ようこそ、むし屋へ    ~深山ほたるの初恋物語編~

ジレンマ

 翌、月曜日の朝、篤はほたるの忠告をさっそく無視して「母さんが、シュークリームスゲェ旨かったってさ」と話しかけてきた。
 失恋の痛みで辛いから距離を置こうと思っていたのに。

「それは……よかったよ」
「なんか怒ってる?」

「別に」
「またおばさんと喧嘩した? ほら、兄ちゃんに話してみ」

「だから~」
「ん?」と、きょとん顔の篤に、ほたるはため息を吐く。

 たった二日じゃ、失恋の痛みは消えない。目の前の篤はいつもの篤だけど、紗良と付き合ってるんだって考えると、胸がズキズキする。それでも、やっぱりこうして話せるのは、嬉しかった。ジレンマすぎる。

 結局、紗良と付き合い始めても、篤は何も変わらなかった。
 よく考えてみれば、ほたるは篤に告白したわけじゃない。つまり篤にとって、ほたるはただの幼馴染みのままなのだ。それ以上でもそれ以下でもなく。
 クラスで篤がさなえちゃんや他の女子と喋るのと同じ、友達枠にいる。その枠の中では、断トツで仲が良くて。

 紗良と篤はつき合っていることを秘密にしているようで、友達だった時より二人が一緒にいるところを見かけなくなった。
 傍から見ると篤と一番仲良しなのはほたるで「実は付き合ってる?」とか、聞かれることもある。だからこそ、篤への想いが断ち切れない。

 実は、篤が好きなのはほたるで、実は、紗良と篤は既に別れていたりしてと、都合良く想像してしまう。
 実際、他のカップルも1~3ヵ月で別れたりしてるし、篤たちだって。と、思いつつ、篤の周りから紗良の痕跡を見つけてがっくりする 

 たとえば、篤が出した数学の教科書の名前が橘紗良だったり。
 たとえば、昼休みに音楽室の脇でひっそり誰かを待つ紗良を目撃したり。
 たとえば、クッキング部がない日の下校時、篤の帰り支度がやけにゆっくりで、みんながいなくなるのを待っている様子だったり。

 もしほたるが紗良より先に告白していたら、教科書に書かれた名前が深山ほたるだったかもしれない。
 音楽室でこっそり篤を待っているのは自分だったかもしれなくて、クラスメイトをやり過ごして「やっと帰れるね」と篤に笑いかけるのはほたるだったかもしれない。

 篤だって、ほたるの気持ちを知っていたら、紗良なんかと付き合わず、ほたるを選んだに決まっている。だって、紗良とは同情でつきあってるんだから。

(普通、三回も告白する?)

 自分に勇気がなくて告白できなかったことを棚に上げて、そんなことを思ってしまう。紗良は悪くないのに、紗良に対する憎悪が沸々と沸き上がる。

 正々堂々と勝負して負けたのに、紗良に対してドロドロな感情が溢れて、紗良の顔を見たくなくて、ほたるはクッキング部をしばらく休みたいとももちゃんに伝えた。

 ももちゃんは「りょ」と敬礼ポーズをして「気が向いたらおいでー」と快く了承した。
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