イケメンシェフの溺愛レシピ
「Benvenuta!」

イタリア語でようこそ、の意味だ。哲也のおかげで覚えた言葉の一つだった。

「早速アリガトー」
「いえ、放送日まで時間も限られているので」

言いながら、綾乃は早速パソコンやカメラを設置し始める。
この日はプレオープンで営業をしていたとのことだが、すでに店内に客はいない。スタッフたちは静かに片付けを進めており、閉店間際という感じだった。

「すぐに終わらせますから。」
「Nessun problema」

わからないイタリア語。言葉のニュアンス的に、問題ないとか、大丈夫とかそういう感じだろう。いくらフラヴィオが日本語をそれなりに操れるとはいえ、ふと、哲也がいたらと考えてしまう。どんなに気楽だっただろうと思ってしまう。
でもそんなのは甘えだ。今までだって綾乃一人で乗り越えてきた場面は多くあったし、たまたま今回の件に哲也が絡んでくれているというだけだ。

「限定メニューを撮らせていただけます?」
「Va bene」

ドウゾ、と言いつつジェスチャーで綾乃を案内する。昨夜から寝不足が続いていた綾乃には一つ一つの動作がだるい。早いほうがいいと思って取材に来てみたものの、やはり後日のほうがよかっただろうか。そんな考えが頭をよぎる。それと同時にここ数日の寝不足で頭は少しぼんやりとしている。
心配そうに綾乃を見たフラヴィオに、綾乃は笑顔を見せた。大丈夫、大丈夫、と言って。

やがて料理を運んできたフラヴィオはイタリア語で限定メニューの説明を始める。青じそやみょうが等、日本独特の食材を使った料理たち。これぞまさに日本の夏限定のイタリアン、ということだろうか。どこか哲也の料理のテイストに通じるものもある。後で哲也に翻訳してもらおう。端的にまとめてもらえるといいのだが、と長いフラヴィオの説明を録画しながら綾乃の頭はフル回転していた。

一通りの料理を撮り終えるとふと疲れた顔をフラヴィオに見つかった綾乃はごめんね、と言って笑顔を見せた。
すると次の瞬間、フラヴィオは綾乃の口にフォークに巻き付けたパスタを入れた。
びっくりして目を丸くする綾乃に彼はよくわからないイタリア語を言った後、アジミ、と言った。

味見をさせてくれたのだ。
それにしてもちょっと強引じゃないかと思いつつ、おいしい料理につい笑ってしまった。

同時に、たった一口でも頭のもやが取れた感じがした。こんな一瞬で頭に栄養が行くはずはないのだが、食べるという行為の偉大さを感じてしまう。
爽やかな青じそのパスタのせいだろうか。すーっと新しい空気が全身に入っていく感じがする。
いずれにせよ、フラヴィオの料理は、やはり多くの人に愛されるだけの理由があると思った。

「もう一口食べてもいい?」
「全部ドーゾ!」

食いしん坊の素が出てしまってつい綾乃はそう言ってしまったが、もう料理は撮り終えているし、彼は彼で、撮影に使い終えた料理を喜んで食べてもらえることが嬉しそうだった。
その笑顔に、やっぱり哲也と同門の人なのだと感じさせられる。自分がイケメンだとかイタリア料理界の新星だとか言われるよりも、料理を喜んで食べてもらう瞬間が一番嬉しそうにする。
料理とともに、この魅力を当日も視聴者の人たちに届けたいものだ、と綾乃はしみじみ思いながら料理を食べる。

「ドウゾ」

そう言って差し出されたのは白ワイン。よく冷えているようでグラスはうっすらと曇っている。

「さすがに。仕事中だし」

大丈夫、と言わんばかりにフラヴィオもグラスを傾けて、カンパイ、と笑った。

「合う?」
「うん、合う。おいしい」
「コッチも」

そう言ってフラヴィオはメインのトスカーナ牛に合うと言って赤ワインも出してくれた。さすがに図々しすぎると思って綾乃は、遠慮しようとするが、閉店後の店内に気を遣う存在はない。フラヴィオの大丈夫の言葉は、なんだか本当に大丈夫な感じがした。
まあ、もう撮り終えているし、料理の味を知っておくことも大切だし。食べながらもう少しフラヴィオの話を聞かせてもらうのもいいだろう。そんな風に綾乃は自分を納得させる。

「じゃあ、少しだけ。」

そう言ってまた乾杯の仕草をすると、フラヴィオはにっこりと笑った。その笑顔に、深い意味はなかった、と綾乃は思う。
イタリア人の見せる陽気な笑顔。仕事相手に向ける親しい微笑み。それだけだと、思った。
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