壁にキスはしないでください! 〜忍の恋は甘苦い香りから〜

「優秀な兄上は幸せものですね。ですがオレは不遇と泣きはしませんよ」



その毒に蒼依の手は止まり、眉間にシワが寄る。

苦悶(くもん)に満ちた表情で依久を一瞥(いちべつ)する。



「番がいるということは幸福です。あの匂い、たしかに葉名から感じましたので」

「……それは、満たされるものか?」

「えぇ、とても。番にしかわからぬ甘い匂いとはこの匂いのことなのですね」



その問いに依久はにやりとあくどく笑む。

チラリと穂高に目をやり、自身の鼻を手の甲でこすった。



「兄上にはこの匂い、どう感じられているのでしょうね? ……では」


去っていく依久に何も言い返せない蒼依は俯き、手のひらを見つめた。

何もつかめなかった手に絶望の色を見る。

一方、穂高は鼻であたりの匂いを嗅ぎ、やがてひとつの匂いにたどり着いた。




「匂い……あぁ、これが番の匂いにあたるのでしょうか? たしかにこれは好ましいですね」

「……そう、だな。たしかに、この匂いは君から感じるよ」

「幸せな家庭を築きましょうね。そして忍びの血を繋ぐのです」



何も言い返せず、この手は欲しいものを掴めない。

どうしようもない無力さに蒼依は思い悩む。


そんな簡単に諦められる想いならば、何故枝が結果を出す前に葉名に触れてしまったのか。

秘めることさえ難しくなり、後先考えずに溢れた結果だったはずなのに。



――この手は、花びら一つつかめない。


< 72 / 114 >

この作品をシェア

pagetop