結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「それに、従業員の働き方も考えていきたいんです。例えば自宅で作業できるようにする、とか」

「自宅で?」

「お針子さん達の働き方も納期制にして自由度高く、時間に融通がきくようにしてあげられれば、小さなお子さんを抱えているママも隙間時間でお金稼げるようになると思うし」

 先程まで楽しげに語っていたベルからふと表情が消える。

「そんな仕事があったら、弱い立場につけこんで労働力を買い叩かれなければ、あんなにいくつも仕事かけもちしなくて済んだんです。無理矢理家庭と仕事を両立させなければ、ママはきっと死ななかった……から」

 ママというのは、ベルの産みの母親だろう。そう口にした時のベルは、とても硬い表情をしていて、今にも泣き出しそうだった。

「って、そんなのルキ様には関係のない話でしたね」

 それはほんの一瞬の事で、苦笑気味にそう言ったベルの目から涙が落ちることはなかった。

「……随分、立派な母親だったんだな。うちとは大違いだ」

「ルキ様のお母様?」

「子どもに見向きもしない。金遣いも荒い。男を取っ替え引っ替えした挙句の果てに男と駆け落ち心中。正直、いなくなって清々した」

 何故、ベルにこんな話をしているのだろうと思いながらも、毒気を孕んだ言葉が止まらず、ルキは表情を無くしたまま淡々と言葉を紡いでいく。

「シルはまだ小さかったから覚えてないだろうが、あの女がいた間の我が家は地獄でしかなかった」

 その目にベルは映っておらず、どこか遠くの国の話でもするかのようにルキは語る。

「母親の男に擦り寄る甘ったるい声が、媚びるような目が、今でも頭から離れない」

 目を閉じて思い浮かぶその光景は、今でもルキを苦しめる。

公爵家(おれ)に近づいてくる女なんてみんなそんな奴ばっかりだ。……吐き気がする」

 だから、女は嫌いなんだ。
 それでも、家のためにいずれは誰かと結婚しなければならない。
 こんな自分が、まともな家庭を築けるとは到底思えないけれど。

「……なるほど、それで拗らせちゃったんですね」

 ふんふん、と聞き終わったベルは白い顔をしているルキの前に淹れたての温かいホットミルクをおき、蜂蜜を勝手に入れてくるくると混ぜて差し出す。

「……悪い、忘れてくれ」

「分かりました。忘れます」

 とりあえず、1杯いかがです? とルキにホットミルクを勧め、

「で、本契約なんですけど、早速ですが契約内容を見直したくて。ルキ様は以前の提示に追加でご希望あります?」

 先程までの重苦しい雰囲気など微塵も感じさせずにそう言った。
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