イケメンシェフの溺愛レシピ
店内の少し重いドアを開けると、笹井マネージャーがすぐに笑顔を向けた。

「いらっしゃいませ。」
「来週の番組の件で石崎シェフにご用がありまして」
「お話を伺っております。奥の席をご用意させていただきましたので、こちらへどうぞ」
「すみません」

すみません、と言う言葉が綾乃の口からつい出てしまったのは、他でもない自分の恰好についてだ。
いくら仕事の都合とはいえ、ディナータイムの真っただ中にこの格好で訪れたのは、やはりまずい気がしていた。

笹井マネージャーに案内されながら周囲の客を少し見渡すと、男性も女性も、みなオシャレをしている。派手でなくても、シンプルで上品なファッションの人が多い。

パンツスタイルでも、もうちょっときれいめな恰好をしてくればよかったと思いながら、ふと見た女性のファッションに目を留める。ベージュのワイドパンツに黒のノースリーブブラウス。手首、首元にゴールドのアクセサリーが光る。シンプルで動きやすそうだけどきれい。かっこいいけど女らしい。
そう、こういう感じ。と思って女性の耳元のピアスに視線を向けたとたん、その横顔を見て気づく。

「…!」

園部真理子さん。

「いかがなさいましたか」

思わず足を止めてしまった綾乃に笹井マネージャーが声をかける。

「いえ、あの。奥の席じゃなくて、裏のミーティングルームとかどこかで待たせてもらえませんか。仕事の話なので、他のお客さんに聞かれちゃうとよくないですし。私もこんな格好で席に座っているとお店の雰囲気を壊しちゃいますから」

綾乃が申し訳なさそうに言うと、オーナーシェフからの指示と綾乃の気持ちに板挟みと言う状況になった笹井さんは少し困ったような顔をした。

「ひとまず、こちらへ」

綾乃の気持ちを汲んでスタッフルームへ案内しようとすると、綾乃に気づいた哲也が厨房から顔を出した。

「すぐに行くから席で待っていて欲しい」

オーナーシェフが登場したところで笹井さんは、すっと離れて自分の持ち場に戻って行った。
厨房入り口の通路で邪魔にならないように少しだけ客席から隠れるように端に寄って、綾乃は言った。

「今日は仕事の用事だし、こんな格好で客席にいたら周囲のお客さんに迷惑だわ。」
「うちはドレスコードがない店だからジーンズでも問題ないよ」
「でも」

いくらドレスコードがない店でも、ちょっと特別な気持ちで話題のシェフの人気店を訪れる人たちも多い。そういう人たちの特別な気持ちを壊したくない気持ちもあった。
何より、こんな醜い感情を持ったまま客席にいるのが申し訳なかった。
みんな幸せな気持ちで、元気をもらいたくてコン・ブリオに来ているのに。
< 10 / 55 >

この作品をシェア

pagetop