出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「ここがこの家で一番見晴らしのいい場所」

 当たり前のように龍に抱き抱えられたまま、実乃莉は二階にあるテラスに連れて来られていた。小さな丸いテーブルとウッドチェアが二脚置いてあるだけのスペース。そこに降ろされると、実乃莉はそこから見える絶景に感嘆の声を上げていた。

「……わぁ……。海……」

 実乃莉は全く気づいていなかったが、高台にあるこの邸宅の裏側には、来るまで見え隠れしていた海が広がっていた。
 まだ夏の気配を残す爽やかな青空と、太陽に照らされ眩い光を放つ海は一つの絵画のようだ。見下ろすと、砂浜には水遊びを楽しむ家族の姿が見えた。

「どう? 気に入ってくれた?」
「はい、とっても綺麗です。ずっと眺めていたいくらい」
「そうか。よかった」

 龍はそう言って薄らと笑みを浮かべると、海風に煽られ実乃莉の顔を撫でる髪を掬い耳に掛けた。
 景色ではなく自分の顔をじっと見つめられ、実乃莉の頰は熱を帯びる。その視線に偽りではない好意を感じる。どうすれば自分も同じように返せるか実乃莉には思いつかず、ただ静かに見つめるだけだった。

「……実乃莉」

 先に龍が口を開く。実乃莉がそれに返事をしようとしたところで、龍の胸元からブーブーとスマートフォンの振動する気配がした。

「ごめん、ちょっと出させて」

 龍は謝りながら立ち上がりスマートフォンを取り出した。

「皆上です」

 電話口でそう言いながら、龍はテラスから出ていく。
 実乃莉は緊張から解き放たれ、ほうっと息を吐くと景色に視線を動かした。

 遠くから聞こえるさざなみの音が心地よい。その間を縫って砂浜から子どものはしゃぐ声が届く。
 小学校低学年くらいだろうか。二人いる男の子は父親と波打ち際で走り回り、母親がそれを嬉しそうに眺めていた。

(……いい、な)

 実乃莉には両親とあんな風に過ごした記憶はない。いつも多忙で、一緒にどこかへ行きたいなんて言い出せるはずもなかった。
 そんな寂しい思いを自分の子どもにはさせたくない。漠然とそんなことを思ってきた。けれど年を重ねるにつれ、それすら難しいことなのかも知れないと思う。

(もし……龍さんと結婚できたら……)

 砂浜で遊ぶ父親の姿に龍を重ねてみる。絵に描いたような理想の家族像を思い浮かべて。

(これ以上、願ってはいけない……)

 そう自分にいい聞かせる実乃莉の目に涙が滲んでいた。
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