隠したがりの傷心にゃんこは冷徹上司に拾われて
 *

 母がいた。それを、幼い私が見ている。

 私はなぜか、それを遠い所から見ていた。

 夕暮れ時の台所で、母は幼い私に背を向けトントンと軽快に包丁を動かす。
 鼻歌を唄ったりしながら、随分とご機嫌な母の様子に、幼い私は舌打ちをした。

「瑠依、そういうのは女の子のするもんじゃありません!」

 祖母の声がして振り向く。
 怖い顔をした祖母が、幼い私を睨んでいた。

「女とか男とか関係ない! 嫌だよ、ばあちゃん家なんか古臭くて」

「じゃあ出ていきな!」

 怒られて、幼い私は家を飛び出した。
 ふわふわと幼い私を追いかけながら、思い出す。

 急な引越が嫌だった。
 シングルマザーとして一人で頑張ると母は言っていた。
 しかし、母は結局どうにもできずに自分の親に甘えた。
 私のことを考えない、弱い母にひたすらにイライラした。

 幼い私は、いつの間にか家に帰っていた。
 玄関を入ると、息を飲む。
 変わり果てた母の姿が、そこにあった。
 それに蹴りを入れて、幼い私はまた家を飛び出す。

 悪夢だ。早く覚めて。
 そう思うのに、一度思い出してしまった母の亡骸が脳裏にこびりつく。

 幼い私は、どこからかカッターを取り出した。泣きながら、けれどためらうことなく、左腕を傷付けていく。

 不意に幼い私の腕を、誰かが掴んだ。

「そんな風に自分傷付けたって、死ねね―だろ、バカ」

 ――誰?

 記憶の中の彼の顔は曖昧で、幼い私の手を掴む彼の顔はぼやけていて分からない。

「死にてーと思わなくなるくらい、強くなれ」 

 その声色が、とても懐かしくて。
 心地よくて、大好きだったことを思い出す。

 ――強くなる。強くならなきゃ。

 心の中でそう思うと、彼が優しく微笑んだ気がした。

 *

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