淡雪の恋 心に弾けた思いを君へ
 静かにジャズが聞こえている。 顔馴染みの客が飲んでいるようだ。
窓際のテーブルに落ち着くと母ちゃんはメニュー表を開いた。 「おー、敬子ちゃんか。 久しぶりだねえ。」
 母ちゃんを見付けたマスターが嬉しそうに飛んできた。 「あれあれ? 彼氏?」
「いえ。 息子です。」 「おいおい、敬子ちゃん 大き過ぎないか?」
「そりゃまあ、、、。」 「後妻さんなのよね?」
そこへ奥さんが蒸しタオルを持って奥から出てきた。
「そうなんです。」 「そっか。 それもまた大変だなあ。」
 俺は正直にホッとした。 母ちゃんの連れ子だって分かったらどういう顔をされるか、、、。
 「注文決まったら教えてね。」 カウンターの奥へ戻りかけたマスターに母ちゃんが声を掛ける。
 「チーズケーキとコーヒー二つ。」 「あいよ。」
 湯を沸かしながら先客とまたまたジャズの話で盛り上がっている。 壁一面にジャズシンガーやバンドマンの色紙やらジャケットやらが飾られている。
 店の隅にはジュークボックスが置いてあって誰でも自由に聞けるらしい。
曜日によって中身が違うというから驚きだ。

 「お待たせしました。」 奥さんがチーズケーキを運んできた。
「コーヒーは待ってね。 お湯を沸かすのに苦労してるから。」 「そうやってお前が笑わすから沸かないんだよ。」
マスターの突っ込みにおじさんたちも笑っている。 「意地悪な人だから気にしないでね。」
奥さんはそう言って奥へ引っ込んで行った。

 「ジャズもいいけどオールドブルースもいいもんだぞ。」 「じゃあさあ、今度は中谷さんのコレクションを聞かせてもらおうか。」
「いいぜ。 おったまげるなよ。」 「了解了解。」
 「賑やかな店だねえ。」 「ずっとそうだったのよ。 お父さんが居た頃から。」
母ちゃんは懐かしそうに壁を見回している。 そこへマスターがコーヒーを運んできた。
「お兄ちゃんは何年生だい?」 「高2です。」
「そうか。 高校生化。 夜遊びするんじゃないぞ。」 「する暇無いんですよ。」
「何で?」 「陸上やってるから。」
「おー、それはすげえなあ。 俺なんか帰宅部だったからさあ。」 「そんな自慢はいいのよ しなくても。」
 奥さんがたまに釘を刺しに来る。 面白い人たちらしい。
「まあ、ゆっくりして行ってね。」 「ありがとうございます。」
 母ちゃんは久しぶりに食べるチーズケーキを味わっている。 時々テーブルの下で足を絡ませながら、、、。
 何処から見てもレトロなこの店、今まで入ったことは無かったな。 毎日走ってるからそんな余裕も無かったし。
今日初めて母ちゃんと来たんだ。 これからはたまに来たいな。
 俺たちは黙ってチーズケーキを食べている。 たまにフッと見詰め合ったりして。
 そのたびに(気付かれてないか?)ってドキドキする。 でも時間は早いもので、、、。
「そろそろ出ようか。」 2時間ほど寛いでから母ちゃんは財布を取り出した。
 「おー、また来てね。」 マスターに見送られて店を出る。
真昼の太陽が赤らんできて夕日に変わろうとしている。 話しながら歩いていると、、、。
 「お母さん、、、。」 図書館の帰りらしいあゆみとバッタリ、、、。
 「あゆみ、、、。」 「お母さん やっぱり兄ちゃんと出来てたのね?」
「そんなんじゃないわよ。」 「じゃあ何をしてるの?」
「暇だったから二人で散歩してたのよ。」 「散歩? こんな所で?」
「散歩にこんなもそんなも無いだろう?」 「兄ちゃんは黙ってて。」
 あゆみは俺たちがくっ付いて歩いてたもんだから妬いてるらしい。 「だからさ、お前は、、、。」
「兄ちゃんには分からないよ。 私の気持ちなんて。」 「どういう意味だよ?」
 「二人ともやめなさい。 道の真ん中で喧嘩しないで。」 母ちゃんは必死に両腕を広げた。
以来、俺とあゆみは黙ったまま。 母ちゃんが何か言っても相槌を返すだけ。
どうも険悪な雰囲気のまま3人並んで歩いている。

 確かにあゆみが疑うのも分からないではないわ。 楽しそうにくっ付いてたんだもんね。
でも親子だったらそんな時だって有るでしょう? あゆみにはこんなことしなかったかな?
 今まで仕事にばかり気を取られてたからね。 それにあゆみは受験生だ。
ピリピリしてる時にこれじゃ、、、。

 「ねえ、お母さん 何処まで行くの?」 考え事をしていたらあゆみの声が聞こえた。
「え?」 我に返って辺りを見たら家を通り越してスーパーの前にまで来てしまっていた。
 「こんな所にまで来ちゃった。」 「お兄ちゃんが悪いんだからね。」
「何で俺なんだよ?」 「お母さんにベタベタくっ付いてるからこうなるの。」
「そんなこと知るかよ。」 「二人ともやめなさい。 お母さんは自分のことで疲れてるだけだから。」
 「ほんとにそうなのかなあ? 信じられないよ。」 家に入るなり、あゆみは怒ったように部屋に引っ込んでしまった。
居間に入った俺たちはまたまたテーブルを挟んで向かい合った。 「疲れてるのかなあ?」
「あゆみのことなら心配無いよ。 受験前で気が立ってるだけだから。」 「そうだといいけど、、、。」
 なおも心配している母ちゃんを見ていられなくて俺はホットミルクを作った。
「飲んで。」 「ありがとう。 あんまり私に気を使わないで。」
「そんなこと出来るかって。」 そう言うのが精一杯。
 その頃、自分の部屋に飛び込んだあゆみは毛布をかぶって泣いていた。
「お母さん、私なんかより兄ちゃんのほうが大事だったのね? ひどいよ。」 そうやって泣き続けたのだった。
 俺はまたまた母ちゃんのことを深く考えていた。 何もかも燃え尽くされたようなあの顔、、、。
あの夜のあの顔、、、。 息子に抱かれて放心していたあの顔。
 どれだけショックだったのか俺には分からない。 俺たちが生まれてどれだけの我慢をしてきたのだろう?
俺にもあゆみにもそれは分からない。 たぶん聞いても教えてくれないさ。
 でもいつか分かる時が来る。 きっと来る。
俺だって嫁さんを迎えるかもしれないし子供を抱っこする時だって来るかもしれないから。
(出来れば親父と二人で抱っこさせたかったな。 「可愛い初孫だ。」って。)
 自分の部屋でのんびりしていた俺はふと窓を開けた。 救急車のサイレンが聞こえたからだ。
(何だろう?) 不意に見まわしていると救急車は隣の家の前で止まった。
 (隣のばあちゃん化、、、。) やがてタンカが運び込まれて騒々しくなってきた。
「心臓が弱ってるって言ってたよなあ。」 家族や近隣の人たちが右往左往している。
 「ご飯よ。」 タンカが運び出された頃、母ちゃんの声が聞こえた。
部屋を覗くとあゆみはまだ眠っているらしい。 俺は取り敢えず声だけ掛けて居間に下りてきた。
 「あれ? あゆみは?」 「声は掛けたんだけど寝てるみたい。」
「あらら、、、。」 「夜中にでも腹が減れば下りてくるよ。 大丈夫だって。」
「そんなもんかなあ?」 「受験生なんてそんなもんだよ。 俺だってそうだったから。」
 心配にはなるけど今はそっとしておくしかない。 俺もそう思って夕食を食べることにした。
だって家族とは言っても他人じゃん。 あゆみのことはあゆみじゃないと分からないよ。
それにあゆみは女の子だ。 男の俺には分からない。
似たようなことが有るのかとは思うけどさ、、、。

 「お風呂 どうする?」 「先に入ってもいいわよ。」
母ちゃんがそう言うから体を洗ってのんびりしているとサッシが開いた。
「あゆみの様子を見てきたわ。」 「どうだった?」
「かなり落ち込んでるわね。」 「そうか、、、やっぱりか。」
「やっぱり?」 「二人で歩いてるのを見ちゃったんだもん。 除け者だって思ったんじゃないのかなあ?」
「そんなつもりは無いのにねえ。」 「でもあいつさあ、この頃やけにダメ出ししてくるんだよ。 俺に。」
「いつものことじゃないの?」 「違うんだよ。 俺たちのことに感付いてるんじゃないのかな?」
「俺たちのこと?」 「そうだよ。 母ちゃんにくっ付くなとか、甘えるなとか、一緒に風呂入るなとか、、、。」
「そんなことまで?」 「そうだよ。 あいつも相当に不安定なんだろうな。 受験も控えてるし。」
「そうか、、、。」 「それでさあ、担任に聞いたんだ。 バスケでどっか入れる高校は無いのか?って。」
「特待生みたいなやつ?」 「そう。 探してもらったら一つだけ在ったんだ。」
「何処?」 「群馬の桜大友高校だ。」
「群馬? ほんとなの?」 「ほんとだよ。 明日さ、資料を貰ってくるから見てよ。」
「分かった。」 「地方大会レベルで結果を出してる人なら受け入れるってさ。」
「桜大友ね。」 母ちゃんはフッと溜息を吐くと天井を仰いだ。

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