恋人は謎の冒険者
フェルはドリトシュ夫妻の営むアパートを買い取り、マリベルを破格の安値で住めるように手配してくれていた。
そしてアパートには不審者の侵入を防ぐ防御魔法を掛け、ついでにマリベルにも色々な防御魔法を何重にも掛けていた。
その際、エミリオが掛けた魅了も破っていた。

「俺からすれば、あんな魅了魔法は子供騙しです」

その子供騙しの魔法に掛けられていた自分としては、素直に頷けないところだ。

「アベルが…魔法をかけるなら、直接体液に馴染ませた方がいいとか言うから、どうするんだって聞いたら、唇と唇を重ねろと…恥ずかしかったけど、俺も興味があったから」
「そ、そうなんだ」

口づけについての説明も、花束のことも、フェルはとうやら副団長に半分からかわれていたようだ。

「いっつも国王陛下への報告や、周囲との対外的な交渉を押し付けていた腹いせらしい」

フェルナンド=オーギル
それがフェルの今の本名。
フェル=カラレスは、それ以前に彼が名乗っていた名前だ。

マウリシオ=オーギルの養子になり、伯爵となっても彼が孤児だったことを知る者は彼を影で蔑み、馬鹿にしていた。
国王陛下からも一目置かれ、王太子殿下の腹心と言われても、貴族たちの中には彼を認めない人たちが多い。だから無用な軋轢を生まないためにも、副団長のアベルが表に立つことが多かった。
「顔と今の地位で寄ってくる女性も多いのに、それらからも全部逃げて、自分に相手をさせてきたから、いざという時、何もわからないんだ」と言うのが彼の言い分だった。
女性にまったく関心を示さず、アベルたちとばかりいるので、団長と副団長が出来ているという噂もまことしやかに囁かれていたそうだ。

人嫌いで社交に疎いフェルは、そんな噂が流れていることをまったく知らなかったらしい。

「黙っていたこと、騙していたこと、怒っていますか?」
「驚いたけど…謎は解けてすっきりしたわ」
「俺には貴女しか考えられない。貴女が俺ではだめだと言うなら、俺はずっと一人でいる」
「私は…フェルさんと一緒にいるのは嫌じゃない…むしろ…好き。でも、あんなたった一日のほんの短い出会いで、そこまで人生を決めてしまっていいの?」

マリベルに取ってはずっと忘れていた出会い。思い出した今も、過去の彼との出会いに特別感はない。
むしろ、今の彼との思い出の方がずっと鮮烈だ。

「君は俺の瞳を『綺麗だ』と言ってくれた。不気味だとか、うっとおしいとか、目障りだと言われてきた俺には、それが嬉しかった」
「そんなこと…だって、とても綺麗だもの」
「君の緑の瞳だって、エメラルドグリーンで綺麗だ」
「ありがとう…」

やはりあの日を特別だと思ったのは自分だけだった。それは当然だと思った。
お世辞とかその場しのぎの言葉が言えないフェルの言葉は、素直な分直球でマリベルを打つ。

「それに、君は怪我をした俺を治療してくれた。俺を傷つけるやつはたくさんいたけど、治してくれたのは君だけだ」
「そんなこと…大したことでは…」

父の言いつけを破って勝手に頼まれもしないのにやったことだ。それまでも傷ついた小動物などを勝手に治療していた。
でも、母親は治せなかった。どんな治療術士も、命運が尽きた者は治せない。

「もうひとつ。串焼きを奢ってくれた」
「別に、あれも私が食べたかったから」
「焼き立ての肉汁が滴る串焼き。あの味は忘れない。カビたパンや野菜くずすらない水みたいなスープしか口にしたことがなかった。盗んだものじゃなく、食べたのも初めてだった。どんなご馳走もあれを上回るものはない。あ、マリベルさんが作ってくれたものは別です」

フェルに取ってはあの日マリベルが彼に対してやったこと全てが、特別なこととして記憶されている。
マリベルに取ってはなんともないことも、それまで底辺で地べたを這うように生きてきた彼には、一筋の光に思えたのだろう。

「え、マリベルさん」

マリベルの瞳からポロポロ涙が溢れた。

「ど、どうしたんですか?」
「フェルさん、私…」

手を伸ばし、フェルの手をギュッと握り締める。

「私…あなたを幸せにしてあげることが出来ますか?」
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