結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「で、ベル。何が不満なの? 急に結婚したくなくなるなんて」

「したくないとは言ってないっ! 近いってば」

 公爵家に着くなりルキの部屋に連れて行かれたベルは、ソファに拘束され直球でそう聞かれる。
 じっと不安そうな濃紺の瞳で覗き込まれたベルは長い長いため息を吐くと、

「本当に、結婚したくないわけじゃないんだよ」

 小さくそういって困ったような顔をした。

「じゃあ、どうして?」

「ちゃんと話すから、とりあえずどいて」

 とルキの身体を押して自分の鞄を引き寄せたベルは、中を漁りピンク色の小瓶を取り出す。

「……挨拶行く先々でこんなの渡されたら、嫌にもなるわ」

 ルキの手に瓶を置き、再度ため息をもらした。

「コレは?」

「媚薬。若くないんだからお飾りで外の仕事してないで早く子ども作れって。それができないなら、愛人を容認して後継者を引き取るか、愛人に子どもごと席を譲れって」

 それが公爵夫人の心得だそうよとベルは苦笑して指輪をなぞる。

「公爵夫人になるなら専属侍女が必要だって渡された推薦書。どう見てもあなた狙いでしょ、この子達」

 貴族の庶子などとベルの事を蔑むその口で、順番が入れ替わってしまっただけと婚外子を作ってその子ごと公爵家に入り込もうとする計画をする人間が1人2人でないことに辟易する。

「ごめん、頑張るって言ったのに。でも、上流階級の奥様方相手の立ち回り方が分からない」

 そう言って俯いてごめんと何度も謝るベルを抱きしめて、

「……俺もそんな事になってるなんて気づかなくてごめん」

 それは嫌になるなと納得したルキはベルのチョコレートブラウンの髪を優しく撫でながらごめんともう一度呟いた。

 ベルは商会の準備を進める傍らで、屋敷を取り仕切る公爵夫人の役割の仕事も現在裁量権を持っている執事長や侍女長に習いながら覚えてくれていた。
 ベルは努力家だし、大抵の事はなんでもこなす。屋敷の使用人たちもベルに好意的だからと任せきりにしてしまっていた。

「ベルがおかしいのには気づいてたんだ。言ってくれるまで待とうと思ってたんだけど、早く聞けば良かった」

 ルキはベルを抱きしめたままぽつりと言葉を落とす。

「私も、早く相談すればよかった。ルキが忙しそうだから、自分でなんとかしなきゃって思って」

 溜め込んでいたものを吐き出したベルはほっとしたような口調でそう言ってルキの肩に頭を預ける。
 全部を抱え込んで1人でやるのは限界だった。上流階級の奥様なんて未知の領域、手本になる女主人もいない状況では無理な話だったのだ。

「私、今は商会の仕事頑張りたい。軌道に乗せるまでは、子どもの事は考えられないし、我が子は自分で育てたい」

 みんなに手伝ってはもらうけど、と話すベルの話を聞いたルキは、

「俺も、いつか生まれてくる子は自分で育てたいな。パンがゆなら作れる気がする」

 と笑ってそう答えた。

「ルキが?」

 驚いたように声を上げたベルの顔を覗き込みながら、

「2人に関わる事は2人で決めよう。家の事も、子どもの事も。一緒に沢山話して、一緒に納得できる方法を見つけたいんだ。俺もできること増やすから」

 と優しい口調でそう言った。

「……私の結婚相手が、ルキでよかった」

 ルキの言葉を聞いてふわっとベルは優しく笑う。

「ルキ、私に奥様教育してくださる方をつけてくれる? 味方を作って上手く立ち回れるように頑張ってみるよ」

 負けっぱなしは悔しいものと勝ち気な目をしてそう言った。

「ベルは充分頑張ってるよ。いつもありがとう」

 信頼できる方を探してみるねと約束したルキは、こつんとベルと額を合わせて、

「そんなわけで、結婚の延期はなしという事で」

 にこやかに笑ってそう言ったルキは、結婚に迷いのなくなったベルに優しくキスを落とした。

 その後、レインの母であるモリンズ侯爵夫人をはじめ複数の貴婦人に師事したベルが、自身の仕事も上流階級の貴族として社交もこなすできる奥様として若い女の子達から憧れの眼差しを向けられるようになるのは数年先の未来のお話。
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