5分で読める ショートショート ホラー・SF編 (全4話)
とある絵描きの知恵
まだ人間が魔法と妖(あやかし)とともにいた頃の話。
とある金持ちの男が、魔法の絵を買った。
湖とその岸辺が描かれている絵だ。
一見、平凡な風景画だが、
なんでも、真夜中の十二時になると、描かれているものが動きだすという。
そして、湖から、
この世のものとは思えないほどの美しい人魚が顔を出すのだとか。
男は絵を厳重な鍵のかかる厚いとびらがある、地下室に飾った。
ここなら、絵も盗まれないだろう。
男は絵の前にイスを持ってきてすわり、その時を待った。
真夜中の十二時。
湖面が波打ち、岸の木々が揺れ出した。
小鳥たちの鳴き声。
風のざわめき。
しかし……、人魚は顔をあらわさなかった。
その後も、数日はそのような様子だった。
木々は動き、鳥の鳴き声はする。
それだけだ。
だが、一週間が経ったある日、男は見た。
水面から、美しい女性が顔を出したのを。
女は男に微笑(ほほえ)みかけ、湖にあった岩に腰かけると、歌を歌い始めた。
女の下半身は魚であった。
では、これが人魚か。
男はその人魚のとりこになった。
男は思った。
もっと人魚を見ていたい。
しかし、時計の十二時の鐘が鳴り終わると、人魚は湖の中へと戻ってしまった。
人魚は気まぐれで、毎日あらわれるというわけではなかった。
続けて顔を出す日もあれば、二週間は顔を出さない日もあった。
男は、その絵を買った画商に、
どうやったらもっと長く人魚を眺めていられるか尋ねた。
だが、画商にはその方法が分からなかった。
その絵を描いた画家は、すでに死んでいたからだ。
男は、今度は絵描きたちを頼った。
もしも人魚をずっと絵にとどめることができたなら、男の財産を半分やると言ったのだ。
すると、三人の絵描きが名乗りを挙げた。
はじめに、若い絵描きが、男の絵に描かれた湖の岸辺に、金の櫛(くし)を描きこんだ。
するとその夜、人魚があらわれた。
しかし、人魚は岸辺の櫛をとると、さっさと湖に帰っていった。
失敗である。
次に、中年の絵描きが、若く、美しい男を岸辺に描いた。
はたしてどうなるのか。
その夜、人魚はあらわれ、美男子をいとおしそうに抱きしめた。
美男子も、人魚を抱きしめる。
だが、人魚はその細腕からは想像もできないような力でもって、
美男子を湖へと引きずりこんでしまった。
これも失敗だ。
最後は、年老いた絵描きだった。
絵描きは言った。
男の全財産をもらいたい。
そうすれば、かならずやこの問題を解決してみせると。
男はうなずいた。
すると、年老いた絵描きは、絵を青い絵の具で塗りつぶしはじめた。
何をする、と男はあわてて叫んだ。
しかし、絵描きいわく、このようにすれば、
絵の中の湖をのぞけるようになるということだった。
確かに、この絵をまるごと湖の色である青で塗ってしまえば、
湖の中を描いたのと同じことになる。
そうなれば、好奇心旺盛な人魚のこと、
きっとこちらに向かってくるだろう。
こんな簡単なことだったとはと、男は全財産を、
いや、少しの金さえわたすのが惜しくなった。
そして、絵描きに、あとは自分でやるから、
これを持って去れ、とわずかな金貨をわたして追い払ってしまった。
一面真っ青に塗りこめた絵を前に、
男は満足そうだった。
いつものように地下室で、とびらをきっちりと閉めて、絵を鑑賞する。
真夜中の十二時になった瞬間に、水面のように絵が波打った。
と、同時に絵の中の水が大量に部屋の中になだれこんできた。
地下室では窓もなく、水圧でとびらも開かない。
そうして、金持ちの男は溺れ死んでしまった。
それを風の噂で聞いた、年老いた絵描きは思った。
知恵に敬意をはらわぬやつの末路か。
もしあの男の心根がまっすぐだったなら、
最後の仕上げに絵の枠に合ったガラスをはめてやったのに……と。
完


