この世界に最後の花火を

雪に埋もれる私の体

外の木々たちは葉っぱが枯れ、身を包むものがなくて寒そうに見える今日この頃。

目を覚ますとあまりの寒さにベッドから立ち上がる気力を失う。ぬくぬくと温かいベッドにいつまでも潜り込んでいたい。ベッドから出ずに寝転がった状態で、頭の近くに置かれた携帯を手にし、彼へメッセージを送信する。

相変わらず彼との付き合いは順調。ついこの間は、私たちの県でも有数の水族館でデートをした。はしゃぐ私と落ち着いて見守る彼。側から見れば、兄弟のように見えなくもなかっただろう。

私たちと同様に水族館を訪れていた老夫婦には本当に兄弟と間違えられてしまい。少しだけ悲しかったが、その後に彼が慰めてくれた。正直人前で頭を撫でられたのは恥ずかしかったが、嬉しすぎて俯いてしまったのを思い出す。

付き合っている期間はそれほど、長くはないがどの日々を取っても私にとっては大切な思い出たち。

携帯に保存されている二人で撮った写真の数々を眺める。どれも最高にいい笑顔をしている私たち。中には彼の顔に虫が止まって、追い払っている最中に撮られたブレブレの写真もある。

『おはよう、今日も寒いけど外めっちゃ綺麗だよ』

写真を眺めている最中に彼からのメッセージが届く。

『お、今から見てみるね!』

彼に返信を済ませ、震える体を抑えつつベッドから這い出る。

カーテンを開けると、窓が凍りついたように真っ白で何も見えない。窓に落書きをしたい気分になり、指を窓に当て猫の絵を描いていく。

「全然猫に見えない・・・」

出来上がった絵は猫というよりも顔文字に近い無表情の絵だった。見るに耐えなくなり手のひらで窓を擦って消していく。真っ白で視界が遮られていた窓から外の景色がうっすらと伺える。

真っ白な美味しそうな雪が道路に降り積り、家の屋根や木にも雪が積もっている。風が吹くたびに積もっている雪がキラキラと煌めきながら宙を舞う。

寒いのは好きではないが、冬の落ち着いたこの他の季節にはないような凜とした空気感は好き。息を吸い込むだけで肺が綺麗な空気で満たされていく、あの感じがとても気持ちがいい。

「火花〜。起きてるの?」

下のリビングからだろうか。母が私を呼んでいる声が聞こえてくる。

「起きてるよ〜」

「朝食にするわよ」

どうやら朝ごはんの時間になっていたようだ。フローリングの床に足をつけるとひんやりとしていて冷たい。流石に足が寒いので、事前に靴下を履いてリビングへと向かう。

リビングに立ち込める温かいいい香りが私の鼻を刺激する。

「おはよう二人とも」

「おはよう火花」

「あぁ、おはよう」

いつもと変わらないはずの日常が少しずつ歪み始めてきている。先日病院に検診に行った際、先生からはもしかしたら春を迎えることはできないと告げられてしまった。

そのことを両親に告げると、泣くことはなかったが魂がどこかへ飛んで行っているような人形のようだった。次の日には何もなかったかのように接してくれた二人だったが、間違いなく無理をしているのがわかってしまう。

何年も共に過ごしてきた家族だからこそ、二人の顔に疲れが見えているのが...

二人が夜な夜な寝ずに何かを調べているのは、前から知っていたが最近はほぼ毎日なので、流石に体が心配。私の病気のために調べてくれているのだから、何もいうことは出来ないが自分の体は大切にしてほしい。

二人だってもうそんなに若くはないのだから。

席に座り母が作った朝食を食べる。母が作る手料理は、私はこの世界で一番好きだ。胸を張って美味しいと言えるくらい。

「火花、今度お母さんと買い物にでも行かない?」

「いいよ、行こう」

どうして母が今になって買い物に誘ってきたのか...いつ私が寝たきりの生活になってもおかしくはないから。だから最後に親子で歩きたいのだろう。

「火花・・・」

「何?お父さん」

「今度、火花の彼氏に会わせてほしいんだ」

「え!」

これには思わず驚いてしまった。お父さんの口から『会いたい』なんて言葉が聞けるとは思ってもいなかった。むしろ、娘を持つ父は娘の彼氏には会いたくないものだとばかり思っていた。

「ダメか?」

「ううん。むしろ、会ってほしいな」

「そうか、では時間がある時連れてきなさい」

「うん!ありがとう、お父さん」

「私は何もしてはいないさ。こちらこそ、ありがとな火花」

眼鏡をずらして目頭を指で抑える父の姿。見たところ涙らしきものは出ていないので、感傷に浸っているのかもしれない。

朝食をぺろっと食べ終え、顔を洗うために洗面所へと向かう。勢いよく水道から出てくる冬の冷え切った冷水。お湯にして顔を洗うのもいいが、私は冬でも冷水でしか顔を洗わない。

