淡雪の恋 心に弾けた思いを君へ
 群馬か、、、。 決まれば家を離れることになるのね?
確か群馬には大叔父が居たはず。 でも会ったことも話したことも無い。
 県外だし一人でやっていけるかな? 心配は尽きないわね。
 俺は沈んでいる母ちゃんの肩をそっと抱いた。 今夜はこれでいいと思った。
心に閊えていた何かを吐き出せたようだし、母ちゃんも少しは安心させられたような気がしたから。
 「先に出るね。」 そう言って脱衣所に行く。
そしたら母ちゃんが追い掛けるように出てきて後ろから俺を抱きとめてくれた。 首筋に母ちゃんの呼吸を感じている。
 風呂から出ると廊下は薄暗くて居間の電球が心細く瞬いているだけ。 時計は午後10時を指していた。
 「お休み。」 母ちゃんはどっか満足そうに俺を見ると部屋に入っていった。
 二階に上がるとあゆみの部屋にも電気が付いていて、どうやら起きたようである。 でも俺は声を掛けずに部屋に入った。

 日曜日になると俺は久しぶりに部活に出掛けた。 「今日は走るぞーーーーー!」
「おー、気合入ってるなあ。」 「当り前じゃないっすか。 駅伝も近いんだし。」
「よしよし。 じゃあ10キロ走って来い!」 監督が檄を飛ばす。
みんなはそれぞれに街へ出ていった。 秋の街を走ってみる。
見慣れているはずなのに何処かが違って見える。 不思議だなあ。
夏の暑さが退いてしまって秋の寂しい風が吹いている。 母ちゃんを思い出しそうだぜ。
 午前中はとにかく長距離を走りこむ。 気持ちいい!
「よし。 午後はダッシュトレーニングだ。 気合を入れろ!」 「おー!」
部員たちは蜂の巣を突いたように弾け飛んでは戻ってくる。 「良くなったなあ。 駅伝も勝てそうじゃないか。」
髭の監督 吉田将司は満足そうにみんなを見回した。
 特訓が終わるとみんなが監督を取り囲む。 「よしよし。 みんな互いに体をほぐしてやれ。 使ってばかりじゃ壊れちまうからな。」
コーチも揃ってみんなで互いに柔軟体操をする。 ここまで一緒に苦労してきた連中だ。
 夕方には汗だくでヘトヘトニなっちまう。 「ただいま。」
「お帰り。」 「母ちゃんは、、、ああ仕事か。」
「なあに? 私じゃダメなの?」 「そんなことねえよ。」
「でもほんとはお母さんに「お帰りーーーー。 疲れたでしょう?」って言われたいのよね?」 「何だよ、、、。」
「いいんだもん。 どうせ私はお母さんみたいに優しくないんだし、、、。」 またまたあゆみは口を尖らせて部屋に入ってしまった。
(近頃いっつもああだよなあ。 入試が近くてイライラしてるのは分かるけどさあ、、、。) 二階に上がって部屋に入ろうとしたらあゆみが出てきた。
 「幼稚園の頃はいっつも遊んでくれたのにこの頃は優しくないじゃない。 いっつもお母さんお母さんって、、、。」 「だから何だよ?」
「兄ちゃんさあ私のことどう思ってるの? 居ないほうがいいって思ってるんでしょう?」 「おいおい、それは考え過ぎだよ。」
「じゃあ何でお母さんにはあんなに優しいの? おかしいじゃないよ。」 「だからお前の勘違いだってば。」
「そんなんじゃないでしょう? お母さんとお風呂で何をしてるか知ってるのよ。 ごまかさないで。」 「だから、、、。」
そこまで言うとあゆみは今にも泣き潰れそうな顔で逃げ出した。 「あゆみ! 待て!」

