その涙が、やさしい雨に変わるまで
「菱刈さん、結婚してヨーロッパへいったはずだから」
「え? 結婚してヨーロッパって? 結婚しているの、菱刈さん?」
「確か、ヨーロッパ異動がきっかけで結婚したはず」

 菱刈に色っぽいことをいわれて一瞬どきりとしたが、さっき彼が名刺を出す際に三琴は確認できた。菱刈の左の薬指に光るものを。

「ええー! そうなの?」
「奥様も留学経験者だったと思う」
「ああ、そうよね、そう。イケメンがいつまでもひとりでいるわけがないか~」

 彩也子の声から勢いが消える。ガックリした心情がよく表れていた。
 菱刈のことで一喜一憂する彩也子であるが、それでも彼女は業務に忠実であった。
 さっさと気持ちを切り替えると、彩也子は今度こそ三琴がびっくりするようなことを伝えた。

「まー、菱刈さんの件とは別にして、松田さん、殿下がお呼びです。終業後、副社長室までくるようにとのことです」
「はい? 副社長?」
「そうよー。殿下自らの内線でした。取ったのが松田さんでなくて私だったからなのかなぁ~、心なし声が怖かったような気がする」

 静かな怒りを含ませた瑞樹の声を、運悪く彩也子はきいてしまっていた。
 菱刈の件といい瑞樹の件といい、散々な彩也子がいたのだった。

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