元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
 うぐぐ。と、唸るしか出来ないのが本気で悔しい。脅してもダメ。退く訳にもいかない。ならどうしたら姉ちゃんから湖月くんを引き離せるかと考えて、思いつくのはたった一つだけだった。

 姉ちゃんたちは、今何をやってる?ダンスの練習は何のため?
 確か、何かの対決をしてるって、きららが話しているのを聞いたことがあった。
 だったら、

「勝負、しよう。湖月くん」
「ああ? いきなり何言ってんだ」

 出来ればこれは言いたくなかった。姉ちゃんを賭けに使うみたいで嫌だったから。でもそんなことはもう言ってられない。

「俺が勝ったら、そんな格好して二度と姉ちゃんに近づくな」

 精一杯凄んでみせたけど全然効いてない。
 けど、ふーん。と、何となくバカにしたような声を出したと思ったら、直ぐに言葉を続けてくる。

「わかった。剣道でいいな、一本勝負だ」

 あっさり勝負を受けたけど、こいつ本当にバカにしてんのか?
 俺、こう見えても去年全国大会出てんだぞ。小学生の一時、ちょっと俺より強かったくらいで本気で勝てると思ってんのか?
 楽勝、と思うよりもムカついた。

 了解するよりも、なんか言ってやろうと口を開きかけたところで、スマホの向こうから妙に嬉しそうな声が聞こえた。

「そういやあ、全国大会で三回戦まで行ったってな。今年は優勝しろよ」

 なんだ知ってんのかよと、ちょっと喜んだけど、次の言葉でさらにムカつく。

「その前に、お前の悪いとこ見つけてボコボコにしてやるから、ありがたく思え」
「ふざけんなっ! こっちこそボコボコにしてやるよ!」

 俺の返しに笑いながら、また連絡すると一方的に言って通話を切られた。やっぱり、すげー偉そうなやつ。
 俺は、うがーっ! と小さく叫びながら、スマホをベッドへと叩きつけた。

 それから更に二日ほど経ってから、勝負の場所は俺が通っている剣道場だと教えられた。
 あの爺ちゃん師匠は私的な勝負を許さないだろ。そう聞くと、稽古で使うと頼みこんだらしい。元々古い知り合いらしいので、そこは上手く丸め込んだのだろう。
 爺ちゃん師匠には悪いけど、一回こっきりなので許してほしいと、心の中で謝った。
 そうして、周りは盆休みだとか言っている最中、湖月くんとの勝負の日がいよいよやってきた。


「…………なんか、湖月くん、目が据わってない?」
「おう、放っといてやれ。また、うららちゃんに怒られたらしい」

 約束よりも相当早くに剣道場へ来た俺は、爺ちゃん師匠へのせめてもの詫びにと、道場内を磨きまくった。
 そうして時間通りにやって来た湖月くんだけど、どうもあの余裕綽々とした態度が全く見当たらない。どうしたのかと、審判をしに来たという初くんに聞いてみると、げらげらと笑いながらそう答える。
 初くんと会ったのも、本当に久しぶりだ。けど、初くんのフレンドリーな態度は時間をあまり感じさせない。

「はっ?! また? 何してんだよ!」
「うるせえ、怒らせてないっ!」

 長い髪を一つにまとめて白い道着に着替えた湖月くんは、確かに綺麗な顔をしてるけど、こうして怒鳴っている姿を見ると男にしか見えない。
 でも、制服姿で会ったあん時は、本当に女の子で、兄妹? だと思ったんだよなあ。どうやってるんだ、一体?