理由は単純。冷水のほうが目が覚めやすいから。難点としてはただただ冷たいので、冬は顔の感覚が少しの間バグってしまうことだ。

両手を合わせ手のひらに水を溜めていく。キンキンに冷えた冷水が、私の手の感覚を麻痺らせていくのに時間はかからなかった。

数秒にして指先の方から徐々に冷たいという感覚が失われていく。指は真っ赤に染まり、まるで熱いものにでも触ったかのよう。

手のひらに溜まった冷水を一気に私の顔面に浴びせる。

顔に当たった拍子に冷たさのあまり背筋がゾクっとしてしまう。朝ごはんを食べて目が覚めてきっていたが、これでより完全に瞼が開ききった。

目がシャキッとし、心なしか頭まで冴えてきた気がする。後者は気のせいだと思うが...

フワッともちもちするバスタオルで顔を撫でるように優しく当てる。ラベンダーの柔軟剤の匂いがふんわりと私の顔を包んでくれる。ラベンダー畑の真ん中で大の字で寝ている感覚。本物のラベンダー畑に行ったことはないけれど。

一連の流れで歯磨きもしてしまい、部屋に戻ってクローゼットの中でハンガーに吊られている制服を手に取る。この前着ていた夏服使用よりは幾分か生地が厚い。

制服を着て、その上から防寒着となるダウンを羽織る。黒くてモフモフしているシルエットを一目で気に入ってしまい、この前ネットでポチッと押してしまった。

ダウンジャケットに制服...最強の組み合わせの完成。自分の容姿に自信はないけれど、この組み合わせのスタイルだけは謎の自信が湧き出てくる。

玄関前の等身大の鏡でアホ毛や服装の乱れなどの最終チェックをして、ローファーを右足から履いていく。

去年の高校入学時に買ってもらったローファー。一年毎日履き続けたことで、汚れやすり減っているところがある。それも一つの思い出なのかもしれない。

両足を履き終え、玄関の扉に手をかける。ひんやりする金属部分が私の手の熱を伝導するかのように奪っていく。

「行ってくるね」

「気をつけて行ってきなさいね」

「うん!」

玄関が閉まり、雪が積もり地面に足を入れていく。一瞬にして私の足がズッポリと埋もれてしまうほどの積雪量。ローファーの隙間からじわじわと入り込んでくる雪たちが私の靴下を湿らせる。

まだ家を出て数分なのにもかかわらず、すっかりびしょびしょに濡れてしまった靴下。靴下が濡れた状態で気持ち悪くて仕方がない。それに、足の指先の感覚が冷たさのあまり失われつつある気がする。

幸いなことに空は晴れていたので、体が濡れることはない。雪が積もっていると普段とは道が違って見える。普段は見えているものが、雪で隠れてしまっているなんてことも全然あり得るのだ。

細心の注意を払いながら前に進む。足元より上の景色は見慣れているものばかりなのに、地面に何があったかまでは思い出せない。ここに縁石はあったのかと考えながら慎重に...慎重に。

「あっ!」

左足が何かにつっかえて体が前に傾いていく。注意していたはずなのに、足元を掬われてしまった。前に倒れてしまう怖さに思わず、目をぎゅっと瞑ってしまう。

痛みが私の体に伝わることはなく、ものすごい力で後ろに引っ張られていく私の体。手のあたりに誰かの温かな熱を感じる。

「火花! 怪我はない!?」

掴まれている手を辿るようにその人の顔へと目が追って動く。冬夜...

私の腰に彼の手が周り、次の瞬間腰をグイッと彼の方へと引き寄せられる。一気に私と彼の距離が縮まり、彼の顔が私の目と鼻の先。一瞬の出来事すぎて私は言葉を失ってしまう。

彼に助けられたことで怪我をしなくて済んだが、心のほうはどうやら大事故らしい。彼に腰を引き寄せられてから鼓動が鳴り止まないでいる。近さのあまり彼にこの鼓動音が聞こえていないか不安。

