狂愛メランコリー

 私は今、誰のことを思い浮かべたのだろう。

 戸惑い、狼狽えてしまう。

 ……分からない。

 確かに浮かんだのに、その名前も顔も思い出せない。

「菜乃?」

 顔を上げると、心配そうな表情の理人が振り返っていた。

「本当に大丈夫? 何か顔色悪いみたいだけど」

「え、あ、大丈夫! 全然平気だよ」

 曖昧に笑って誤魔化す。

 このことも、なぜか理人に話す気にはなれなかった。



*



 早めに登校した仁は昇降口で菜乃を待っていた。

 日付が戻った時点で彼女が殺されたことは分かっていた。

 だが、記憶を失わないためには鏡が必要だということも判明したため、彼女は鏡を持って殺されたはずだ。

 予鈴まで10分を切ったとき、こちらへ歩いてくる菜乃を見つけた。

「……?」

 見間違いかと思った。

 なぜか、理人とともに仲睦まじく登校してきたからだ。

 どういうことだろう。

『それで殺されずに済むなら、付き合えば?』

 はたと閃く。

 “前回”の仁の言葉を真に受けたか、あるいは記憶をなくした……?

 傷ついたような菜乃の表情を思い出す。

 前者ということはないだろう。あんなふうには笑えないはずだ。

(三澄……)

 “前回”、菜乃としていた記憶維持の話を、あのとき理人にも聞かれていたのかもしれない。

 だとしたら、死に際に鏡を奪われたのだろう。

 そのせいで記憶を失ったのだ。

 当然、仁のことも覚えていない。

「……くそ」

 小さく舌打ちし、理人に見つかる前に踵を返す。

 ────考えてみた。

 これで振り出しに戻ったわけだが、自分はどうするべきだろうか。

 菜乃に真実を教えるか、知らない顔をして黙っておくか。

 今の菜乃は理人の本性を知らない。

 記憶を持っていない彼女は、幼なじみである理人に依存している。

 それは理人にとって、思い通りの展開だろう。

「…………」

 それが、振り出しなら。

 それを、最初に(、、、)ぶち壊したのは、恐らく────。

(……俺、か)

 菜乃が仁を頼り縋ることは、理人には都合が悪く不服なのだ。

 理人の彼女に対する度を超えた“純愛”は、独りよがりで凶暴なものだった。

 憶測でしかないが、きっと最初もそうだったのだ。

 身勝手な嫉妬をこじらせた理人が、感情任せに菜乃を殺害し、この奇妙なループが始まったのだろう。
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