そして消えゆく君の声

挿話 流星群3

 頭のなかに本がある。

 記録がある。


 今はこう振る舞うのが正しい。この言葉が正しい。この表情が正しい。

 正否は周囲の反応で確認して、より正確な反応を作り上げていく。一定の期間より古い記録は現実の自分とは乖離しているけれど、参考にはなる。


 それでも時にはどう処理すべきか判断しかねる出来事があって、それが今だった。

 あまり体調が良くなさそうなのに、優れた瞬発力で手を伸ばした弟。強い力でシャツを掴まれて、足元が『後ろのめりに』『バランスを崩した』時、表現しがたい衝動が湧き上がった。


 適した言葉が見つからない。


 多分、何かを防ごうとしたのだと思う。何かを失うこと、手放すことを。目の前で起きようとしている出来事を強烈に拒んだのは、自由意志というよりは、死んだ虫の足が動くような反射だった。


 ――落□ちゃ駄目だ。
 ――だってまだ□めでとうって言ってない。


 切れ切れに聞こえる誰かの言葉。
 びりびりと神経を震わせる頭痛。

 こめかみの奥が、破裂しそうなほど痛む。

 それ自体に苦痛を感じたわけではないけれど、後方からの力を避けるように身体を捻った自分は、半ば無我夢中で手に触れた質量をコンクリートに叩きつけた。


「っ、ぐ……!」


 同時に、手元で濁った呻きが上がる。

 えずくように吐き出された呼気と、膝に走る痙攣。見開いた瞳を目の当たりにして、自分が弟の頭部を打ちつけたのだと気づいた。

 見れば、髪の生え際と鼻粘膜からの出血がある。赤い筋がまっすぐ額に垂れて、眉の上にとどまっていた。
 
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