― 伝わりますか ―
 しばし待ってみても返事をする気配がないのに気付いて、彼は少し不機嫌になった。蝉は何処かへ消えたらしく物音一つなく、ひっそりとした山に戻る。その者は緩やかに彼と視線を合わせ、哀しみを含んだ瞳のまま首を縦に振り、俯いて唇を噛みしめた。蒼白な肌が(じょう)を映し始めていた。

「……お、し……」

 そのまま彼は絶句した。

 再び蝉の声がうるさく耳を責める。

「……すまんっ」

 無造作に床の側に腰を下ろす。それが彼の流儀なのだろう。垂れてしまった首からは“すまない”という気持ちがありありと表れていて、その者にもそれは十分に伝わっていった。

 しばらくそうしたまま時が経って、のそのそと顔を上げてみるや、その者は薄く笑み、かぶりを振った。

「わっ、わしの名は悠仁采っ! 八雲 悠仁采だっ!」

 その者に魅せられたように、慌てて名を明かす。悠仁采二十三歳。未だ悪には侵されていない。

 ゆうじんさい様……ゆうじんさい様……。

 声にならない唇で何度も繰り返す。

 悠仁采様……悠仁采様……。


< 14 / 112 >

この作品をシェア

pagetop