公爵令嬢からの手紙 ~かつて愛していた皆さまへ 私のことなどお忘れですか?~

「どうして。どうして今更」

 表情に怯えを貼りつけかせたミレイアは、ドレス姿のままベッドに潜り込んでいた。
 全身が震え、冷や汗が止まらない。
 それは、外国語の授業がはじまる少し前に届いた一通の手紙が原因だった。

 ――お元気にしておられますか? 私のことはもう気にせず、幸せになってくださいね。私も静かに暮らしております。王太子妃殿下の人生に幸多からんことを お祈りしております。リーナ・ベルシュタ――

 腹立たしいほどに美しい筆跡を見た瞬間、ミレイアは悲鳴をあげていた。
 手紙から手を離せず、そのまま気を失いかけたくらいだ。ただでさえ周囲から白い目を向けられているのに、手紙ひとつで失神したりなどすれば、どんな噂をたてられるかわからない。
 だからせめて授業だけでも受けようとしたが、最悪なことに新しい教師は青い目をした女性だった。
 優しい言葉遣いに上品な振る舞い。
 決してこちらを責めず穏やかな口調で指導してくれる態度。
 それらすべてがミレイアの中に残った彼女、リーナ・ベルシュタの記憶を呼び覚ます。

「大丈夫ですか?」

 相づちも打てなくなったミレイアを気遣う教師の言葉が、リーナの面影に重なる。
 気がついた時には教師に向かって叫ぶように謝罪の言葉を投げつけ、自室に逃げ込んでいた。呼吸がままならなくなり、布団に潜り込んでがたがたと震える身体を必死に抱きしめた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 子どものように謝りながら、ミレイアはぼろぼろと涙をこぼした。


 ミレイアは、王都の片隅で働く針子の娘として生まれ育った。母親は貴族の屋敷に仕えていたメイドということもあり、上品な作品を仕上げると仕事の評判は高かった。
 母譲りの柔らかなストロベリーブロンドに、榛色の大きな瞳。愛らしい顔立ちは人形のようだと賞賛されていた。
 暮らしぶりは貧しくはないが、決して豊かでもない。母子で肩を寄せ合う生活は大変ではあったが、ミレイアは十分に幸せだった。
 しかし、そんな生活を一変させるような出来事がミレイアに訪れた。
 父親であるグラセス男爵が迎えに来たのだ。

「私がお前の父親だ。ふむ、思ったよりも私に似ていないな」

 男爵家のメイドだった母親と関係を持ち、孕ませた父親は手切れ金だけを手渡して別の女性と結婚したのだという。
 知らなかった事実に当惑するミレイアに、父親はさらに続けた。

「お前には我が家の娘として王立学園に入学してもらう」

 父親が言うには、彼ら夫婦の間には子どもができず跡取りがいないのだという。そこでかつてメイドに生ませたミレイアの存在を思い出したのだ。

「婿を迎え我が家を継げ」

 決定事項として伝えられたそれに、ミレイアは困惑し最初は逆らった。
 だが、母親は躊躇うことなくミレイアを父親に引き渡した。
 その手に金貨が詰まった大きな袋が握られていたのをミレイアは見逃さなかった。
 金で売られたミレイアを待っていたのは、養母となった男爵夫人からの厳しい指導だった。勉学にマナーなど、貴族令嬢としてミレイアに足りないものを叩き込まれた。泣きながら食事を取り、慣れないコルセットに悲鳴をあげた。
 学園に入学してからも、息が詰まるような生活は変わらなかった。寝る間を惜しんで勉強して、 ようやく人並みの結果しか出せない。正しい礼儀作法を知らないミレイアにはまともな友人もできず、孤独を噛みしめる日々。
 そこに手を差し伸べてくれたのが、王太子のセルヒオだった。
 絵本の中から出てきた王子様そのものだったセルヒオに、ミレイアは恋に落ちた。
 こんな素敵な人が恋人だったら。自分を守ってくれたなら。そんな空想はいつしか強い願望になり、少しでもセルヒオの興味を引くために、必死で話題を探した。
 会話の中で、最もセルヒオが興味を持ってくれたのが、周囲のミレイアへの態度だ。
 引き取られた庶子という立場のミレイアは、生粋の貴族育ちである同級生から、悪意を受け取ることが多かった。
 セルヒオと一緒の時間を過ごすようになってからますます嫌がらせは増えたが、育ちのいい彼らが与えてくる攻撃など些細なものでしかない。本当は平気だった。。
 しかし、ミレイアは嫌がらせに脚色を加えて語って聞かせ、セルヒオから同情と庇護欲を引き出した。
 セルヒオの視線にミレイアが求めるような熱が籠もることはなかったが、傍にいてくれるだけでも十分だった。
 慣れない暮らしの中で、セルヒオとの時間が唯一の癒やしで救いだったのだ。
 だからこそ、ミレイアはリーナが羨(うらや)ましくて仕方がなかった。
 生まれながらの貴族。恵まれた容姿と才能。約束された未来。何より、あのセルヒオと永遠に生きられるという立場。
 もし少しでも彼女が高慢で尊大な人間だったなら、抱いた感情は違ったかもしれない。

