完璧からはほど遠い
 ドアを開け一歩外に踏み出したところで、大和が振り返った。私は一刻も早くドアを閉めてしまいたいが、彼の体が阻んでいる。まだ何かあるのか、と怪訝な顔で見上げた。

「いろんなところに行ったよな、一年」

 突然そんなことを言いだす。思い出話を初めて私の心を揺さぶる気だろうか?

「まあ、一年もあればね」

「あれよかったよな、紅葉」

「そうだね」

「今度遊園地に行こう、って言ってたのに実現できなかった」

「何が言いたいの? 寒いから早く閉めて」

 私は苛立ちからそう冷たく言った。

「懐かしんでるだけ。志乃と出かけたの楽しかったな、なんて」

「あの頃はね。もう過去の話だよ」

「そんな簡単に過去に出来る? 俺は思い出せば出すほど辛くなる」

「じゃあ思い出すのやめたら」

 大和はゆっくり外に足を踏み出した。私はドアを閉めようとドアノブに手を掛ける。が、最後に彼が一度振り返った。大和の足はドアが動くのを止めていた。

 そして彼は何も言わないまま、私の唇にキスを落としてきた。突然のことに、驚きつつも私は何もしなかった。

 彼がなぜ突然そんなことをしたのか心当たりがある。まだ仲良く付き合っている頃、私のアパートから帰るとき必ずこうしてキスして別れていた。あの頃は大和が帰るのが寂しくて名残惜しくてしょうがなく、最後のキスが愛しくも憎かったものだ。

 そっと大和の顔が離れる。私はその顔を、強い眼光で見つめ続けた。

「満足した?」

 こんなめちゃくちゃなキスに、あえて何もしないのが一番のような気がした。

 泣くより怒るより、もうあなたのキスは私の心を一ミリも動かす力がないのだと、無関心なのだと思い知らせたかった。どこかで、好きの反対は嫌いではなく、無関心だと聞いたことがある。

 もう昔の私とは違う。今自分の心を動かすのは、他の人間なのだから。

 大和は少しだけ眉をひそめた。そして落ち着いた声で言った。

「諦めないからな」

 それだけ言うと、やっと足を動かした。そして今度こそ、廊下を歩き出した大和の後ろ姿を見て、ほっと息を吐いたのだ。

 帰った。
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