初めての愛をやり直そう
 拓斗は明晰であるはずの脳が完全に停止し、硬直してしまったことをしばらくしてから悟った。

 茜の言葉を理解するのに時間がかかった。

「離婚……茜、が?」
「そうよ。私、結婚してるのよ。名字は榛原じゃなくて、藤本っていうの」

 そう言えば――拓斗は思った。

 早く茜と話がしたいばかりにまったく意識しなかったので聞き流してしまったが、さっきのウエイトレスがそんなことを言っていたではないか。

 ――藤本さんから聞きました。いってらっしゃい。

 苦いものが込み上げてくる。

「職場で知り合った人なんだけど、たった三年で会話のない夫婦になっちゃった」

 笑いながらの自虐的な言い方が拓斗には決定的のように聞こえた。

 茜の顔には苦笑が浮かんでいる。あきらめている顔だと察せられた。修繕の可能性は低そうだ。

「浮気してるとか?」
「それもあるかもしれない。でも……なんというか、間違えたんだと思う」
「間違えた?」

「そ。決定的な『なにか』があって関係が壊れるとかじゃなくて、毎日の生活の中で少しずつ『なにか違う』って思う、その積み重ね。子どもがいればまた違うのかもしれないけど、いないしね。だけどそう簡単に離婚するってのもどうかと思って、お互いに我慢して暮らしてる、そんな感じ。いくら離婚が珍しくないって言っても、やっぱり会社とかで気づまりじゃない? だから夫も言いだせないのだろうし、私もそう。こんなもんだ、どこもこんな感じだって言い聞かせてやり過ごす。だから気分転換にバイトすることにしたのよ」

「……なるほど」

 茜は、でも、と続けた。

「浮気っぽいことはしてると思う。経理の部署にいるのに接待とか言うのよ? バカでしょ。あるわけないじゃない。でも追及する気はないの。浮気の証拠を掴んで責めるのなら、なにも知らずにさっさと別れたほうがいいと思う。そしたらお互い傷つけずに済むじゃない。問題は私の生活なのよね」

「…………」

「現状維持なら生活には困らない、子どもができたら変わるかもしれない、でも時間は惜しい。永遠のループって感じ。私はやっぱり意気地がないのよ。聞けばいいことを、いつも聞けない」

 いつも、という言葉に力が入ったように思う。上目遣いに見る瞳がなにか言いたげだ。

 拓斗は目を見開いていた。目の前に座る茜が、十年前の茜に重なって見えた。

 希望はあるのにあきらめてしまったまなざしで寂しそうに笑う。

 儚げで頼りなくて、それでいて愛しく感じさせるあの時の茜が目の前にいる。

 いつも、に力がこもったのは、大学進学後の疎遠になりかけている時、どうしてるのかと聞けばよかったという意味?

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