怪奇集め その手をつないでいられるうちにできること

虐待とデジタルタトゥー

  怪奇集めの掲示板に書き込みがあった。
 母が葬儀屋に勤めています。ハンドルネームは真実《まみ》です。
 葬儀屋では、時々見えるはずのない人が見えたという話や死者が生きていた時同様に存在しているのを目撃したという話はよくあるそうです。

 特に、小さな子供は存在していない誰にも見えていない人間が見える確率が高いようです。母自身、誰も鳴らしてもいないおりんがちりんと鳴った現場に居合わせたこともあるそうです。

 でも、本当に怖いのは、いるはずのない人間が見えることではないと思うのです。これは、私が体験した怖い話です。誰かに聞いてほしかったのでここに記しました。私がたとえ消えたとしても文字として残しておきたいという気持ちでこの掲示板に辿り着きました。この場所を与えてくれた開設主に感謝です。

♢♢♢
 線香の香りは人の心をある意味落ち着かせる。あの世への道筋を煙と香の香りが導いてくれるような気がする。 

 葬儀屋は、死と向き合う仕事だ。あの世に行く人に一番近い場所。母は葬儀屋の社員をしていた。葬式というのはいつあるかわからないため、不規則で急に仕事が入る。母は家にほとんどいなかった。働いても働いても暮らしは豊かにはならなかった。たまの休みに、母はにこやかにあの男のそばにいる。一体あの男のどこに魅力があるのだろうか。はなはだ疑問だ。中年の脂ぎった男は煙草の香りと酒の香りを漂わせる。顔がいいわけでも性格がいいわけでもない。お金もない。あいつのなにが母を虜にするのだろう。

 母が一生懸命働いているにも関わらず、あの男は何もしようとしない。ただ、毎日食べて寝る。外出と言えばパチンコに行くくらい。不健康極まりなく、ああいう大人になってはいけないといういいお手本だった。私はただただ苛立つ。あの男は私を人間として扱っていない。

 あの男は、私の父ではないし、母の正式な夫でもない。入籍もしていない。母とは交際をしているらしく、ある日突然私と母の家に転がり込んできた。どうせヒモになりたいのだろう。

 私は母のおかげでなんとか高校に入学はできたが、勉強もできず友達もできなかった。できないづくしの私にはお金が必要だった。高校に入学後はアルバイトを探していた。

 そんな時、中年男性に声をかけられた。いわゆるスカウトだ。話を聞いてみる。芸能界の入り口として、モデルにならないかと言われる。その辺の店でバイトする時給とは比べ物にならないくらいお金が入るらしい。レッスン料詐欺ではないか。確かめたところ、お金は要らないと言われた。ちゃんとした事務所なのかわからないが、見学だけでもとせがまれる。

「今日、バイトしていかない?」
 スカウト当日、事務所で声をかけてきたのはイケメンのカメラマンだった。その日、私はただのモデルのバイトだと思っていた。人生が激変した一日だった。私の裸の姿を撮影したいと言われたからだ。

 裸ときいて尻込みする。しかし、彼は全くいやらしい素振りはなく、芸術家らしい語り口だった。

「裸は芸術なんだ。美大でも裸体のデッサンをするだろ。あれは犯罪行為でもなんでもない。美しさを求めた結果が裸体なのさ。女性の曲線美というのはなんとも美しい。実は俺、美大を出て、この会社に勤めてるんだ」

 彼は天を仰ぎ、芸術を語る。でも、それは本当のことだとも納得できる意見だった。

「それはそうですが……私は全身にあざがあります。決して裸の姿は美しくないのです」

 このあざはあの男につけられた傷だった。つまり、日常的に身体的暴力を受けていたのは事実だった。しかし、誰にも話せずにいた。母親には一番話しづらく、それ以外の大人や同級生にも隠していた。夏でもなるべく長袖を着用し、足も出ない服装を選んでいた。決してお金持ちではない。片親家庭だったけれど、お金がないわけではなかった。あの男が使い込んだりすることで困窮した時期はあったが、母が話し合いでなんとか生活は維持していた。

 学校であざについて相談する気はなかった。結局は保護者に権限があり中途半端に大人に頼っても他人は立ち入る範囲が限られる。下手に親に説教でもされたら何倍になって返ってくるかわからない。そんなことを、経験のない教師や役所の職員はわからない。辛い気持ちなんて誰にもわからない。早く大人になりたい。自立したいと願う日々だった。

 あの男は私が中学に入ったくらいから同居していた。母がいないときに、しつけと称して暴力を振るった。その結果が全身の黒く赤い打撲のような跡。どう見ても不自然な跡。でも、誰も気づかない。気づかないふり。そんなものだ。中学校では部活に入ることもなく、親しい友達もいなかった。不登校になることは余計自分の首を絞めるので、なんとか学校には通っていた。

