甘い罠、秘密にキス


それは一体誰情報?私は桜佑から何も聞かされていないけど?

──桜佑は本社に戻ってしまうの?

突然のビッグニュースに、頭が真っ白だ。ドクンドクンと、自分の心臓の音がやけに響いて聞こえる。

いつかこうなることは、最初から何となく分かっていた。なのにいざその場面になると冷静でいられなくなるのはどうしてだろう。

いやでも、桜佑が本社に戻るからといって何か問題があるだろうか。

別にこの婚約が解消されるわけではないし、別れるわけでもない。ちょっと遠距離になるか、若しくは私が退職して桜佑についていくかだけの話だ。…うん、結構な話だね。


「田村リーダー、もうお戻りになるんですか?」

「俺も詳しいことはまだ分からないんですけどね。親御さんが介護施設に入ることになったとか」


詳しいことが分かってないなら、ペラペラと口外するんじゃないよ。と心の中で突っ込みを入れつつ、ふたりの会話を黙って見守る。いま私が口を開いたら、この動揺を悟られそうでこわいから。


「日向リーダーが本社に戻るのも、確定ではないんですよね…?」

「まぁそうですけど、普通に考えたら戻るかなって。元々ピンチヒッターだったわけだし、日向リーダーくらい優秀な人は本社にいた方が良さそうだし」


それに佐倉さんも、もう泣かされなくて済みますしね?
悪びれもなく放たれた言葉に、こくりとぎこちなく頷いた。引き攣らせながらも、無理やり口角を上げて。

もちろん田村リーダーとまた仕事が出来るのは嬉しいし、大沢くんの言う通り桜佑には本社の方が合っているのかもしれない。だからこれは、とてもおめでたい話なんだろうけど…。

だけどこの数ヶ月、毎日のように顔を合わせていたせいか、どうしても寂しいという気持ちが勝ってしまう。


この話、桜佑は知っているのかな。まぁ知ってるよね?大沢くんが知ってるくらいなんだもん。絶対に桜佑の耳には入っているはず。

…でも、だったら少しくらい相談してくれても良かったのに…。


その後も井上さんと大沢くんが会話を続けていたけれど、どんなやり取りをしたのか殆ど記憶に残っていない。


そしてこの日、会社で桜佑の姿を見ることはなかった。

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