弊社の副社長に口説かれています



嫌なことはすっかり忘れ帰宅した。15畳のワンルームだ、カーテンを引いた玄関の真正面の壁に沿って置いたベッドの近くに鞄を置いてから手を洗うために玄関脇にある洗面所へ向かう。まずは食事の支度かと思い手を洗い終えてそこを出ると、空気が震えているのが判った、スマートフォンの着信だ。慌てて鞄を開けそれを手にした時、画面に出ている名前にぞくりとした。『Diana』は史絵瑠(シエル)のアカウントである、ついに連絡が来たのだ。

着信はスタンプがいくつか来たことを示していた、どうしようと悩む、すぐに既読をつけるのは勇気がいった。戸惑う間にすぐ次にメッセージが来たのがポップアップに出る、電話していい?と書かれていた、直接話をしたいのだろう。

(──どうしよう、断りたい──!)

なにか理由をつけてメッセージを送ろうとパスコードを入れようとした時、それはなんとも陽気な音で着信を知らせる。
いいかと聞いてきてその返事も待たずにか、とわずかに嫌な気持ちになった。できれば無視したい──いや、むしろさっさと終わらせてしまおう──陽葵は通話ボタンを押した。

『お姉ちゃん!』

途端に明るい声がした、陽葵は「はい」としか答えられない。

『ねえ、お姉ちゃんって一人暮らしだよね? 今どこに住んでるの?』

いきなりそんな質問かと半ばあきれた。

「ん……首都圏、だけど……」

かなり広く答えたが、史絵瑠はふうんと言って次の質問を投げかける。

『普通のマンション? 広いの? 社員寮とかじゃないよね?』

なぜそんなことを……不審に思い、相づち程度の返事しかしなかったが。

『あのさ、お姉ちゃんちに、私も一緒に住むこと、できないかな』

その言葉はとても小さく弱々しかった。

「え?」
『お姉ちゃん、私……』

消えてしまいそうな声に陽葵は耳を傾けてしまった、気を引くためにわざと間を開けたことも気づかずに。

『私ね、パパに、ずっと性的虐待を、受けているの』
「え!?」

大きな声になったのを慌てて口を手で覆い隠す、誰に聞かれるわけでもないのだが。

『ねえ……もうやなの……助けて……欲しい……』

父の京助が史絵瑠に性的虐待を──そんな馬鹿なと思いつつ、一瞬にして過去を振り返っていた。

(父がそんなことするわけ──でも心当たりはある──父は史絵瑠をよく膝に乗せてかわいがっていた、もう小学生の史絵瑠を……! 膝に乗せて何をしていた? ううん、私からはただ座らせていただけのように見えたけれど……!)

『お姉ちゃんは、されたことないの?』
「ないよ! 別に変な触られ方をした覚えも……!」

頭を撫でたり背中や肩に触れたことはあるが、いたって普通の行為で性的なものは何も感じなかった。

(まさか──父と史絵瑠は血のつながりはない、そして子供の私が見ても史絵瑠はかわいかった、それで父のタガが外れてそんなことを……? でも、義理でも親子となったのに──!)

『そっか、いいな……私も最初はパパに撫でられて嬉しいくらいに思ってた……キスされたり舐められたりするようになって、おかしいって思ったんだけど、ずっと言い出せなくて……処女を奪われたのは小学4年生の終わりだよ、お姉ちゃんが寮に入るために家を出て行って、すぐ』

(嘘……!)

こみ上げてくる吐き気を手で押さえて堪えた。

(まさか私が九州まで行かされたのは、そのためだと!?)

『それからはずっと、毎日パパとエッチしてる、本当だよ。パパは史絵瑠は特別なんだ、大好きだよって言うんだけど、そんなの間違ってるって判ってる。断っても、今更何をって笑っておしまい。逃げられないの、逃がしてくれないの』

嘘だ、そんな馬鹿なという考えばかりが脳内を駆け巡った。

「お義母さんは? 助けてくれないの?」

一番近くにいる身内だ、京助は他人だが、継母の新奈とは実の母なのだ、よき理解者ではないのか──史絵瑠は大きなため息を吐いた。

『ママは助けてなんかくれない──私とパパがエッチしてるの、いつも見てるんだよ』

更なる告白は、言葉の意味が理解できないほどの衝撃だった。

『お酒飲みながら、演技でももっと気持ちよさそうな顔しなさいよって笑ってる……動画撮る時もある、そんな画像は売りさばいてるみたい、それだけじゃない、もっと色っぽいポーズしろって写真まで……たくさんの人が私の裸を知ってるわ。それだけじゃない、自分たちのエッチを見てろって言うの、見られてると興奮するんだって。パパも元気だよね、私とのエッチが終わってもママとするんだから』

わなわなと体が震えだした。なんてことだと怒鳴りたい、父はいつからそんな人間になってしまったのか──!

『──もう本当にこんな生活、嫌なの。限界だと思って家を出ようとしたけど、そうしたら10万円仕送りしろって言われたの、今まで育ててやったお礼をしろって……今も、生活費として5万円入れてる、それだけでも大変なのに、10万なんて』

史絵瑠なら今はアルバイトだろう、月々の給料などたかが知れている、5万円だって学生の身では大金だ。既に会社員をしている陽葵にだって10万円はきつい。

『出て行くなんて言ったけど一人暮らしはちょっと怖いし、家賃も安くないよね。ずっと悩んでた時に、お姉ちゃんに会えた……! お姉ちゃんと一緒に住めたらいいなって思った、家賃とか光熱費とか折半できたらありがたいもん……ねえ、お姉ちゃん、助けて欲しい』

義理とはいえ妹が困っている──手を差し伸べなくてはと思うが、自身も子供の頃にされた仕打ちが心の奥底まで深く刻み込まれている。鬼の形相で叩く両親と、それを見てせせら笑う史絵瑠。そして早々に家から追い出され無関心を貫かれた──素直に、すぐに、助けるね、という言葉は発すことができなかった。
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