愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~


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トラムの終点で降りたのは、ワイン畑の広がるウィーンの森と呼ばれる場所。
中心地からさほど離れていないこの丘陵地帯は、ワイン用のブドウが栽培されている。
オーストリアはドイツに負けず劣らずビールが好きだが、ワインも負けていない。
ただ生産量は少なくほぼ自国で消費してしまうのため、ある意味貴重だ。
それこそ『ホイリゲ』というワイン居酒屋は多くあり、特にウィーンの森にはワイン農家直営の店が並ぶ。
観光客も多く、ホイリゲには大抵アコーディオンやヴァイオリンなどを弾く音楽家達が客の席を練り歩く。
音楽と食事と酒と。
外は暗いがレトロなライトが石垣に飾られ、淡い明かりが道を照らす。
歩いていると色々なホイリゲからは賑やかな声が夜の通りに聞こえ、私はワクワクしてしまう。

「ここだ」

レンが連れて来たのはトラムを降りて少し歩いたお店。
門を入るとすぐに広い庭。
上にブドウのツタと電飾が広がるホイリゲだ。
庭にある多くのテラス席では男性も女性も、それこそ子供も一緒に食事をしていた。

私がキョロキョロしているうちに手を引っ張られ、席に座らされる。
薄茶色の木で出来たテーブル、椅子は長椅子なのだが木で出来ていて重い。
私の前にレンが座ると、髪を後ろでまとめたそばかすの女性が笑顔でやってきた。

「Ren!」

嬉しそうにレンの名前を呼んだ後、二人はドイツ語で話し出し私には全くわからない。
なんだか女性の目は、レンをただの客を見ているって感じには見えない。
あなたが好きです!という気持ちを一切隠していないようにみえて、私はカルチャーショックのようなものを受けていた。

「楓」
「へ」
「へ、じゃない。
ワインは白でいいか?
ウィンナー・シュニッツェル以外は何が食べたい?」
「えっと、よくわからないから任せて良い?」
「わかった」

いつの間にか考え込んでいたらしく、レンに話しかけられているのも気付かなかった。
作り笑いで返すと、レンの目が鋭くなってビクッとする。
店の女性が手を振って離れると、レンが私をじっと見た。

「もしかしてワインよりビールの方が良かったのか?」
「え?」
「上の空じゃ無いか。
日本人の悪いところだ、嫌なら嫌、好きなものは好きだと言えば良い」
「ごめん、単にホイリゲへ来られたことに不思議な気持ちになってて」

レンはじっと私を伺うように見ると、そうか、とホッとしたような顔になった。
気を遣ってくれていたのに、私が上の空だったから心配したんだ。
この人はとても優しい人だというのを失礼ながら忘れていた。
だから彼の外見だけじゃ無く、中身を知って余計にモテるのも当然だろう。
絶対無意識に多くの女性に優しくしていそうだ。
そう思うと無性に腹が立ってきた。
私に腹を立てる権利なんて何にも無いのに。

「どうした?」
「お腹減ったなーって。お腹が鳴りそうなくらい」
「それで上の空でイライラした感じなのか」

見抜かれていることに思わずウッとなる。
辺に鋭いな、この人。
それとも私がわかりやすいのか。

「楓はわかりやすい」

また見抜かれた。
テーブルに片肘をつき、手に頬を乗せてレンが私を見つめる。
この瞳に惑わされた女性はどれだけいるのだろう。
いや、彼女が今いるほうが普通だ。
というか、結婚してるとかその辺考えもしていなかった。

ワインとパン、山盛りのザワークラウトがどかんとテーブルに置かれた。
ワインはワイングラスではなくジョッキだ。
サイズは小さいが、ジョッキにワインが入っていることに目を丸くしていると、

「別にどこでもジョッキに入れるわけじゃ無い。
ただこのあたりのホイリゲは割とそうだな。
他では高さの低い独特なワイングラスで出すところもある。
それと、ワインが飲みやすいからって勢いよく飲むなよ?」
「そうなんだ、飲みやすいからこそジョッキなのかもね。楽しみ」

最後はしっかり注意される。
そして聞こうと思った事がまた流されそうになった。
とりあえず二人で乾杯し、ワインを飲む。
わ、辛口だけれど少し炭酸のようなのが入っていてシュワッとしてる。
確かにこれはあまりワインを飲まない私でもするする飲めそう。
注意されたように空腹で飲んだら一気に回りそうだ。

目の前でジョッキを持つ姿すら様になるレンに、言葉を選んで聞いてみた。

「ねぇ、遅くなってご家族心配しない?」
「家族?」
「うん、家族」

どうだ、これなら結婚しているかわかるはず!

「誰とも住んでないから問題ないが?」
「一人って事?」

慎重に尋ねると、どうやら私の意図に気付かれたらしい。
レンの口角が上がって、私は見抜かれたばつの悪さから頬が引きつる。

「今頃になって俺が独り身なのか心配になったのか」
「いや!レンが色々私を心配してくれるのはわかるよ?!
でもご家族がいたら、遅くまで帰らないのは心配するかなーなんて」
「安心しろ、恋人がいればいくら学生に見える楓でも夜まで一緒にはいない。
速攻帰らせる。
そもそも女一人の旅行客なんて心配だからな」
「なるほど・・・・・・」

どこからつっこめば良いかわからないが、レンとしては真面目に答えたようだ。
恋人がいてもある程度の時間なら面倒を見るが、それ以降は家に帰す。
とても素晴らしいけれど、この人、子供が出来たら口うるさくなりそう。
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