 母はあの男にとって、お金を稼ぐための道具だったので、暴力は振るわれてはいなかった。母のお金で生活ができている自覚があの男にはあったのだろう。母があの男を心の拠り所にしている事はわかっていた。母の心はとても弱い。それ故、仕方がないことも理解していた。

 童顔で美しい顔をした若いカメラマンが言う。こんなことを言われたのは初めてだった。

「君の傷も芸術だよ。他者にはない哀愁を漂わせている。しかも、作り物ではないから、傷の位置も配置も自然な色合いだ。悲しみと苦しみを表現した写真を撮りたい。もちろん、腕や肩だけでいいよ。表現も芸術も自由なんだ。全てが芸術になるんだよ。俺は人間の心の傷も体の傷も美しいと思っている」

 そう言われ、最初は少しだけ服を脱ぐ程度で全身の写真を撮ったわけではなかった。彼は優しく傷を撫で、話を聞いてくれた。心の傷も撫でてくれたと感じた瞬間だった。普段は無縁なイケメンがこっそり耳元で囁く。

「痛かったね。でも、もう大丈夫。さっきのスカウトマンも帰ったから、俺でよければ話を聞くよ。かわいいね。もっと萌えるポーズをとれる? 俺、直感でわかるんだ。君には芸能の世界でやっていける素質がある。写真をもっと撮らせて。芸術家の血が騒ぐよ」

 カシャカシャとカメラを撮る音が鳴り、フラッシュが光る。モデルの仕事をしてるなんて、まさか私は選ばれた人間なのだろうか。

 最初は制服の普通の写真だった。ポーズをとるだけだ。それから、少し上のボタンをはずして胸が見えそうな辺りまで胸元を開けた。

「大丈夫、見えてないよ。男って見えそうで見えないところに魅惑的なものを感じる生物なんだよ」

 ポーズをとってみてと言われ、モデルになった気分になる。
 彼の話術は巧みで、私の話を聞き少しずつ、私に大人っぽいポーズを撮らせる。そして、きゅっと抱きしめられた。彼からは甘い香水の香りがする。あの男とは違うにおいだった。いい匂いだ。きっといい匂いの人に悪い人はいない。急に真面目な顔をする。

「俺がおまえの初めてになっていい?」

「どういう意味ですか?」

「こういう意味」

 ぎゅっと抱きしめられた。

「痛かったね。かわいそうな体を優しくなでてもいいかな」

 友達も彼氏もいない私に初めて優しい声をかけてくれたのが目の前のイケメンカメラマン。

「あなたの名前は? 凛空っていうんだ。凛とした空って書くんだよ」

「かっこいい名前ですね」

「心のケアが必要な人間がたくさんいる。それは、カウンセラーではできない領域だと俺は思っているよ。それは、恋愛だ。脳にドーパミン、セロトニンが一気に出ると人は幸せホルモンに包まれる。つまり、幸せだと感じられるんだ。辛い過去を忘れられるんだよ」

 ひとめぼれだ。こんなに優しくてかっこいい。服装もおしゃれでかっこよくて一言で言って素敵だ。

「じゃあ、俺が初めてのキスの相手になる」

 強引にキスをされた。悪くない。初キスの相手がこんなに素敵な人だなんて。職業はカメラマンで芸能関係者。なんだかかっこいい。

「私のあざ、嫌じゃない?」

「かわいいよ」
 にこりと笑う顔は歳よりもずっと幼く見える。
 深いキスを何度もされるとそのままベッドに倒れ込む。
 これって恋人になれるのかな。きっと両思いなんだ。彼も一目惚れしてくれたんだよね。

 そんなことをしているうちに、彼は私の全てを奪った。
 むしろ奪われたいと思った。

 愛されているという実感がうれしかった。


 初めての体験は、いつかは奪われるものだ。好きな人と一つになれるなんて幸せの絶頂だ。撮影代としての謝礼はいただいたが、写真を撮っただけなのでたいした金額ではなかった。これからちゃんとバイトを探そう。芸能のモデルのお仕事もできたらいいな。前向きな気持ちで本当にそう思っていた。出会いは突然だ。彼氏ができたのは一番の収穫かもしれない。

 その後、いくら待っても芸能事務所からは連絡がなく、こちらから電話をしても電話番号が使われていないとアナウンスされていた。事務所も移転したのか、既に空きテナントとなっていた。まさか、倒産? 詐欺なんてことはないよね。でも、そんなこと相談できない。

 凛空に会いたい。でも、連絡先がわからない。
 そんな時に、あの男にアダルト動画に出ているのかと問い詰められた。
 アダルト動画を検索していて偶然見つけたらしい。

 『虐待少女』
 なんともいえぬタイトルが目につく。
 あの男のスマホの映像には私の顔が写っており、最初は普通の制服でポーズをとった画像が出てきた。その後、少し胸をみせた感じでボタンを何個か取って撮影した画像。これは、凛空が撮影した写真だ。

