスも、もはや見るも無惨に全身が泥まみれになってしまった。

その前で白馬が前足を振り上げ、(たてがみ)を振り乱し、けたたましく(いなな)いた。
その上にどっしりと跨がっている騎士の白銀の鎧が、月明かりに照らされて鈍く光った。

兜の隙間から覗く青い瞳が、馬上からこちらを冷たく見下ろしている。

彼が、冷酷無慈悲と呼ばれるアバロン王国最強の騎士で処刑人。

アバロンの死神ー…

死神が巨大な剣を鞘から抜き、振りかざした。
ぎらりとその剣先が光った瞬間、ナタリーはぎゅっと目を瞑った。

やっぱり処刑されるルートしかないんじゃん!

しかし剣が振り下ろされた気配を感じたが、痛みも死んだ感覚もない。

「えっ…?」

そっと目を開けると、その剣先はナタリーの首ではなく、足元に繁って絡み合っている蔦を切っていた。

「女を斬る趣味はない」

低く、でも澄んだ声が頭上から降ってきた。

「えっ…で、でもっ…あなたは追手では…?処刑は…?!」

「いいから、早く手を出せ」

そう言って、手の先まで鎧で覆われた腕が差し出された。
わけが分からないまま困惑していると、騎士の苛立った声が響いた。

「早くしろ!」

咄嗟に手を差し出すと、グイっと強い力で引き寄せられ、そのまま抱き上げられた。
騎士の前にトサっと横座りにされてから、騎士が手綱を引いた。



白馬は月明かりの中で、悠然と歩みを進めていく。

一体、これはどういう状況…?

アバロンの死神と一緒に馬に乗っている。
処刑されるわけでもなく、どこかに放置されるでもない。

「あの…これって、一体私はどういう状況にいるのでしょう…?」

「………」

騎士は黙ったまま何も答えない。

「処刑は?私を殺さなくてはいけないのでは…?」

恐る恐る聞くと、青い瞳がギロリとこちらを睨んだ。

「…そんなに処刑されたいのか?」

「そんなわけありません!その処刑から逃げ出してきたんですから…」

「だったら、黙っていろ」

こんな意味不明な状況で、黙っていろですって?!

ナタリーは騎士の手からすり抜け、馬から飛び降りた。
スピードは出ていなかったが、うまく着地できずにそのまま落ちて二回ほど転げて止まった。

「ちょっ…何をやってる?!死にたいのか!!?」

汚れたドレスをパンパンとはたきながら立ち上がった。

「目的が分からないことほど、恐ろしいことはないでしょ?!あなたが逆の立場ならどう思う?!」

「………」

ぽかんと騎士は呆れたような目線を向けている。
この世界では、騎士に対して女がこのような口利きをすることなどないのだろう。

「私をどこに連れていこうとしてるの?私をどうするつもり?!」

その不安と恐怖に満ちていながら、でもどこか諦めと覚悟を決めた強い眼差しに騎士は驚いていた。

噂に違わず、強気だな。
脱走しようとなどと一人で企てるのだから、余程肝が据わっているに違いないとは分かっていたが。
そもそも国王の子息を手玉にしようとした時点で、普通ではないのだ。

