甘い罠、秘密にキス
近くにあった吊革を掴み、桜佑に「ありがとう」と伝えると、彼はどういたしましての代わりに「ん」と短く返した。
桜佑の熱が離れると、少し寂しい気持ちになる。私に安心感を与えてくれる、高身長で筋肉質な桜佑の身体が好きなのだと、改めて思った。
「さっきの話の続きだけど…そんなにも私を思ってくれてたのなら、あんなに意地悪しなくてもよかったのに」
「あー…オスゴリラとか?」
「どうしよう、今聞いてもちょっとイラっとする」
今がこれだけ紳士的なのに、昔の桜佑は紳士の“し”の字もなかった。だからなのか、何年も前から私のことが好きだったと言われても、正直あまりピンとこない。あの頃のことを思い返してみても、どうしても好かれていたように感じない。
「オスゴリラだけじゃないよ。“お前は男だ”ってずっと言われ続けてたし、私が女子の友達と遊んでるのに、無理やり男性陣の方に連れて行かれたり…」
「あれは…まぁ、うん…」
煮え切らない返事をする桜佑は、視線を私から窓の外に移す。そしてバツが悪そうな顔をしながら、おずおずと口を開いた。
「お前が男だってことを周りに認識させておけば、他の男に狙われることも、彼氏が出来ることもないと思ったから。運良く?おばさんがお前を息子として育ててたし…とにかくあの時の俺は、伊織が誰かに取られることを恐れていたんだとおもう」
「それも独占欲っていうやつ…?」
「多分そう。でもお前が俺の前からいなくなって、初めてこのやり方が間違いだったってことに気付いた」
小学生の男の子が、好きな女の子にちょっかいを出してしまうっていうのはよく聞く話だけど。もしかして桜佑の意地悪も、その類だったのかな。
「あの時は悪いことをしたと思ってる」
「でも、会社で再会した時に私のことオスゴリラって言ったよね」
「あれはお前が初対面のフリするから思い出させてやろうと思っただけで…」
もう昔の話なのに、桜佑なりに反省しているのか、心做しかしゅんとしている。いつもの勢いを失っている桜佑が、なんだか少し可愛く見える。