出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 一通り実乃莉が話し終わると、深雪はこめかみを押さえながら深呼吸するように「はぁ〜っ」と息を吐き出した。

「とりあえず事情は掴めた。つまり、結婚したくないもの同士意気投合したってわけね。で、交際しているふりをしてしばらくお茶を濁そう。そう言うことでしょ?」
「ご名答!」

 龍が軽く返すと深雪は眉を顰めた。

「ご名答じゃないわよ……。とにかくちょうどいいわ。あなたは採用ね。よろしく、実乃莉ちゃん」

 龍にきつく当たったかと思うと、深雪は実乃莉に向いてニコリと笑う。

「いいん……ですか?」

 呆気に取られたまま実乃莉が言うと、深雪は大きく頷いた。

「もちろん。素性もわかっているし、龍に媚び売って仕事にならない、なんてことはなさそうだし。この人、無駄に顔はいいでしょ? 今までの応募者全員、龍ばっか見て私の話聞かないから不採用にしたのよね」

 それはなんとなく想像できた。実乃莉でさえ龍に見惚れなかったと言えば嘘になる。堂々とした佇まいは老若男女問わず目を惹かれてしまう。それは一緒にいたほんの数時間で実感していた。

「だってよ、実乃莉。よかったな」

 龍は気さくに笑いかける。そんな表情さえ人を惹きつける気がする。

「ありがとうございます。でも……私、ちゃんと働いた経験がないんです。大丈夫でしょうか……」

 急に弱気になり尋ねると、深雪は優しく笑う。

「誰だって最初は未経験よ。実乃莉ちゃん、見た目と違って真面目そうだし、私こう見えて人を見る目あるから。大丈夫」
「はい。精一杯努めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。出産までの短い期間にはなるけど、よろしくね」

 実乃莉から見ればかなり年上の大人の女性。最初こそ冷たいと思われたその雰囲気は、人を包み込むような優しさを持っていた。

 ――そしてこの日が、人生のターニングポイントになるなんて、実乃莉はまだ知る由もなかった。
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