狂愛メランコリー

 じわ、と涙が滲んだ。

 痛みだけじゃなく、動揺のせいでもある。

 よく知っているはずの理人が、別人のようで怖くなったのだ。

 どうしてしまったの?

 どうして、こんなこと……?

「ごめんね、菜乃」

 彼も彼で苦しそうに眉を寄せていたが、やがてその表情が緩んだ。

「やり直そう、もう一回」

 理人はそう言うと、掴んでいた腕を離した。

 思わず自分の腕を見やれば、強い力のかかった痕がくっきりと残っていた。

 三日月型に刻まれた爪の痕には、真っ赤な血が滲んでいる。

 手の感覚が戻らない。

「……っ」

 不意に息を呑んだ。

 今度は理人の手が勢いよく私の首を掴んだのだ。

 痛い。苦しい!
 言葉にも声にもならない叫びを心の内で繰り返す。

 両手で彼の手を剥がそうとしたが、もともとの腕力の差に加え、息が出来ないせいで力が入らなかった。

(嫌だ……、やめて……!)

 何でこんなことするの?

 理人は私を殺す気なの……?

 うっすらと目を開ければ、滲んだ視界にぼんやりと彼が見えた。

 その瞬間、首を締め上げる理人の力が緩んだ。

「!」

 反射的に彼を突き飛ばす。渾身の力を込めた。

 平衡感覚を失っていた私は、ふら、とたたらを踏みながらその場に崩れ落ちる。

 喉元を押さえ、咳き込みながら思い切り息を吸った。

 苦しくてたまらない。
 浅い呼吸を繰り返していると、徐々に身体の感覚が戻り始める。

 ……コツ、とローファーが見えた。

 私は(うずくま)るような体勢で見上げる。

「りひと……」

 彼は微笑んだ。どこか清々しいような表情だ。

「また、すぐに会えるから」

 そう言った理人が何かを振り上げたのが分かった。

 それが何なのかを理解する間もなく、避けることも出来ないうちに、思い切り振り下ろされる。

「……っ」

 ガッ! と重い打撃音が響き渡る。

 何が起きたのか分からなかった。

 頭に強い衝撃が訪れた瞬間、目の前が真っ暗になった────。
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