甘い罠、秘密にキス

ゆっくりと振り返ると、やはりそこには桜佑がいた。
上司の顔をしている桜佑は、私を捉えながら「手伝ってほしい事があるんだけど」と続ける。


「はい、分かりました」

「…藤さんはよろしいですか?佐倉に何か用があります?」

「いえ、大丈夫です」

「では佐倉は連れて行きますね」


──佐倉、とりあえずついてきて。淡々と紡いだ桜佑は、そのまま踵を返す。
置いていかれないよう、慌てて藤先輩に「お疲れ様でした」と頭を下げると「うん、またね」と、彼はやっぱり柔らかい笑みを浮かべた。


桜佑が来てくれて助かった。あの質問に対してどう返せばいいのか分からなかったけど、上手くはぐらかせた。

それに加え、仕事ではあっても桜佑のそばにいられるなんてラッキーだ。
前を歩く大きな背中を見て、思わずニヤけてしまう。


「日向リーダー、手伝いって…わぶっ!」


会場を出て、廊下をどんどん進んでいく彼に向かって声を掛けた直後、桜佑がいきなり立ち止まるから、その背中に思いっきり激突してしまった。


「す、すみません、メイクがスーツに…」

「ちょっとうるさい」

「え?…わっ、」


桜佑の背中に顔面から突っ込んでしまったため、スーツが汚れていないか確認しようとしたけれど、急に不機嫌な声が落ちてきたかと思えば、ひとけのない場所に引きずりこまれた。


「え、ちょ、日向リー…」
「伊織、お前ちょっと目立ち過ぎじゃね?」

「……え?」


仕事モードなのかと思いきや、普通に呼び捨てしてくるから思わず目を見張った。

しかもその声は抑揚がなく、私を見下ろす目も心做しか冷たい。

…もしかして、怒ってる?

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