婚約破棄された崖っぷち令嬢ですが、王太子殿下から想定外に溺愛されています

 その場にいた三人が声のした方に視線を向けると、控え室奥の壁際に壁に向かって置かれたソファーから一つの影がむくっと立ち上がった。

「王太子ヴァレンス・セルタ・クリスフェロンの名において、ロイドスタ男爵令嬢の聖女候補の任を解くことを許可する。お前らが言う、真実の愛とやらを好きなだけ全うしろ」

 王族の象徴である、中央に薔薇とクロスした一対の剣の形の紋章を右胸につけたヴァレンスが、イライラとした様子で前髪をかきあげる。その紺色の髪が部屋の明かりに照らされて、アルテミラの目にはほんのり青っぽくも見えた。
 豪華な飾りのついたジャケットの上からでもわかる、すらりとした手足に引き締まった体躯。キリリとした目元と鼻筋の通った端整な顔立ちには、思わず見惚れてしまいそうになる。

 アルテミラの数少ない社交でも、常に令嬢たちのなかで一番人気の話題はヴァレンスのことだった。
 未だ決まっていない王太子の婚約者が誰になるのかという予想と同じくらい真剣に、ヴァレンスの顔や姿がどれほど素敵か、魔法や剣の腕前が素晴らしいのかが熱く語られていたことを思い出す。

 実際にこうして彼を間近に見ると、その圧倒的な人気の理由がわかった。
 ヴァレンスの見るもの全てを魅了するような琥珀色の瞳が鋭い目つきに変わると、その視線はトマスから流れるようにアルテミラに向けられた。

(……噂通り、とても格好いいわ。けれど……ちょっと、あの目が怖いかも)

 この国の王太子の登場に、初めて彼の姿を間近で見たアルテミラは驚きのあまり声も出ない。トマスたちも顔面蒼白になっている。
 それはそうだろう、聖女候補になれなかったアルテミラを捨てて、選ばれたクレアージュと婚約をすると宣言した直後の出来事なのだ。
 まさか発表直前となって聖女候補を降ろされるなど、彼らは想像もしていなかったはず。むしろ、どさくさに紛れ意気揚々と婚約の発表をしようとしていたのだから。

 ヴァレンスは億劫そうに首を振ると、真っ青な顔で立ち尽くす二人には目もくれず歩き出した。アルテミラは慌ててドレスの裾を持ち、頭を下げて臣下の礼をとる。

(こんな恥ずかしい場面を王太子殿下に見られてしまうなんて……)

 早くこの場から離れたい。その一心で、動かずじっと置物のような気持ちでいた。しかし、なぜかヴァレンスはアルテミラの前で立ち止まった。

「……お前は?」
「あ、アルテミラ・フーデンタルでございます。王国の煌めく星、王太子殿下にご挨拶申し上げます」

 声をかけられてしまったからには挨拶をしなければ不敬に当たる。それでも恐れ多いと、床から目を離さずにいると、頭上から苛立った声で命令されてしまった。

「おい、顔を見せてみろ」
「……はい。仰せのままに」

 直接目を合わせないようにそっと顔を上げかけたアルテミラの顎にヴァレンスの長い指が添えられ、そのままクイッと持ち上げられた。

(……え? ええっ!?)

 突然の出来事にアルテミラは思わず視線を逸らしてしまった。

(しまった! よけちゃった! でも、今さら王太子殿下の顔を見るわけにもいかないし……)

 視界の隅に映るヴァレンスの無遠慮な視線が痛いほど突き刺さってくる。
 アルテミラはどうしたらいいのかわからず、グッと歯を食いしばった。冷や汗が頰を伝う。もはや居心地が悪いなどというレベルではない。
 ただでさえほんの数分前に、婚約者から婚約の破棄を言い渡された身なのである。

(あああ、早く、早く帰らせて……。この際、婚約破棄はサクッと受け入れますから。だから私はこの二人とはもう関係ありませんので、お願いします……!)

 もうここまでこじれてしまえば、トマスとの関係修復はどうしたって不可能だろう。
 それならば両親には申し訳ないが自分は結婚など諦めて、これ以上何にも巻き込まれないように領地で静かに暮らしたい。
 そんなことを考えながら探るような視線に耐えていると、パーティーの開始を知らせる鐘の音が響いた。控え室にもその音が届くように、拡声の魔道具が置いてあったようだ。
 それを聞くと、ようやくヴァレンスがアルテミラの顎から手を離した。
 なんとか目を合わせずに済んだアルテミラは、これでこの気まずい雰囲気から逃げられると、ほっと息を吐いた。
 しかしヴァレンスは軽く舌打ちをして、前髪を気だるそうにかきあげると、不機嫌さを隠すことなく言った。

「これで聖女候補が一人足らなくなった。原因はお前にあるようだから、お前が代わりになれ」

(……はあ? え、待って。代わりって……聖女候補の代わり?)

 ヴァレンスは、わけもわからずに呆けたままのアルテミラの手をエスコートするように取ると、控え室の扉へと向かう。引きずられるように足を動かして、なんとかそれについていこうとするが、それにも限界というものがある。
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