「と、冬夜のおかげで・・・怪我はないよ。ありがと・・・」

恥ずかしくてまともに彼の目を見ることができない。彼の荒い息遣いが私の前髪を軽く靡かせる。外の気温が低いせいか、彼の吐く息がほんのりと温かい。

「目の前で・・・火花が転びそうにな・・・ってたからめっちゃ走ったよ」

そんな少しの距離でここまで息が上がるだろうか。助けてもらったのに、秋に彼が倒れたこともあり不安がってしまう。

「そんな遠くから走ってきた・・・の?」

不審がられないように恐る恐る彼の様子を伺いながら尋ねる。

「え、もしかして僕がずっと走ってきたこと知ってるの?」

呼吸が落ち着いてきたのかいつも通りの話し方になる彼。ずっと走ってきたとはどういう意味だろうか。よくわからなくて曖昧に相槌を打つ。

「恥ずかしいな。火花の後ろ姿が見えたから後ろから走ってきたんだ。そしたら、転びそうになってるから、もうそこからは全速力だよ」

「えっ・・・そうだったんだ・・・」

「え、知ってたんじゃないの?もしかして・・・うわ、恥ずかしいじゃんか!もう言って損したよ」

「ごめんって〜」

「許さない!でも、火花が怪我しなくてよかった・・・」

そう言って彼は私の体を大きな手で抱きしめた。大きくて私の体を全て覆い尽くしてくれる彼の体。私の体と違って、どこもゴツゴツしていて柔らかい部分がほとんどない。見た目ではわからないガタイの良さが伝わってくる。

彼のことを少し誤解していたかもしれない。顔は綺麗に整っていて女子顔負けだけれど、体はしっかりと男の子の作りだった。これは私以外の女子は誰も知ることができない。私だけの最高の特権。

彼の引き締まった体を撫でるように私の両手も君の腰へと回していく。彼の体が私に密着していくのが、心地がいい。心臓の鼓動が明らかに先ほどよりも早くなっている。

まるで、一定のテンポを刻めなくなった壊れたメトロノームのよう。

「火花の心臓めっちゃドキドキしてるね」

ニヤッと悪い顔をして上から見下ろしてくる彼の顔。後ろから太陽の光が覆いかぶさっていて、神々しく見えてしまう。

「言わなくていいよ!」

「ははっ、ごめんって」

「冬夜こそどうなの?」

「そんなの言わなくてもわかるでしょ」

「言ってくれないとわかりませーん!」

「ずるいな〜。そりゃドキドキしてるに決まってるよ・・・」

私のことを抱きしめる彼の腕が強くなる。それに負けじと私も強く抱きしめるが、『かわいいな』と笑われてしまった。

「あらあら、若いね〜」

通りすがりの杖をついたおばあちゃんが、私たちを見て立ち止まっている。そうだった...私たちが今いるこの場所は、住宅街の道路だったんだ。

その声を聞いた瞬間恥ずかしさで頭がいっぱいになり、二人揃って抱き寄せていた体を離す。

「ご、ごめんなさい!」

恥ずかしさで気が動転していたのだろう。気づくと私は一人でその場から走り去っていた。あれほど、先生や両親から走ってはいけないと言われていたのに...

この時は動揺で心臓のことを考えてはいられなかったんだ。足元が雪で追い尽くされているため、走るたびに足が奥深く沈んで行って、思うように足を前に出せない。

走り慣れていない私の足は、鉄球が足に取り付けられているみたいに足が上がらない。雪がまた私の進行方向を妨げてしまう。呼吸をするたびに乾燥した冬の冷え切った冷気が肺を満たしていく。

気持ちがいい...走るってこんなにも気持ちがいいのか...走る...?

意識が正常に戻りつつあり、落ち着いて頭の中で考えを巡らす。私は今...走っているのか。気づいた時にはもうすでに手遅れだった。

口から吸い込む冬の冷気が肺を満たしていたはずなのに、肺は焼けるように熱く、胸はナイフに刺されたかのような痛みが私を貫く。

"グッ、ゲホッゲホ"

嗚咽音が辺りに鳴りわたる。やはり私には走ることは不可能だったのだと初めて思い知らされた。去年は走れていたのだと思うと悔しくて涙が出そうになる。

立っていることすらできずに、雪の中に膝をついて嗚咽してしまう。膝が雪に埋もれて冷たいはずが、何も感じない。息苦しさで何も感じられない。

深雪している白い絨毯の上に私の口から出た胃液や目から溢れ出た涙が沈んでいく。涙や胃液によって点々と穴の空いた白い雪の絨毯。

意識が遠ざかっていく。視界がぼんやりと歪み、今にもこの目の前の絨毯の上に倒れてしまいそう。

「火花!!!」

彼の雪を踏み締めて走ってくる音が聞こえる。彼はすぐそこにいる...はずなのになぜかものすごく遠い場所にいるような感覚に囚われる。私だけが暗い真っ暗な部屋に閉じ込められているようで薄気味悪い。

「どうしたの! 気持ち悪い?」

返事をしたくても声が思うように発することができない。『助けて』たったこの三文字を言うだけなのに、口をパクパクするのが限界。

そうしている間にも、私の意識だけはどんどんとどこかへ行ってしまいそうなのだけは、はっきりとわかってしまう。きっとここで倒れてしまったら、彼に私の秘密がバレる可能性は高い。