 首を捻っている俺を見て、何を考えたのか知らないけど、ぶちぶちと言い訳がましく呟く。

「いきなり泣き出したからハンカチ出しただけだ。こっちだって、わかんねえよ……」
「んで、ひっぱたかれたんだろ? 怒らせてんじゃん」

 初くんの言葉を聞いて、ジト目で見てやれば、はぁーっと、やたら大きな溜め息を吐く。
 うーん、湖月くんをここまで落ち込ませるとか、実は姉ちゃん、相当強いのかもしれない。湖月くん限定で。

「さあ、お喋りもそこまでにしてくれ。早く始めよう」

 むっすりとした声で空気も読まずに朔太朗くんが俺たちに伝える。今日、ここへ来たのは三人。初くんはともかく、朔太朗くんがこんな勝負に付き合うとは思わなかったけど、今のとこ一番積極的なのは彼のようだ。

「そうだね、さっさとケリつけてやるよ。俺が勝ったら、わかってるよね?」

 湖月くんが、はいはいと手のひらを振る。そうして朔太朗くんが代わりにそっちの条件を言った。

「こちらも同様だ。当然だが、沈黙もしてもらう」

 別に負けるつもりもないから簡単にOKを出す。アップも出来てるから、早くやろうぜ、と言う代わりに防具へと手をかけた。


「始め!」

 初くんの開始の声がかった瞬間、立ち上がり合わせた竹刀をはずし、じりじりと間合いを取った。
 先手を取って打ち込んでやろうと思ったけど、なかなか思うように運べない。剣先を上手く流され、小手を狙われた。
 当たりが弱かったか、主審の初くんと副審の朔太朗くんの声はかからない。本来なら副審二人つくところだけれど、今日は変則的だ。

「はると。お前、周り気にしすぎ」

 ぼそりと呟く湖月くんの台詞にかっとなった。昔と同じこと言ってんじゃねーよ。
 再度見合ったところで、一気に攻め立てた。パシッ、パシッと竹刀の打ち合う音が、道場に響く。
 力まかせにグッと竹刀を押し出せば、湖月くんの面がぶつかるくらいの距離にまで接近する。

「強くなったな、はると」
「湖月くんが、弱くなったんじゃねえ?」

 精一杯の強がりを込めて、睨みを利かすように目に力を入れると、逆に湖月くんは、ふっと息をはいて少し笑った。

「違いない。練習不足だ」

 そう言うと、竹刀ごと俺を押しのけて後ろへ一歩下がり構えを中段から上段へと変えた。
 この男はどんだけ格好をつけたがるのだと、呆れながら笑う。いいぜ、相手になってやると気合いを入れ直して竹刀を構えた。
 一瞬だ。と、お互い踏み込んだその時、自分の足が遅れたことに気がついた。面を打たれる。そう思った瞬間、竹刀を思い切り突き出していた。

「勝負あり」

 初くんのその言葉に、最初自分が負けたのだと思った。面を取られたのだと。そうして初くんの顔を見つめれば、いつもの顔で笑いながら、お前の勝ちと言った。

 え? と床を見ると、白い道着の湖月くんがひっくり返っていた。
 少しぜいぜいとした声で、痛えよと言って甲手で喉元をさする仕草をした湖月くんをみて、しまったと思った。

「負けは俺の方だ。突きは反則だよ」

 中学剣道で突きは反則だ。そんなことわかっていたのに、湖月くんの勢いに負けまいと無意識に突いてしまったのだ。
 ゴメンと床に寝転がる湖月くんへと手を出すと、べしっと叩かれた。

「はっ! 俺は知らねえよ、中学剣道のことなんて」

 そう言うと、甲手、面、胴をその場でさっさと外し始めた。道着の胸元をがっと開けると、喉の下あたりが結構赤くなってるように見える。あれ跡残りそうだな、相当痛そうだ。

「あー、負けた負けた。まさか、はるとに負ける日がくるとはな」
「バカにしすぎ。これでも全国大会出てんだぜ」

 胡座をかいて、そりゃそうだと笑う湖月くんの顔が懐かしくて、なんだか昔に戻ったみたいだと思った。
 あの頃の湖月くんだったら、俺だって姉ちゃんとのことをぐだぐだ言うつもりなかったのに……そんなことを考えた、その時。

「蝶湖さんっ! はると君!」

 ここに居るはずのない、姉ちゃんの声が道場内いっぱいに響き渡った。
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