元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
「少しは落ち着いた?」
「……はい。ご迷惑をおかけしました……」

 ズズッと、まだ少し鼻をすすり気味ですが、なんとか気持ちは持ち直したと思います。
 あれから有朋さんに手を引かれ、人通りの多い通りを避けて横路のところに見つけた小さな喫茶店に入りました。お年を召した店主の方がお一人で切り回しているようで、静かな店内にクラシックの音色が聞こえてきます。
 そうして私がぐずぐずとしている間に、有朋さんがさっさと注文を済ませて一番隅のテーブルへと誘導してくれました。

「で? 一体何なの? いきなり泣きだして外飛び出すんだもん。びっくりしたわ」
「…………それは、その、」

 言いよどむ私に、有朋さんは、ふっ、と面白がるような息をつかれて言葉を続けます。

「ただ、どっちかって言うと、月詠さんの手を叩いた方がびっくりしたけどね。あんた今まであんなに感情むき出しにしたことなかったし」

 ああああ、穴があったら入りたいほど恥ずかしいです。

 自分でも訳が分からないまま、衝動的にしてしまったことだけに、大変返事に困りました。言い訳にもならないかもしれませんが、前世今世含めて今まで、人に手を挙げることなんて一度もなかったのですが。

 その初めてが、よりにもよって蝶湖様相手になど……

「もう合わせる顔がありません」

 ポスンと、頭をテーブルの上に乗せてうつ伏せになります。お行儀はとても悪いと自覚はしていますが、そうせずにはいられないのです。

「まあまあ、そこまで気にしなくても。で? 何がそんなに気にくわなかったのよ?」
「そんな……気にくわないなんて……」
「でも、だから叩いたんでしょ? 月詠さんの手を」

 ぐぅ。結局そこへループするのですね。
 本当に、自分の中でもわかってはいないのですが、と前置きをして話し始めました。

「あの、ドレスが、なんだかとても辛くて……」
「ドレス? ああ、あのめちゃくちゃ高そうな、ウエディングドレスのことか。あれが、なんで!?」

 ウエディングドレス! そんなはっきりと言われると、また胸がぎゅうっと痛む気がします。

「……そのドレスのことですが、あの……えっと、」

 言葉に出来ない思いが胸に詰まり、口篭もっていると、芳ばしい香りと共にゆっくりとした低めの声がかかりました。

「カフェオレ二つ、お待たせしました」

 目の前に置かれてようやく気がつきましたが、頼まれたのは紅茶ではなかったのですね。
 前世ではお茶と言えば、紅茶を指していましたから、今世でも主に紅茶のような茶葉で淹れるお茶ばかり飲んでいて、コーヒーは飲んだことがありません。

「ま、飲んで少し落ち着きなさいよ」
「コーヒー……なのですね。私、飲んだことが無いものですから」
「カフェオレだけどね。うん、うららは紅茶しか頼んでるとこ見たことないから」

 敢えて、頼んでみた。そう言って、カフェオレを口にされました。
 そう言われてしまえば断ることも出来ず、すでに運ばれていることもあり、そっとカップを口に運びます。
 苦味がくるのかと身構えてみたものの、思っていた以上にふんわりとした柔らかいミルクの味わいが広がります。その中から独特の香ばしさが鼻孔をくすぐり、紅茶とはまた違った香りが楽しめました。

「……美味しい」

 その上、ミルクの優しい甘さにホッとさせられます。

「でしょ? うららはいつも何でも同じものを頼むじゃない。でもたまにはさ、違うもの頼んで気分変えるのもいいかと思って」

 気まぐれに頼まれたのかと思っていましたが、全く違いました。
 有朋さんの何気ない気づかいが、温かいカフェオレと共に、胸のしこりをほぐしてくれるようです。そうしてもう一口、ゆっくりと飲み込んだ後、一息つくと自然と言葉がこぼれだしてきたのです。