「あなたがミレイア様ね。ごきげんよう。困ったことがあったら何でもおっしゃってね」

 春の日差しのような優しい笑みを浮かべるリーナは完璧な淑女だった。まとう空気はどこまでも穏やかで、静かな湖面を思わせるようなたおやかさに満ちている。
 ミレイアの立場を案じ、率先して声をかけてくれた。他の貴族令嬢との交友を橋渡ししてくれたし、流行についても教えてくれた。
 もしリーナのようになれたなら。リーナと同じになれたなら。
 そんな欲望が、あの事件を引き起こしてしまった。
 リーナはその立場上、交流関係が広く信奉者も多い。常に傍に居た男子生徒のひとりが、リーナに歪んだ恋愛感情を向けていることにミレイアは気がついてしまったのだ。

(もし彼とリーナが恋仲になってくれたら)

 魔が差したとしか言いようがなかった。リーナの筆跡を真似て男子生徒に手紙を書いた。本当はセルヒオとの婚約が嫌だと嘘を綴り、連れ出してくれる王子様を待ち望んでいるというありもしない作り話をでっちあげた。
 男子生徒はその作り話を信じ、夢中になっていった。
 そして、あの事件が起きてしまった。
 リーナへの思いを爆発させた男子生徒は、何を間違ったのかミレイアに襲いかかったのだ。
 俺がリーナの憂いを払うと目を血走らせた男子生徒に追いかけ回され、ミレイアは学園のらせん階段から落ちてしまった。
 その時にできた傷は、今もミレイアの右足にはっきりと残っている。
 自らの犯した罪と事件に巻き込まれたショックでミレイアは何日も寝込んだ。
 そして目が覚めた時には、すべてが終わっていた。リーナはミレイアを襲わせた罪で婚約破棄のうえに、国外追放。
 何が起こったのか何もわからなかった。
 確かに男子生徒はリーナを愛するが故に事件を起こしたが、決してそれはリーナの指示でなかったということを、ミレイアが一番よくわかっている。
 何より、リーナはずっとミレイアに親切だった。
 一度だって虐げられたことなどなかったのに。
 事件を起こした男子生徒は投獄中に自決したという。
 リーナには何の罪もないという手紙を残して。
 皮肉にも、それがリーナ追放のトドメになったことを彼が知らないままなのは不幸中の幸いなのかもしれないとさえ思う。
 このままではいけないと真実を告白しようとしたミレイアだったが、セルヒオがしきりに自分を案じ謝ってくれるのが嬉しくて何も言えなかった。
 誤解に乗っかり、悲劇の乙女を演じ、セルヒオの庇護に甘え、その心を勝ち得たのだ。
 父親である男爵は手のひらを返したようにミレイアを珍重し、褒めそやすようになった。
 厳しかった男爵夫人ですら、今では媚びを売ってくる。
 市井で暮らす実母は『本当はずっと案じていた』と手紙を送ってきた。
 優しいセルヒオ。王太子妃という確固たる地位。
 庶子でありながら、王子との恋を成就させた憧れの乙女として称えられる快感。
 何もかもがミレイアの理想通りだったのだが。

(ごめんなさいリーナ様。ゆるして)

 本当はずっと怯えていた。いつかすべての真実がつまびらかになってしまうのではないかと。
 あの事件の後、男子生徒の生家は取り潰しになり家族は離散したという。
 彼には学園への入学を控えていた妹がいたと聞いた時は、罪悪感で胸が押し潰されそうだった。
 リーナのふりをしてミレイアが男子生徒に書いた手紙は、見つかっていない。
 燃やして捨てていてくれればと願っているが、もし表に出てきたら。
 リーナをよく知る者が読めば、筆跡が違うことに気がつかれる可能性は高い。
 何より、その文字がミレイアのものに似ていることに勘づかれたら。
 真実の露見はすべての破滅を意味する。
 厳しい妃教育も、不安の増大を後押しした。男爵家に引き取られた時などとは比べものにならない勉強量。
 熱意溢れる指導に応えられず、周囲の視線がどんどん冷たくなっていくのがわかった。
 あからさまにリーナと比べ、見下し嘲られているのがわかる。
 教師を代えてもらいセルヒオに手助けしてもらっても、状況は一向に改善しない。
 父親である男爵は、ミレイアの置かれている状況を知らないのか、もっと便宜を図れ、援助をしろと要求ばかりしてくる。
 これまで何もしてくれなかったくせに、という苛立ちがミレイアの心をどんどん追い詰めた。
 そしてとうとう、リーナから手紙が届いた。
 文面には何ひとつ確かなことは書かれていない。誰に読まれたところで問題のない内容だ。
 だが、ミレイアにはわかっていた。リーナは全部気がついていると。そのうえでミレイアを脅しているのだ。

(ダメ、ダメよ。渡さないわ)

 セルヒオも、王太子妃という立場もすべて渡せない。
 ここはようやくミレイアが得た夢の場所なのだ。どんな手段を使ってもしがみつかなければならない。

(どうしたらいいの……!)

 誰に頼ることもできない。自分だけで解決しなくてはならない。
 恐怖でどうにかなりそうな己を叱責しながら、リーナはのろのろとベッドから起き上がる。
 幸いにもまだミレイアに心酔している使用人たちはいる。
 彼女らに頼めば、きっとリーナの居場所を突き止めてくれるだろう。

「この手紙の、出どころを調べなきゃ……」

 うつろな表情で呟きながら、リーナは静かに部屋を出たのだった。

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