― 伝わりますか ―
「あ……あれを見てください。あんな所に弟切草が……」

 暗闇の中にうっすらと黄色い花影が見えていた。悠仁采の身も心も癒した花だ。

「おじじ様、今頃何処かで静かにお休みになられているかしら……」

「きっと──。あのお方は二度も橘を助けてくださった……元気でいてくださらねば、恩も返せませんからね」

 二人は弟切に近付き、しかし愛でるのみで、摘むことはためらった。

「右京様のお家を……?」

「詳しくは中で話しますよ。どうやら食事の仕度も出来たようですし」

 振り向けば、弥藤多と雫が二人を呼びに、障子の影から顔を覗かせていた。

 右京と秋はお互いの手を取り、ゆっくりと弟切に背を向けた。温かな食卓に賑やかな子供達の声。ささやかながら小さな幸せの始まりが、戸口の隙間から光差していた──。



 ──この一件の後、敏信は──。
 
 悠仁采の首と秋の櫛を信長の御前に差し出し、結果異例の重用を受けるが、本能寺の変後の彼と、水沢の行く末を知る者はいない。

 唯一つ、以降の彼が伊織の名を使うことはなかった。


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