初めての愛をやり直そう
第五章 現実の重み
 家に帰ってきて、鍵を差し込もうとして手が止まった。灯りがもれている。帰っているのだ。茜は驚きと同時にヒヤリと冷たいものを感じた。

「ただいま」

 リビングでテレビを見ていたようだ。健史《たけし》が顔をこちらに向けた。目が冷たい。怒っているのは明らかだった。

「今日は早かったのね」

 なんの気もなく話しかけているように頑張ってみるが、耳には激しく打つ鼓動が響いてうるさいぐらいだ。

「お前、メシの用意もせずになに遊んでるんだよ。バイトは五時までじゃなかったのか?」

 ろくな返事しかしないとわかっていても、想像通りの不機嫌な様子に不安は影をひそめて怒りが湧いてくる。それをグッとのみ込んだ。

「今日はローテーションで六時だったの」
「だったら遅くても七時には帰ってこられるだろうが。今、何時だよ!?」

 時計は八時半を過ぎたところだ。茜はタイミングの悪さを呪った。いつもは十時を過ぎないと帰ってこないのに、今日はどうしたのだろう。

 反応の悪い茜の様子に、健史はますます苛立ったようだ。

「ご飯、すぐ作る」
「食ってきた」
「え?」

 思わずこぼしてから、今度は明確な怒りが湧いた。

 だったら騒ぐことなどないだろう、と。

 自分は毎日遅いくせに、私が少し遊んで帰ってきたら文句を言うのか、と。

「今日はどうして早かったの? 遊ぶ人がいなかったから?」

 怒りに任せて棘のある嫌味が飛びだす。それを聞いた健史が立ち上がった。そして歩み寄ると、いきなり茜の頬を引っ叩いた。

「あっ」
「うるさい! 六時から今までどこでなにをやってたんだ!?」
「…………」
「専業主婦が家事しなきゃなんのために生きてるんだ!? 遊び回る暇があるなら働けよ」

 今日の健史は虫の居所が悪いようだ。

 そんなことはすぐにわかったが、茜も日頃の鬱積した気持ちを抑えきれず、言い返した。

「だからバイト始めたんじゃない! 健史が惰眠を貪ってるとか、専業主婦は暇人だなんて言うからっ! なによ、自分は毎日飲み歩いているくせに、私がちょっと友達とお茶して遅くなったら叩くわけ!? サイテー!」

 もう一発、平手打ちが飛んだ。

「いたっ」
「クソ女!」

 吐き捨てると、健史は身を翻し、鞄を手にして部屋から出ていってしまった。

(なによ! なによ! なによ! なによ! どうしてこんな思い、しなきゃいけないの!?)

 茜の脳裏に拓斗の笑顔が浮かんだ。

 彼の笑顔が押し殺していた言葉を浮かび上がらせ、茜を縛りつけた。

(自由になりたい。こんなの、ヤだ。こんな死んだような生活、もうイヤだ。自由になりたい!)

 とめどない涙が溢れ、零れ落ちた。

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