 「来ないで!」 玄関から飛び出していったあゆみを必死に追い掛ける。
バスケ選手の足も馬鹿には出来ない。 「待てったら!」
 やっと電柱の陰で俺はあゆみを捕まえた。 それでも息が切れている。
「お前も速いなあ。」 「鍛えてるから。」
「だからってここまで来なくてもいいだろう?」 「何で追い掛けてきたの?」
「お前が俺にはたった一人の妹だからだよ。」 「それだけ?」
「それだけもくそも有るか。 それしか無いだろう。」 「じゃあお母さんは何よ?」
「母ちゃんは母ちゃんだ。 それ以上でもそれ以下でもない。」 「嘘じゃないよね?」
「嘘吐いてどうするんだよ?」 「信じていいのね?」
「当り前だのクラッカー。」 「何それ?」
「いいから家に入ろうぜ。 裸足だぞ。」 「うわ、兄ちゃんが悪いんだからね。 責任取ってよ!」
「お前が飛び出すから悪いんだぞ。 謝れ!」 「元はと言えば兄ちゃんが、、、。」
 この兄妹も仲がいいのか悪いのか、妹を泣かせてはこうして走り回っているんだ。
 「そういえばさあ、お前バスケやりたいんだろう?」 「だから?」
「バスケで入れる高校を探しておいたよ。」 「ほんとなの? 嘘じゃないんでしょうね?」
「嘘じゃねえってばよ。 母ちゃんに教えといたから聞いてみな。」 「またお母さんか。」
「またはねえだろう? または。」 「分かった。 分かったから放して!」
 あゆみの泣き笑いも久しぶりに見たような気がする。 これで落ち着きそうだな。
喧嘩しながら居間に戻ってくる。 いつもの兄妹に戻ったようだね。
 「腹減ったなあ。」 「何でよ?」
「お前が走らせるからいけないんだぞ。」 「また私なの?」
「いつだってお前だよ。」 「兄ちゃんが泣かすからいけないの。」
「お前が勝手に泣いてるだけだろうがよ。」 「意地悪ねえ。」
 俺はカップラーメンの蓋を開けた。 「お湯入れてあげる。」
「二級サンキュー。」 「変なダジャレ言わなくていいから、、、。」
「とか言いながらほんとは笑ってるんだろう?」 「兄ちゃんのダジャレって幼稚園レベルだからなあ。」
「言ったなあ、こら。」 「悔しかったら勉強しなさいね。」
「いつから親になったんだよ?」 「私はいつでもお母さんよ。 ねえ、敏夫君。」
「こんちきしょう、、、。」 やっぱり俺はあゆみにも勝てないのか、、、。

 その夜、俺は久しぶりにあゆみと風呂に入った。 何年ぶりだろうなあ?
「後ろ向いててね。」 「何でだよ?」
「私の裸はまだまだ誰にも見られたくないから。」 「何でだよ? 昔から見てるけど。」
「えーーーーーー? レディーの裸を見てる人が居たの? 嫌らしいお兄ちゃん最低だあ。」 「お前がレディーだってか?」
「そうよ。 あゆみちゃんはレディーなのよ。」 「自意識過剰ですなあ。 まだまだお前はガールだよ。」
「うっそだあ。 レディーだってば。」 「ほら、見ちゃった。」
「ワーーーーー、変態変態変態!」 「こらこら、母ちゃんがびっくりするだろうがよ。」
「見てたわよ 敏夫。」 「ギャーーーー、母ちゃんだ。」
「賑やかだから何をやってんのかって思ったら、、、。」 「お母さん 兄ちゃんねえ変態なの。」
「ワワワワワ、言うなって。」 「知ってるわよ 子供のころから。 お母さんのお尻を触ってたもんねえ。」
「ワワワ和、言うなって。」 「兄ちゃん 真っ赤になってるーーーー。」
 二人が笑い転げているのを聞きながら俺は浴槽に飛び込んだ。 (油断も隙も無いんだからなあ、あいつら。)
母さんとあゆみが話している声が聞こえる。 ぼんやりしていたら、、、。
ゴン。 「いてえなあ。 何すんだよ?」
 「あーら、ごめんなさい。 洗面器が命中しちゃった。」 「ざとらしいんだから、、、。」
「何か仰いました?」 「なーんにも言っておりません。」
「わざとらしいって言ったでしょう? 聞こえたんだけど、、、。」 そう言いながら洗面器のお湯を掛けてきた。
 「ブーーーーー、死ぬだろうがよ。」 「外したんだけどなあ。」
「もろ命中しましたけど、、、。」 「あーらごめんなさい。 許してね、お兄ちゃん。」
 ニコッと笑ったあゆみは至近距離で体を洗い始めた。 「見ないでね。 スケベ。」
「まだ見てねえのにスケベは無いだろう?」 「今、見たでしょう? 変態。」
「目の前で洗ってるんだから見えるわな。」 「目の前でもいいから見ちゃダメよ。」
「そんなこと言ったって、、、。」 そこへまたあゆみがお湯を掛けてきた。
 「ブ、死ぬわ。」 「死んでていいわよ。 居なくてもいいから。」
「ひでえ妹だなあ。」 「私を怒らせた罰よ。」
 お風呂の中でもこの二人は毎回喧嘩してるんです。 幼稚園の頃からそうだった。


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