「お前を殺すつもりはないから、安心しろ」

騎士はそう告げながら、また手を差し出した。
ナタリーはおずおずとその手を取ると、ぐっと軽々しくまた馬上に引き上げられた。

「じゃあどこに…」

騎士の前にまた座らせられながら、口を開く。

「この国でお前が生き延びることはもうできない」

「でしょうね。だから、じゃあどこに連れて行こうとしてるわけ?!」

この世界の女がどうであろうがなどお構いなしに、ナタリーは思わず苛立って叫んだ。

「お前を他国へ逃がす」

馬上でそうとだけ告げて、騎士はまた前に向き直った。

「はぁ?!」

なぜ、処刑人であるはずの死神が私を逃がすなどと口にしているのか、皆目検討もつかない。

「母国にでも帰してくれるの?!」

騎士が一瞬ちらりとこちらを見下ろしては、また目線を戻した。

「…お前の処刑が母国に伝えられることはないだろう」

「えっ?!何で?!」

聡明なはずのナタリーの素っ頓狂な声に、些か怪訝な視線を一瞬下に向けたが、騎士はまた前に向き直った。

「同盟のために妃候補として来ていた娘を、妃として迎え入れなかったばかりか、あらぬ疑いを掛けて処刑したとなれば、お前の母国も黙ってはいまい」

「た、確かに…」

「そうなれば戦になる可能性もある。お前がいた頃の東国は、弱小国家で我がアバロンとの同盟、もしくは支配下にでもあらなければ生き延びることすら難しかった」

白馬の蹄の音が静かに響いている。

「お前がどこまでの情報を得ているかは知らんが、この数年で東国は北のレイノスと協定を結び、急激な飛躍を見せている」

「そうだったんだ…」

騎士は自分の前に座している、自分よりも遥かに小さな頭を見下ろした。

「知らされていなかったんだな…」

「………」

知らされていないというより、この物語の主軸はあくまでアーロンとシャーロットの恋物語。

処刑ルートしかない悪役令嬢の身の上話なんて、どこにも書いてはいなかった。

「今や強国の一途を辿りつつある東国勢力と剣を交えるのは、どこの国にとっても得策ではないだろう。強国アバロンとて、無駄な争いを招きたくはないはずだ。しかし貿易が盛んで流通に長けた隣国は必ず手に入れたい」

ナタリーは、ハッとして騎士を見上げた。
青い瞳と目が合った。

「そうだ。ナタリーを陥れ、秘密裏に処刑さえすれば、何の気兼ねなくシャーロットを正妻として迎え入れる手筈を整えられるというわけだ」

「なんてヒドいことを…。ナタリーは母国のためにアーロンと結ばれようと必死だったんじゃないの?!なのに、それを利用して処刑にするなんて!」

「いや、必死だったかどうかは知らんが………というより、自分のことなのに、まるで他人事のような言い草だな」

騎士が不思議そうに眉を歪ませた。

「え?あ、そうかな?」

しまった、ついつい…。

ヘラヘラと笑って誤魔化す。
いつの間にか、死神への恐怖心が薄れて、平然と会話をする自分に、ナタリーは内心驚いていた。

「まぁ母国には、ナタリーは病に倒れ亡くなったために手厚く葬ったとでも伝えれば、東国はそれ以上不穏な動きはしてこないだろう。うまくいけば、今後不安因子になりつつある東国を引き込めるかもしれないからな」

「なるほどね」

「しかし、それでは不条理だろう?」

「不条理?」

「それではナタリーは、ただの…」

そこまで言いかけて、騎士は口をつぐんだ。

「ただの不幸な悪役令嬢ね」

「悪役…??」

「あ、いや、それはこちらの話。で、アバロンの死神は気まぐれに私を生かしてくれたってことね」

「…気まぐれではないがな」

「え?」

ぼそりと呟いた騎士の声が聞き取れずに首を(かし)げたが、騎士が再度言い直すことはなかった。

「これから隣国、シャーロットの母国である西側ではなく、南側に位置する隣国へお前を逃がす」

黙って、騎士を見据えた。

「本来なら母国である東国に帰してやるべきなのだろうが、そうなれば恐らく戦禍は免れない。お前の母国もアバロンも、無傷では済まされない可能性がある」

騎士に鋭い眼光が一瞬宿ったのを、ナタリーは見逃さなかった。

「そうなれば、あなたも先陣を切って、私の母国と戦うことになるんでしょうね…」

「そうだな。俺は強いから死ぬことはないが、できることならお前をこれ以上不幸にはしたくない」

騎士がほんの少しだけ寂しげにそう答えた。

アバロンの死神が、私を不幸にしたくないだなんて…
何で、こんなにも死神はナタリーを助けようとしているのかしら?

もちろん原作にそんな記述はない。

「アバロンと南国とはあまり親交はないから、身分さえ明かさなければ静かに暮らせるだろう。豊かで争いを好まない平和主義の中立国だからな」

「あなたは…?」

「お前を南国まで連れて行ったあとは、アバロンの城へ急ぎ戻り、お前の処刑報告をする」

「遺体がないのに、国王は納得する?それに、遺体がないと祖国にも怪しまれない?」

「国王の側近どもが、東国へは病が蔓延するといけないから、ナタリーは火葬したとでもうまく言うだろう」

「でも国王は、あなたを怪しんだりしない?」

「そこはうまくやるから問題はない。俺を誰だと思っている?ただその代わり、この先絶対に一生アバロンに姿は現すな。それが条件だ」

「分かった…」

そうとだけ呟いて、ナタリーは前を見据えた。

死神がなぜナタリーを生かそうとするのかは分からない。
だけどアバロンの死神は、周りが思っているより、ずっと優しい人間なのかもしれない。

ナタリーは密かにそう思った。
彼の本当の強さと恐ろしさを、目の当たりにするまでは…。
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