そして消えゆく君の声
 一瞬の出来事。

 足元のバケツを思いきり蹴飛ばすと、黒崎くんは一度も後ろを振りかえらずに廊下を走っていった。

 静まりかえった下足にバケツが転がって、一瞬の後、口々に上がり始めるみんなの声。


「なにあれ?」

「いきなりキレてたけど」

「征一さんカワイソー」


 ひそひそと囁かれる悪口。
 ちょっぴり寂しそうに眉を下げる征一さん。

 綺麗な瞳がはにかみを帯びてこちらへと向けられたけど、私は、さっきみたいな明るい気分にはなれなかった。


(だって)


 征一さんは、口にする言葉こそ優しかったけれど、黒崎くんの言い分を少しも聞かなかった。

 黒崎くんが悪いって勝手に決めつけて、許してほしいなんてあやまって、


(あんなの……おかしいよ)


 悪気はないのかもしれない。
 場を丸くおさめようとしただけなのかもしれない。

 ……でも。

 あんな風に自分が悪いと決め付けられて、周りの人も自分のことを責めてきて。

 そんな状況で素直に謝れるはずがない。ましてや、どっちが悪いかなんてわからないのに。


(……黒崎くんは、ずっと、こんな思いをしていたのかな)


 胸に鉛を飲みこんだような閉塞感が広がる。

 その息苦しさは、みんなが教室へと向かって下足に人がいなくなるまで続いていた。
 
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