千燈花〜ETERNAL LOVE〜

粉雪の舞う中で

 ポトン、ポトン、茅葺屋根から水滴の落ちる音が聞こえる。冷たい空気と共に冬の淡い日差しが戸の隙間から入り小屋の隅々まで照らしている。

 良かった…今日は晴れている…宮に帰らないと…

 「小彩(こさ)…起きて…宮に帰らないと…」

 「ふぁ~…もう朝ですか?まだ眠たいです」

 よっぽど昨夜の酒が美味しかったのか六鯨(むげ)も使用人たちも体を丸めてぐうぐうと大きないびきをかいて寝ている。(かめ)の蓋を開けると中身は空っぽで、梅の良い香りだけが小屋中に漂った。

 「さぁ、もう起きて戻りましょう」

 寝ている小彩(こさ)の体をゆすった。

 「はぁい…」

 小彩(こさ)はあくびをしながらけだるそうに答え、のそのそと起き上がった。帰る支度をし大いびきをかいて寝ている六鯨(むげ)を起こし小屋を出た。日差しはあるものの昨日よりも格段に冷えこんでいる。凍りつくような澄んだ空気を吸い込むと、鼻がツーンと痛んだ。

 帰り道、飛鳥川は水かさを増しじゃぶじゃぶ、ごぼごぼと激しい音を立て流れていた。
 それにしても酒を飲みすぎてなどいないのに頭がずしんと重い…そうだ、きっとあの夢のせいだ…


 「…ねぇ小彩(こさ)、昨日悪い夢を見て夜中に目が覚めたのよ…ひどく喉が渇いて、外の水飲み場に行ったの。そしたら琴の音が聞こえたの…」

 「琴の音ですか?風の音ではなかったのですか?」

 「えぇ、確かに琴の音よ。透き通るような美しい音色だった、でも…どこか寂しげで儚くてやけに心に沁みたわ…」

 「さようでございますか…でも、嶋宮(しまのみや)のお屋敷で琴を弾かれる方は存じません…まさか幽霊ではないですよね!?」

 「ゆ、幽霊⁉︎そ、そんなわけないと思うわ!」

 とは言ったものの、あの時はまだ酔いが残っていたし…おかしいわね、夢でも見ていたのかしら…急に自信がなくなった。

 それにしても林臣様が蘇我入鹿だったなんて…今までは憎たらしい奴とさえ思っていたが、今後の彼を待つ壮絶な最後を思うと、少し胸が痛んだ。

 でも仕方ない、蘇我入鹿(そがのいるか)山背大兄王(やましろのおおえのおう)と彼の家族全員を斑鳩寺で自害にまで追い込む非道をするのだ。

 自業自得とはまさにこのことなのだから…

 「ねぇ、小彩(こさ)ずっと聞きたかったのだけれど…中宮様のお亡くなりになったご子息はずっと飛鳥の都で住んでいらしたの?」

 「え?東宮聖王(とうぐうせいおう)様の事でございますか?」

 東宮聖王(とうぐうせいおう)?あの法隆寺の薬師如来の背に刻まれていた?

 「その方が中宮様のご子息?」

 「はい…東宮様はずっと斑鳩の地で仏教に傾倒され、布教に熱心に取り組まれておられました…当時は中宮さまも斑鳩寺のすぐ近くに宮をかまえていたのです。ですが…数年前に病にかかってしまって…誰からも敬われ、人徳人望のあるお方でしたのに…。あの時の中宮さまの悲しみようといったら、今でも思い返すと胸が張り裂けそうです」

  「そう…」

 東宮聖王(とうぐうせいおう)とは竹田皇子(たけだのみこ)のことだろうか?…でも歴史上では竹田皇子(たけだのみこ)は早世されたはず…それとも別のご子息?…全くわからない…。どちらにせよ先に息子が逝ってしまうなんて、親にとっては一番不幸で酷なことだ。中宮さまのご心痛は計り知れないと思い胸が痛んだ。

 小彩(こさ)が続けて言った。

 「東宮様が亡くなったあと、先代の大王様も後を追うようにお亡くなりになられたのです。先代の大王様もまた生前は中宮様を大変助けられ、朝廷の(まつりごと)を執り行っておりました。今は茅渟王(ちぬおう)さまが大王となり、政務を執っておられますが…」

 「そう…」

 やはり、日十大王(ひとだいおう)こと彦人皇子(ひこひとおうじ)茅渟王(ちぬおう)様のお父様ね…

 「ところで、…山背大兄王(やましろのおおえのおう)様を知ってる?斑鳩付近に住んでいらっしゃるかも…」

 唐突だったが、思い切って聞いてみた。

 「山代王様ですか?」

 「ええっと…似ている名だけど、きっと別のお方だと思うわ…」


 「そうですか…山代王様ならもちろん存じておりますが、斑鳩の地に住まわれる山背大兄王(やましろのおおえのおう)様は…わかりません、お知り合いですか?」

 「んん…違うの何でもないわ」

 慌てて首を横に振りごまかした。よくよく考えれば山背大兄王(やましろのおおえのおう)が誰なのかわかったところで、この先起こる歴史は変えられない。しかも日本書記が正しければ悲惨な結末だ。知らない方がいいのかもと考え直した。

 それよりも自分がなぜこの世界に来たのかがいまだ謎のままだ。何か意味があるのだろうか?

 確実に言えるのはタイムマシーンに乗り、のんきに歴史を見にきた観光客ではないという事だ。まずは自分の運命の心配をしなければと思い気が滅入った。

 足のつま先が地面の冷たさでジンジンと痺れてきた。林の中に小さな可愛らしい黄色の蕾を持った蝋梅(ろうばい)の木が見える。梅の香りが一瞬した気がして林臣(りんしん)を思い出した。彼がもし本当に蘇我入鹿(そがのいるか)だとすると、彼は三韓の儀で暗殺されてしまうのだろうか?…ふっと頭の簪に手を触れた。
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