 被害届を出すべきだろうか。でも、契約してお金をもらったのは私だ。ただのモデルの仕事だと思ったので、受け取ったのは、わずかなお金だった。

 あの男は独占欲を丸出しにして怒りを露にする。実の親でもないくせに。

「俺が手塩にかけて育てたんだ。実の娘のようにな。でも、俺たちは実の親子じゃない。結婚だって法律上はできるんだ。お前の母親より、若い方がいいに決まってる。経済力は成人したあいつのほうが頼りになるが、体はお前の方がずっといい。でも、俺はロリコンじゃない。中学生なんか興味の対象じゃなかった。でも、もう高校には行って16歳になったんだ。つまり、俺の対象にようやくなったってわけだ」

 にやりと笑う。この男は幽霊や妖怪よりもずっと怖い存在だ。

 そう言うと、あの男は凛空がしたことと同じ行為を始めた。
 行為までの過程が強引で、無理矢理という点だけが違う。
 でも、結果的には同じだ。

 今思い返せば、顔がいいだけの凛空と油まみれの加齢臭のする中年の男の行為自体は同じだった。
 優しく感じたのは気のせいだった。
 心の隙間に入られただけだ。
 殴られるほどの痛みに比べたらマシだった。

 それ以来、あの男はいつも母がいない時を見計らい、私に無理矢理触れてくるようになった。それ以来、私には直接的な体の暴力はなくなった。つまりあの男に殴られなくなった。あざのある女だと萎えるという理由らしい。虐待、暴力の形が変わっただけなのかもしれない。

 つまり、同じ人間だ。凛空の味だと思えばいい。人間の味は所詮は一緒だ。気持ちの問題で、気持ち悪くも感じるだけだ。一度しか会えなかった初恋の人は心の支えになった。

 偽の芸能事務所に騙され、拡散された画像。デジタルタトゥーを入れられた私は学校でも噂になり、停学になった。好きでもない男から抜け出すために私は色々と思案した。でも、経済力もなく高校すら卒業できない状態だと将来的に就職が難しいことは目に見えていた。

 母がその動画を見て悲しまなかったことが一番悲しかった。どこか冷め、諦めた目をしていた。きっと知っていたんだ。私が身体的暴力を受けてたことも、性暴力を受けていたことも。

 見て見ぬふりをする親。冷めた瞳。一番怖いのは自分の母親だった。
 私の怪奇現象は母親の行動だった。
 家を出てどこかで生活をしよう。働こう。でも、高卒すらかなわない私が働ける場所は限られる。頼れる人もいない。どこに逃げたらいいのだろう? 逃れられるはずがない。私の初めてはデジタルタトゥーに刻まれた。

 凛空、助けてよ。恋はどんなカウンセリングより効くんだよね。
 優しい童顔の笑顔を見せてよ。甘い香りをかがせてよ。
 どこにいるの? 凛空。
 あんなに優しく話を聞いて傷を撫でてくれた。あの人に会いたい。

♢♢♢

 ここで書き込みは終わっていた。今までの怪奇現象の中である意味一番怖い話だったように思える。主人公の生き様や境遇。周囲の対応。行き場のない状況。

「この真実っていう人の初恋が凛空なんて皮肉な話よね。しかも、あんたと同じ名前だね。まぁあっちの凛空は詐欺師の犯罪者で最低な男だと思うけどさ」

 凛空は私を見て笑う。

「凛空っていう男、俺みたいにイケメンだったのかな。どんな顔してたんだろうね」
 にこりとする。自分でイケメンと自覚しているあたり、ちょっとムカつく。

「どんな顔って……きっと童顔で目がまあるくて、鼻は高くて、小顔で顎はシャープ。笑顔がかわいいんだよ。髪の毛はサラサラでいい匂いを放っているんだよ。男性であんなにいい匂いの人っていないと思うよ」

「へぇ、なんで、そんなに細かいことを知ってるの? 見た目以外に香りまで知っているんだね」

「あれ? なんで知っているんだろう? 私、画像を見たっけ?」

「真奈は凛空を見たくて何度も動画を見てたよね。もう、彼がどこにいったのかもわからないんでしょ」

 この真実《まみ》っていう人……もしかして、私のこと?
 私の名前は真奈だけれど、ハンドルネームは自分の名前に近いものにした。 
 この書き込みをしたのは私だった?
 一瞬思考が停止した。
 私は何を考えていた?
 凛空が言った台詞はどういう意味?

 傷が疼く。心の傷も体の傷も思い出も痛い。

 真実《しんじつ》は一体何?
 考えているといざなが現れた。突然だったので驚く。
< 15 / 16 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop