淡雪の恋 心に弾けた思いを君へ

第1章 母から女へ

 俺は敏夫。 今年高校2年生だ。
母ちゃんと妹の3人で暮らしている。 父さんのことは聞いたことが無い。
別に変だとは思わなかった。 そう、あの日までは。

 あれは夏休みのことだった。 陸上部で走り付かれた俺は急いで帰ってくると脱衣所の前に立った。
午後7時、家に居るのは母ちゃんだけだ。 妹のあゆみはバスケの試合で遠征している。
誰かが服を脱いでいるのが窓越しに見えた。 おそらくは母ちゃんだろう。
 ジャージを脱ぎ捨てた俺は扉を開けた。 向こう向きに立っている母ちゃんが一瞬固まったように感じたが、我慢できなくて俺は母ちゃんに飛び付いた。
もがいている母ちゃんは熱い息を吐きながら俺から逃げようとしている。 そんな母ちゃんを押さえつけてやるだけのことをやった俺は何だか満たされたような気になって呆然としていた。

 「敏夫、お母さんと敏夫は親子なのよ。 こんなことをしちゃいけないの。 分かってる?」 やっと起き上がった母ちゃんは半泣きの顔で俺を見た。
「男と女が抱き合ったりするのはね、本当にこの人ならって人が現れて、その人と結婚するんだってお互いに思えた時なの。
お母さんと敏夫はそんな関係じゃないでしょう? 分かるかな?」 「う、、、。」
「敏夫も高校生だからいろんなことに興味が出てきたのねえ。 エッチなことにも興味が出てくるのは自然なことよ。
でもね、それで相手を悲しませたり少年院に送られたりするようなことだけはしないで。」
あれだけ激しく暴れていた母ちゃんは荒々しい息を整えながら懸命に訴えてくる。 俺はどう言っていいのか分からなくて俯いてしまった。
「いっぱい我慢してたんだもんね。 言いたいことが有ったらどんどん言っていいのよ。」 「でも、、、。」
「分かってくれたらそれでいいわ。」 「ごめん。」
母ちゃんの顔を見ていたら、俺はそれだけ言うのがやっとだった。

 やがて母ちゃんは体を洗うとさっさと部屋へ帰って行った。
静かに時間が流れていく。 湯に浸かると俺は天井を仰いだ。
(俺っていったい何なんだろう?) 部活の疲れも溜まっている。
イライラもしている。 だからって何も母ちゃんに抱き着かなくても、、、。
服を着て居間に入ってみる。 母ちゃんがお茶を飲んでいた。
「敏夫にさあ、話しておきたいことが有るのよ。」 「何?」
俺は項垂れるしかないのだが、、、。 「さっきのことは分かってくれたらいいわ。 聞いてほしい話が有るのよ。」
「うん。」 俺がようやく椅子に座ると母ちゃんは真剣な顔で話し始めた。
 「敏夫にはさあ、パパが居ないのよね。」 「そうだよ。」
「変だと思わないの?」 「別に、、、。」
「そっか。 実はさ、、、。」 そこで母ちゃんは言い淀んでから溜息を吐いた。
「敏夫のパパはおじいちゃんなの。」 「え?」
俺は嘘だと本気で思った。 「嘘じゃないの。 本当なの。」
「ってことは、、、もしかしてあゆみも?」 「そうなのよ。」
「なんでさあ、今まで黙ってたんだよ?」 「ごめんなさい。 おじいちゃんとの約束だったの。」
「そうだったのか。」 俺は全身の力が抜けた気がした。
「死ぬまでは黙っていてくれって言われてたの。」 「母ちゃん、、、。」
 父さんは病気か何かで死んだもんだとばかり思っていた。 それにしてはお墓も仏壇も無いのが不思議だった。
でもさあ、そんなことって面と向かって聞けないよね。 だから悶々としていたんだ。
 今、母 敬子は32歳。 16で俺を産んでくれたことになる。
あんまりにも若すぎるよなあ。 そういえば高校時代の話って聞いたことが無いな。
「高校にはね、行かなかったのよ。」 「行かなかったって?」
「だって、敏夫を産んですぐだもん。」 「そうか。」
そしてすぐにあゆみを産んだんだ。 若すぎるよね。
 「いいわね。 もうあんなことはしちゃダメよ。」 寝る前に母ちゃんはもう一度俺に釘を刺した。

 幸太郎たちがよく親父たちの話をしてたよな。 そのたびに俺の顔をジロジロと見てたんだ。
そりゃそうだ、なんてたって若すぎるもん。 クラスで一番若かった。
でもさ、俺にとって母ちゃんは母ちゃんなんだよ。 あの日まではね。

