その涙が、やさしい雨に変わるまで
「え? 噓~! マジ!」

 退職という単語に、彩也子は敏感に反応した。手にしていたアレンジメントを一度置いて、
「ホントに、何やらかしたの?」
と、真剣な顔つきで三琴に詰め寄る。
 一歩引いて、慌てて三琴は弁解した。

「特にミスをしてというものじゃないわ。まぁ、仕事に行き詰まったというか、そんな感じ。自己都合退職だから」
 セクハラとかパワハラとかでは決してないと、あくまでも個人的な問題だと、三琴はくぎを刺した。

「ええ~、結構、仕事がきつかったんだ! 前室へ内線をかけるとさ、いつも軽やかな声で松田さんが出てくるし、副社長とふたり揃ってここまで下りてきたときとかはさ、ふたりとも「仕事、出来ます―」ってオーラでカッコよく歩いて、ああ、上ではバリバリ仕事しているんだなぁって思っていたんだけど……違うんだ。そんなふうにはみえなかったなぁ~」

 そんなふうにはみえなかったなぁ~――瑞樹と同じことを彩也子もいう。傍からみる分には、三琴の仕事と演技は完ぺきだったようだ。

「まぁ、できる人には次々、仕事がきちゃうから……疲れちゃったのね。秘書室って憧れの部署だけど、現実は甘くないみたいだし。今ここで、ハードな秘書課の実態をみてしまった感じだわ」

 確かに、秘書でも担当が副社長であれば、その業務対応相手は社外取締役だったり他社幹部だったりで、かなり気を遣う。
 しかし同時に、それに値するだけの労いをいただいたこともある。また、プロジェクトが成功したときの充実感は途轍もなく大きかった。厳しいけれどやりがいのある仕事、といえる。

「う、う、うーん、そこはノーコメントで」
「はーい。ホントに、気配屋さんの松田さんなんだから! 副社長室から松田さんがいなくなるのは寂しいけれど、松田さんには松田さんの人生があるもんね」
 三琴が秘書業務のことを濁せば、そう彩也子は勝手に結論付けた。
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