元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
 私の手を握ったまま、三日月さんは笑顔を向けて下さっているのですが、お腹が減ったのですと、あえて口にするのも少々はばかられますね。うーん、空気読んでもらえないでしょうか。
 さてはて、と困っていると、後ろの方から救いの手が差し出されました。

「初、離してあげなさい。いつまでそうしているつもりですか?」

 なんと眼鏡さんの登場です。少し神経質そうな感じがしますが、涼し気な目元が素敵な方ですね。とても知的にみえます。
 よ! と親し気に声をかける三日月さんを無視するかのように、彼の手を私から剥がしてくれました。ありがとうございます。これでお昼がいただけます。
 感謝の気持ちを微笑みで返したら、眼鏡さんの頬に赤みがさしました。あら、三日月さんとは正反対の反応ですね。眼鏡をクイクイと上げています。

「天道さん、ですね。代表の言葉、とても良い出来でした」
「ありがとうございます」
「あ、こいつ二年の十六夜(いざよい)不知(しらず)な」

 よろしくしてやって、と三日月さんが勝手に紹介してしまい、十六夜さんに頭を叩かれました。真逆の性格をしているようですが、仲はとても良さそうです。

「そういやさっきラグビー部がケガ人運んでったぞ。保健室じゃなくて外走ってったからお前んとこの病院じゃね?」
「……家の病院でも、僕は医者じゃありませんよ」
「女の子だった」
「関係ないでしょう」

 ニタニタ笑いを躱しながら十六夜さんはウエイターさんを呼び、注文をしました。いつの間にかご一緒することになったようです。
 まあお昼の時間ですし皆さんもお腹が減られたのでしょうからと、サンドイッチを食べ始めました。ああ、美味しい。周りが少し賑やかになって参りましたが気にしないことにしましょう。

「初。不知くん、ここにいたんだ」

 聞き覚えのある声に顔を向けると、そこにはキラキラ様御一行のおひとり、クラスメイトで甘いマスクの下弦さんが立っていました。

「あれ、天道さんも一緒?」
「はい。下弦さんたちもお昼ですか?」
「うん。二人を探していたらこんな時間だったよ。それなのにちゃっかり先に食べてるんだからねえ。あ、ここ、いい?」

 隣の四人がけテーブルを指して尋ねます。彼の後ろには、残りのキラキラ様たちです。
 ここまで勢ぞろいすると壮観ですね。あまりに眩しくて目のやり場に困ります。
 若干目を細めた私に向かい、生徒会長が手を挙げてくださいました。それを見て、いかにも王子様といった風情を醸し出している方が不服そうにしています。

「なんだ、みんなもう彼女と知り合っていたのか? ずるいな」
「天道うららさんよ、満」

 そう説明してくださる、美しい人の登場です。月詠様はくすくすと笑う姿も見目麗しいですね。

「ああ、今朝は失礼した。望月(もちづき)(みつる)だ。よろしく」

 差し出された手を軽く合わせ、返事を返します。失礼をしたのは、あの有朋さんの方で、皆さんの方ではありませんですよね。皆さんもなんとなく思い出し笑いをしているようなので、わざわざ言うことではないと、黙っていることにしました。

 そのまま席に着き、皆さんお昼を取りながら思い思いの話をしていきます。話の内容から、ちょっと庶民の私にはわからないようなことも度々ありますが、できるだけ笑みだけは絶やさないようにしましょう。前世で養った貴族の嗜みですと、静かに笑っていたのですが、何故だか皆さんから話しかけられました。

「ところで天道さんは外部生ということらしいけど、中学まではどこか外国で暮らしていたのかい?」
「いいえ。地元の公立中学校へ通っていました。そこで、こちらの学園の特待生制度を耳にしまして、挑戦させていただいたのです」
「公立中学? 嘘でしょう、これほどのお嬢様が、それはありえません」

 大人の雰囲気の新明さんからの質問に答えると、眼鏡な十六夜さんからの生真面目な突っ込みが飛んできました。
 いえいえ、庶民ですよ。本来ならこちらの学園に通えるようなお嬢様ではありません。

「外国には一度も行ったこともありませんの。とても憧れはあるのですが」

 何分、両親共働きのうえに弟妹もいますので家族旅行の定番は、お母様のご実家なのです。当然ながらパスポートなど持っていません。
 けれども、いつかは前世によく似た景色のヨーロッパの国々を見て回りたいものですと、ふと遠い目をしてしまいました。するとどこからか息をのむような音が聞こえます。

「あ、あのさ、修学旅行はヨーロッパの何か国かに寄ることになるから、楽しみにしておくといいよ」
「まあ、そうなのですか。嬉しいです」

 同じクラスの下弦さんがそう言って下さった言葉に、すぐに反応してしまいます。
 ほうっと、両手を頬に添え息を吐き出しますと、なんなんだこの生き物は? という呟きが聞こえます。
 あら、何か変な虫でも出てきましたのでしょうか。春ですから、仕方がありませんね。
 そろそろ家の植木鉢にも虫よけの薬を撒かないといけない季節になりましたなどと考えながら、お茶の残りをいただきました。
 そうしていくつかの質問を受け応えしていると、有朋さんとの約束という名の一時間待機の拘束も完了したようなので、そろそろ失礼をと挨拶をしたところで望月さんに連絡先の交換を求められました。

「え、スマホも持っていないのか?」
「ええ、電話でしたら自宅にありますし、今まで特に必要ではなかったので」

 皆さん、ポカンとされています。確かに今時でないとは承知しています。ただ、前世では手紙ですら何日もかかるのが当たり前でしたから、思い立ってすぐに連絡が取れると言われても落ち着きませんよ。あと単純に機械が苦手なのです。

「でも彼氏とならいつでも繋がっていたいって思わない?」

 三日月さんが人好きのするような笑顔で尋ねてきます。望月さんや下弦さんが、うんうんと同意しているようですが、困りましたね。

 彼氏さんですか? 残念ながらいたことがないのでわかりませんが、そうですねえ。
 でしたら……

「月の満ち欠けを待つように、会えない時間も楽しみたいと思いますわ」 

 口の端を少しだけ上げ、できるだけつつましく笑ってお答えします。
 一瞬の無声のあと、ヤバい。マジか? え、無自覚? とか聞こえてきました。

 ……そんなに変なことを言ってしまったのでしょうか?

 そう、首を傾げた瞬間、いきなり何かに飛びかかられ、ぎゅーっと抱きしめられました。とてもいい匂いですが、ちょっと苦しいですよ。

「ふぁ、ふぇ……?」
「可愛い! うららさん、可愛いすぎる!」

 慌てる私の耳に聴こえるのは、あの絶対お嬢様の月詠蝶湖様の声でした。

 えええ? びっくりです。

 この突然始まったランチで、微笑みはたたえながらもほとんどおしゃべりすることもなかったのに、どうしたことでしょう。この情熱的な抱擁は?

「ねえ、お友達になりましょう。いいえ、ぜひお願いします。うららって呼んでもいいかしら?」
「ええと、その、それは別にかまわないのですが」
「ああよかった。私のことも蝶湖って呼んでね」

 そう満面の笑みで言われれば、断る理由なんてあるわけがありません。
 ええ、すごく嬉しいのですが、ちょっとだけ、ちょっとだけ……不思議な感じがしてなりません。
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