「あのウエディングドレスを着て、蝶湖さんが望月さんの隣に立つのかもと考えてしまったら、急に嫌だと思う気持ちで一杯になってしまいました」

 そう正直な言葉を口にすると、有朋さんがハッとした表情をして、なんとなくそわそわしたような態度で私の名前を呼ばれます。

「……うらら?」
「はい。お二人のことに、自分が何かを言う権利などないとわかってはいるのですが、どうしても……」
「いや、そうじゃなくって! ……あのさ、もしかしてだけどさ……」
「え?」
「王子……満くんのことが好き、なの? うららは」
「………………はい?」

 有朋さんは一体何を言っているのでしょうか?

 顔をほんのり赤らめて、やだなーもう。とか、早く言ってよー? だの、極めつけは、私はもう王子狙ってないから。などと、身をくねらせながら一人で語り出しました。
 いえいえ、有朋さんが望月さんへの憧れをとっくに捨て去っているのは知っていますよ。そうではなくてですね。

「別に、好きとかじゃないのです」
「……だって、嫉妬したんじゃないの?」
「誰に、ですか?」
「月詠さんに」
「まさか?!」
「いや、だから叩いたんじゃないの?」
「望月さんのことは、お友達以上には思っていませんよ」

 あの蝶湖様からの扱いには、少し可哀相だなとは思いますが、特には、全く。
 私の言葉に、有朋さんは大きく首を傾げました。その角度ほぼ六十度くらいです。結構な角度ですが……大丈夫ですか、首?

「んー?」
「ですから私は、蝶湖さんがウエディングドレスを着るのが嫌なのです。それだけなのです」
「んー……ん、ん、んーっ?」

 首がさらに傾きをきつくしていき、肩にまでつく勢いですが、本当に大丈夫でしょうか?

「あ、あの……有朋さん?」

 なんだかこちらの方が心配になってきてしまいました。彼女の名前を呼ぶと、右手をズッと出し待ったをかけられます。

「あー、はい。はい、はい、はい」
「え?」
「うんうん。確かに格好良いもんね。あんなに綺麗なのにどことなく中性的だしさ。大体、うららにだけ、愛想いいし、優しいし。めちゃ甘いし」

 左手で眉間の皺をほぐすように揉みながら、独り言を呟きます。

「でも、だからって、うららの方がそうなのって、どうなのよ……あれ、でも? ん、ん……んーっ……?」

 独り言が止まらない有朋さんをひとまずおいておき、カフェオレの残りを飲み干しました。うん、冷めても美味しいです。紅茶派でしたが、これならコーヒーも良いものですね。
 とりあえず、自分の気持ちを吐き出したことで、落ち着きを取り戻した私は、どうやって蝶湖様へ謝ろうかと考えます。
 お菓子を焼いて後日持って行こうか、それとも今すぐ戻るべきか、有朋さんへ相談しようと顔を上げるとパチッと目が合いました。

「あ……」
「うららっ!」

 久しぶりに被せられましたが、なんとなく今日は雰囲気が違います。

「あれよ、その……私は、何があってもあんたの味方だからね」

 はい。私もできるだけそのつもりですが……いきなり何でしょうか?

「うん。で? こ……告白は、するの?」

 謝罪、の間違いですよ。とと、何故お顔が赤いのでしょう、有朋さん。

「あー。もうっ! あんた、何でそんなに落ち着きだしたのよ? 自覚したんでしょ?!」

 落ち着けとなだめてくださった方に言われたくはないのですが……自覚?

「あの、……一体何を自覚したのでしょうか、私は?」

 ふぁっ?! と、有朋さんの驚声で、店主の方もびっくりしたようで、椅子がガタッと音を立てられました。しかし、有朋さんはそれも気にせず大きな声で言葉を続けられます。

「あんたっ、好きなんでしょ? 月詠さんのことが! 恋愛対象と、してっ!」

 …………え? ………………ええっ? ええーーっ?!
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