愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~

ピアノの音がする。
柔らかな、そよ風のような音。
心地の良さにずっと聞いていたくてもぞりと枕に顔を埋めていたが、段々意識が浮上する。
ガバッと起き上がって、その音が近くからしていることに気付いた。
そっとベッドルームを出て、ピアノのあるリビングルームを廊下から覗き込む。
そこにはピアノを弾いているレンがいた。

服はカジュアルだし、髪の毛も下ろしたまま。
伏し目がちな目は長いまつげで青い瞳に影を作っている。
『氷の貴公子』なんて呼ばれているけれど、私にはそうは思えない。
よく笑って意地悪で、ピアノを心から愛している人。
ピアノに向かう彼は本当に気品ある王子様が弾いているよう思えて、私は絵画から飛び出したかのような光景を現実感無く見つめていた。

「いつまで俺を見ているつもりだ?」

ピアノがピタリと止まりレンの顔が上がる。
ぱちっと目が合い、私は申し訳ない気持ちで一歩リビングルームに入った。

「練習邪魔してごめんね」
「謝るのは日本人の悪い癖だと言ったが?」
「悪いと思ったときは謝るものだよ」

レンは苦笑いして手招きする。
私が側に行くと腰に手を回して引っ張り、膝の上に乗せた。

「重いから下ろして!」
「ピアノは聞こえていたか?」
「うん」

抗議は聞き入れられず腰にはがっちり手が回ったまま。
レンは不満そうな私のおでこにキスをした。

「聞こえていて何を感じた?」
「うーん、最初は夢の中かと思ったの。
ふわふわした、柔らかなそよ風のような音かな。
気持ちよくて寝ていようかと思ったけど、あれ?と思って起きた。
レンがピアノ弾いているとこ、見たかったし」
「楽友協会で見ただろ?」
「そういうのじゃなくて!」

もっと側で、特別に見たかった。
それをわかっているのか、レンは目を細めて私の頬を撫でる。
私の頭や頬を撫でるのがレンは好きなのだろうか。

「楓の髪の毛はサラサラしているし、肌はきめ細やかで美しい。
ずっと触りたくなるんだよ」

また見抜かれて私は複雑な顔をした。

「これからいくらでも楓のためだけに弾いてやるから」
「ファンに聞かれたら殺されそうな言葉」
「別に良いだろう、俺だって甘いプライベートを過ごしても」

そんなことをレンが言うけれど、きっと今までの女の子にも似たようなことを言ったのだろう。

「言っておくが、こんな歯の浮くような言葉を言ったのは楓が初めてだからな」
「レンってピアニストじゃなくて超能力者か何かなの?」

真顔で聞くと、レンは声を上げて楽しげに笑う。
この表情に弱いのだ。
今日本で発売されている雑誌に載っているレンを見た人は、冷たい、ストイック等々イメージを持っている。
だけど本当は、こんなにも子供のように笑う人。
これを特別というのなら、他に見せたくは無いと思う。

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