元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
「す、す、好きって……え? 私が? 蝶湖さんを ?え?」

 首を縦にブンブン振る有朋さんは、冗談を言っているような顔ではありません。
 いえ、確かに蝶湖様のことは好きですけれども、

「恋愛対象?」
「違うの?」

 真顔でそう尋ねられ、困惑しました。
 憧れ……ではないと思います。

 蝶湖様は素晴らしい方ですが、私がそうなりたいかと問われれば、そうではないと答えるでしょう。
 蝶湖様はきっと、どこで何をされても主役になられる方ですが、私は違います。
 前世でもそうでした。華やかな世界は気後れがして仕方がありません。お母様から、第二王子の側にと言われる度に胸がキリキリと痛みました。庶民になりたいと、夢を見るほどに、ただただ、静かに暮らしたいと願っていたのです。
 けれども、だからといって今、蝶湖様と距離を置きたいなどとは露ほども考えていません。
 本来なら雲の上の人。前世ならば、出来るだけ近づきたくないとまで思ったような人。でもむしろ、いつも一緒に居たいとさえ思っているのですが、これが……これが?

「恋……なのでしょうか?」

 わかりません、私には。
 女性相手ということだけではなくて、自分の恋というものがわからないのです。
 貴族令嬢に、恋心は必要ないと教えられました。ずっと、そうして育てられてきたのです。
 ぐちゃぐちゃにこんがらがった糸のようなものが、もやもやとした固まりとなって、胸の中に溜まります。そして落ち着いたはずの気持ちが、また粟立つようにざわざわと感じはじめました。
 そんな私を見て、有朋さんが唐突に、ゴメン! と謝られます。

「いきなり聞いて悪かったわ。なんか、こう。つい気になっちゃって」
「いえ。はっきりしない私も悪いのです」

 指で軽く頭を掻きながら、どことなく恥ずかしそうにされる有朋さんです。

「いやね、前の世界もこっちの世界も、恋愛ごとには縁がなかったから、なんかさー、はしゃいじゃったわ」

 再度、謝罪されました。けれども、前世も似たような世界感なのですよね。貴族として育った私よりもよっぽど恋愛については知っているのでは?そう首をひねると、うーん、と唸った後、こっそりと囁かれました。

「あのさ、前の世界じゃ、小さい頃からずーっと入院ばっかりだったのね。ほとんど学校も行けなかったから、病院で乙女ゲーム三昧だったのよ」

 だから、正真正銘、うららが初めての友達だし、恋バナも初めて。
 衝撃の事実をさらっと流されました。

 有朋さんの前世のお話を、乙女ゲームの話以外で初めて聞かせていただきましたが、やはり人にはそれぞれ色々とあるものですね。
 けれども、それでようやく合点がいきました。
 あれだけ露骨に下弦さんが有朋さんのことを押しているのに、彼女は全く気がつかないことに。
 そして以前の有朋さんが、乙女ゲームの世界が全てだと思っていたことに。

 私も前世が異世界の貴族だと言うこと以外にも、まだお話ししていないこと、話すことに躊躇していることもあります。
 そしてそれが、恋というものに踏みきれない理由の一つだと言うことも――

 どちらともなくため息をつくと、同時に顔を見合わせました。

「お互い、恋愛初心者ってとこかー」
「そのようですね」

 前世持ちの二人が、今世の乙女ゲームの中を手探りで進んでいくというのもなんだか変な感じがします。
 例え前世の記憶があったとしても、意外と使えないものですね。

「でもま、楽しいわよ。以前よりも、ずっと」
「以前、とは? 前世のことでしょうか?」

 私がそう尋ねると、違う違うと手を振りながら笑って言いました。

「あんたと出会う前よ、うらら」

 胸が、じんわりと温まるのがわかります。
 蝶湖様に感じる気持ちとは、少し違うこの感情。多分、有朋さんも同じものを抱いてくれているのでしょう。

「私も同じです、有朋さん」

 そう答えると、にっこりと笑い返してくれたのですが、ほんの少しだけ眉をひそめられました。

「何か?」
「ん……いやー、あのさ、だったらさー」
「はい」

 少し口ごもった後、意を決したように口を滑らしました。

「そろそろ、名前で呼んで、くれて……いいのよ?」

 キュンと胸がはじけます。そうですね、だって私たちお友達ですものね!
 初めての出会いは、何ともいえないものでしたが、今では誰がなんと言おうと、一番のお友達です。

「雫さん。私も楽しいです。凄く」

 心の底から湧き出る思いにのせて、自然と口から有朋さん、いえ、雫さんの名前が出てきました。
 ふふ。と、もう一度顔を見合わせ、笑い合います。
 そうして、カフェオレのおかわりをお願いして、二人で気の済むまでお喋りをしたのでした。
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