転生アラサー腐女子はモブですから!?
『ギィィィ……』

 朽ちかかった扉はいとも簡単に開いた。そっと家の中を覗き、誰もいない事を確認したアイシャは、足元に気をつけながら、廊下をゆっくりと進む。

 外にも中にも、見張り一人いないなんておかしくないかしら?

 侯爵家令息を監禁しているのだから、見張りが大勢ウロウロしていると考えていたアイシャだったが、人の気配すらしない邸内に違和感を覚える。

 これもグレイスの仕掛けた罠なのだろうか?

 しかし、たとえ罠だったとしても、アイシャの足を止める理由にはならない。元より覚悟の上だ。

 壁伝いに慎重に歩みを進めるアイシャの目に、廊下の奥で揺らめく光が見え、ボソボソと話す人の声が耳に入る。

 とりあえず、光が見える方へと歩みを進めれば、徐々に話し声も大きくなっていく。

「リアム様、悪く思わないでくださいな。貴方が、この世界のヒロインであるわたくしではなく、アイシャなんていうモブですらない女を選んだのが、間違いだったのよ」

「グレイス、アイシャに何をするつもりだ? まさか、傷つけるつもりなのか!?」

「いいえ。わたくし自ら手を下すなんておぞましい。あの女には、貴方の命と引き換えに、死を選んでもらうわ」

 やはり、シナリオ通りだ。

 アイシャが壁の影に隠れ、中の様子を伺へば、椅子に縛られ動けないリアムと、そんな彼の(あご)を掴み上向かせ、話しかけるグレイスが目に写った。そして、彼女の仲間と思しき数名のゴロツキと真っ黒な燕尾服(えんびふく)をまとった執事と思われる男が、二人の様子を後方から眺めている。

(まだ、気づかれてはいないようね……)

 彼らからアイシャは死角となり、見えていない。

 グレイスは乙女ゲームのシナリオ通り、アイシャに死を選ばせようとしている。

 このまま無様に死ぬわけにはいかない。

 今から街の憲兵の詰め所に行き、事情を説明し助けを求めるのはどうだろうか?
 幸い、リアムはまだ死にそうには見えない。

『一人で来るように』

 手紙の内容が、頭をよぎる。

 万が一、憲兵を連れて来た事がグレイス側にバレたら、リアムの命が危険にさらされる。

 一人でどうにかするしかないのか。

 アイシャは、護身用の短剣を鞄から取り出すと、ゆっくりと歩みを進める。

「その汚い手をリアム様から外してくださるかしら。お約束通り、来ましたわ」

 突然、室内に響いた声に、パッと顔を上げたグレイスが辺りを見回しアイシャを見つけると、ニタァと笑みを浮かべる。

「あの手紙を読んで本当に来るなんて、よっぽどリアム様を愛しているのね。初めましてアイシャ様。お話しするのは、初めてですわね」

 グレイスが周りのゴロツキに合図を送ると、彼らとアイシャとの間合いが徐々に詰められていく。

「近寄らないでくださいね。わたくし、これでも騎士団で剣の修行をしていましたの。下手に近づいて怪我なんて、したくありませんでしょ」

 アイシャの脅しに、間合いを詰めていたゴロツキの足が止まる。

「グレイス様、お約束通り一人でこの屋敷に来ましたわ。リアム様を解放なさいませ。貴方の目的は、わたくしでございましょ?」

「ははははははは……」

 グレイスの高笑いが室内に響く。

「貴方、バカですの。本気でリアム様を解放すると思っているなんて、バカ過ぎじゃないかしら。解放する訳ないじゃない」

 狂気にも似た笑い声をあげていたグレイスの表情が瞬時に変わり、憎悪を宿した瞳でアイシャを睨む。

「私はねぇ……、アイシャも憎いけど、リアムも憎いのよ。ヒロインである私を陥れたのよ。私と婚約したのも、ドンファン伯爵を(だま)し、私が『白き魔女』ではない証拠を掴むため。そのせいで、ノア王太子にまで疑いを持たれる結果になってしまった。私は、白き魔女なのよ。この乙女ゲームのヒロインたる白き魔女なのよ! だから、予知を完結させねばならない」

 くくっ、くくくっと不気味な笑いをこぼし、呪詛のような言葉を放つグレイスは気づいていない。彼女の言葉を理解している者が、この場にはいないという事を。

――――アイシャを除いて。

 沈黙が支配する室内に、グレイスの言葉だけが響く。

「今までだって、全てが私の思い通りだった。私がデタラメを言ったとしても、必ず予知は当たったのよ。だから、今回も成功するわ……
愛する二人は、ここで死ぬ運命なの。ヒロインたる白き魔女が予知したのだから、運命が(くつがえ)る事はない。さて……、どちらから殺して欲しい?」

 狂気を(はら)んだ目をして、短剣を握ったグレイスがリアムの首筋に刃を当てる。

「貴方の愛するリアムが死ぬ所が先に見たい? そうねぇ、貴方が自ら命を絶つなら、リアムは後からゆっくり殺してあげるわよ」

 常軌を逸したグレイスの高笑いだけが、静けさに包まれた部屋に響きわたっていた。
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