走っただけで倒れてしまうなんて、普通の人には考えられないことだから。知られるのが怖い...私のことを憐れむ、あの視線を大好きな彼にも向けられるのが怖いんだ。

「火花、救急車呼んだから!もう少しで・・・く・・」

"あぁどうやらダメみたいだ"

大好きな彼の声までもが消えかかって聞こえてしまう。意識はまだ諦めていないのに、私の体は限界を迎えているみたいだ。

「ひ・・・・・」

彼が私の顔を覗き込んでくる。必死の形相でいつもの彼とは別人のような顔つきだった。彼の顔を見たことで安心したのだろうか、私の意識はそこで途絶えてしまったんだ。

薄れゆく意識の中で彼が何かを叫んでいる声だけは、最後までずっと私の耳に残り続けた。

"ピッピッピッピッピッ"

一定のリズムを刻む電子音が私の耳に聞こえてくる。ゆっくりと瞼を開くと、真っ白な天井に蛍光灯がついているのが見える。それだけで私はここがどこだかわかってしまった。

ベッドの横に置いてあるベッドサイドランプが優しいオレンジの光を放っている。その光のおかげで私のベッドの横で寝ている人を認識できた。

「お母さん・・・」

私の手をぎゅっと握り締めたまま寝ている母親。いつから母の手はこんなにカサカサになってしまったのだろうか。昔はハリがあり、ふっくらとした柔らかさがあった手。

それがこんなにも乾燥して割れているのを見ると、母がいつもどれだけ家庭を支えているのかが見えてくる。毎日家事洗濯、料理と感謝してもしきれないくらいのことを母は毎日毎日繰り返している。

今日だって忙しかったはずなのに、私が倒れたから一日中ずっと側にいてくれたのだろう。嬉しい反面、両親二人に大きな負担をかけているのだと悲しくもなる。

「ごめんね・・・お母さん」

いつかはこうなるとは思っていたが、こんなに早く倒れてしまうとは...半分自分のせいでもあるけれど。

母の手をそっと離して、ベッドの上にゆっくり起こさないように手を置く。ベッドの下に常備されているスリッパを履いてベッドから抜け出す。

どうやらこの病室は私一人だけの病室らしい。周りを見ても、私の目に映るのは無駄に広い空間と月明かりが見える窓だけ。

カーテンに手をかけ、母を起こさないよう静かに開いていく。オレンジに灯るランプの光を消して、月明かりを病室に迎え入れる。

真っ白に光り輝く月の光が、薄暗い私の病室に光を灯していく。チラチラと降る雪と混ざり合っているのが、なんとも幻想的で美しい。

外に出て行きたい気分だったけれど、流石に出ることは許されないと思うので、静かに病室の窓からその景色を一人寂しく眺める。

テーブルの上に置いてあった携帯を手に取り、顔に近づけると液晶から光が発せられる。夥しい通知の数々。

多くの友達から心配の声が来ていることがわかる。日向と千紗に関しては、連絡の数が多すぎて嬉しくもなるが、そろそろ潮時かと思うと辛くもなってくる。

小さい頃から共に育ってきた二人がどんな顔で私を見つめてくるのか...仮に私が二人の立場だったら辛くて泣いてしまうだろう。

当たり前のように大人になって、これから先も支え合いながら人生を歩いていく親友がたった17年という短い人生で幕を下ろしてしまうなんて私には耐えられない。

ついつい自分で良かったなと思ってしまう。日向か千紗のどちらかだったら、私は当分前を向けそうにないから。二人にはそうはなって欲しくない。

だからこそ、そろそろ私も腹を括らないといけないんだ。いつまでも二人から、そして冬夜から逃げてはダメなんだ。

冬夜からのメッセージを開いてみると、彼からは心配の言葉と驚く一文が記されていた。返信することなく携帯を持つ手をぶら下げながら、再び月と向かい合う。

「ねぇ、冬夜もこの月を見てるの?今日も月・・・綺麗だね」

今夜は眠気が来るまでずっとこの月を眺めていようと心に決めたんだ。こんなに感傷的になっている今の私の気持ちを踏み躙りたくないから。

それに頭の中を一旦整理してから眠りにつきたかったんだ...

光る液晶に綴られた彼からの文字が、月明かりでよりに浮き上がっているように錯覚して見える。

『火花って、もしかしてもうすぐ命の火消えちゃうの?』

すぐさま光を失って消えていく彼からの文字。彼は気づいてしまったんだ...私がもうすぐこの世を去ってしまうことに。





























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