 次の日、午前中の部活を終えて帰ってくると母ちゃんは居間でテレビを見ていた。
「お帰り。 昼ご飯どうする?」 「冷やし中華食べたい。」
「分かった。 作るから待っててね。」 母ちゃんは台所に立った。
今日は休みの日。 いつもならスーパーで働いているんだ。
じいちゃんは公務員だったから退職金もそのままに残してあるんだけどね。
 じいちゃんが死んだのは3年前。 癌だった。
体調を崩して早期退職したのに、呆気なく死んじゃったんだ。
俺はその時、中学生で初めて葬式ってやつを体験した。 ばあちゃんは居ないのかって?
何か知らないけど出て行ってそれっきりだ。 でも今となれば分からんでもないな。
自分の娘に旦那が手を出して子供を産ませてしまったんだ。 我慢できなかっただろうな。
殺したいくらいに憎かっただろうに、、、。
 「敏夫、出来たわよ。」 ボーっとしていたら母ちゃんの声がした。
「あ、ありがとう。」 「そうそう。」
母ちゃんは冷やし中華を食べながらワイドショーを見ている。 俺のことなんてそっちのけだ。
「洗濯物が乾いたら持っていくからね。」 「あいよ。」
俺は俺で冷やし中華を食べ終わったら英語の宿題をやらなきゃ、、、。
あの先生さあ、アメリカ人だから宿題が多くて困るんだ。 (時には清美に手伝ってもらうか。)
そうも思うけど、あいつはあいつでバイトが忙しいらしくてさ、、、。 しょうがないから辞書と睨めっこだ。
英語の教科書を開いてみる。 読めなくはないがさっぱり分からない。
こんなのを母ちゃんに聞こうものなら「なんで私に聞くのよ!」って吼えられて終わりだ。
英和辞典と和英辞典を見比べながらノートに書いていく。 スペルが似てたりするから緊張する。
悪戦苦闘しているとドアが開いた。 「洗濯物置いとくよ。」
籠から取り出した洗濯物をカラーボックスの上にドサッと置いていく。 母ちゃんはチラッと教科書を覗いた。
「分かる?」 「ぜんぜん分からない。」
母ちゃんは渋い顔をして一階へ下りていった。
 「何でさあ、英語なんてやらなきゃいけないんだよ? 俺は日本人だぞ。」 教科書に文句を言ってみる。
そりゃさあ、最近はあっちでもこっちでも外人が増えちゃってて大変なのは分かるけど、、、。
〈i love you.〉と〈what your name?〉さえ分かればいいしょや。
ってかさあ、何でアメリカさんが英語なの? イングリッシュはイギリスでしょうが。
 とかなんとか、思い付くだけの悪態をついてみる。 でも俺には、、、。

 真夏の太陽は今日も強烈で窓を開け放していても汗が噴き出してくる。
半袖に半ズボン。 その風体で床に寝転がってみる。 気のせいか、床まで熱くなっている。
 壁には陸上部のユニフォームが掛けてある。 そう、俺さ陸上部なんだよ。
見込まれたのかどうかは知らないが長距離を走っている。 中学の頃はバドミントンをやってたのに。
 夜にはあゆみが帰ってくる。 あいつはあいつで県大会の遠征中。
帰ってきたらまた賑やかになるんだろうなあ。
 俺はムクット起き上がるとトイレに行った。 帰り際、居間を覗いてみると母ちゃんは寂しそうにぼんやりしていた。
何気に母ちゃんの隣に座ってみる。 「何?」
「勉強に疲れたから来たんだ。」 「そうなの、、、。」
ボーっとテレビを見ている母ちゃんにそっとくっ付いてみる。 「敏夫、、、。」
「俺さあ、やっぱり母ちゃんが好きなんだよ。」 「ありがとう。 でもね、、、。」
そう言うと母ちゃんは俺の手を握った。 優しい手だった。
「敏夫もさあ、将来は結婚するのよね?」 「いい人が居ればね。」
「居るわよ。 必ず見ている人は居る。 諦めちゃダメよ。」 「母ちゃん、、、。」
優しく笑っている母ちゃんに俺はじゃれついてみた。 「あらあら、大きなお子さんねえ。」
笑いながら赤ん坊をあやすように頭を撫でてくれる。 いいなあ、この感じ。
久しぶりに母ちゃんの膝枕で寝てみる。 ふと玄関のチャイムが鳴った。
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