出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
2.人は誰しも間違うもの
「実乃莉ちゃん、じゃあ、あとよろしくね」
「はい。お疲れ様でした、深雪さん」

 午後四時。時短を取っている深雪は慌ただしく自席を片付けると実乃莉に声を掛け部屋を出て行く。
 この会社、株式会社Rに実乃莉が入社し早一ヶ月。二度目の月末を迎え、請求関係やさまざまな締め作業に追われていた。

「龍さん、経費精算の締め日、改めて皆さんに周知しておいて欲しいそうです」

 出会った日に連れて来られた社長室の奥、パーテーションの向こう側へ顔を覗かせると、実乃莉は龍に声を掛けた。
 この部屋の龍の居場所は実質的にここだ。執務用の机ではなく、部屋の奥にある大きなモニターのパソコンの前。
 長時間座っても疲れにくい椅子に座る龍は、キーボードの上に滑らせていた手を止めクルリと実乃莉に向いた。

「りょーかい。ところでどうだ? もう慣れたか?」
「はい。深雪さんが丁寧に教えてくださるので」
「そうか」

 龍に笑いかけられ、実乃莉は無意識に胸を高鳴らせていた。
 最初こそスーツだった龍だが、普段はかなりラフだ。今も白いTシャツにネイビーのチノパンという姿。けれど、それでも周りからの視線を集めてしまうのは、一緒にコンビニへ行っただけで思い知った。

(ただの……憧れ……よね)

 正直なところ、実乃莉にはこの気持ちがなんなのかわからないでいた。
 初めて『皆上さん』から『龍さん』と呼んだときのドキドキも、優しく笑いかけられたときの自分の頰の熱さも、すべて初めての経験だ。
 でもそれは、芸能人に憧れる友人たちと同じようなものだ。きっと彼女たちだって、憧れの芸能人が目の前にいたらこんな気持ちになるだろう。

「そういや、実乃莉。明日の夜、空いてるか?」

 ぼんやりと考えていた実乃莉に、龍は尋ねる。

「えっ? 明日の夜、ですか?」

 一応交際していることになっているが、それらしいことは一切していない。龍は実乃莉が思っていた以上に忙しく、休みらしい休みもないのが現状だったからだ。
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