それぞれの恋物語

第2話 ~ 都合の良い言い訳 ~

人は、誰でも過ちを犯してしまうのだろう。
そして、それを自らの過ちだと思うが故に苦しい思いをする。
苦しい思いは、もう二度としたくない。
だから何がいけなかったのか、人は改めて自分に問う事で、何が原因だったのか気づき学び、
そして、同じ轍を踏まぬよう、再び行くべき道を歩み進むことができる。



 橙色に染まった街路樹の葉が風に吹かれて空に舞う頃、付き合っている彼女とのことで、今後どうすればいいか思い悩んでいた。
 今朝も、ちょっとした意見のすれ違いで彼女に対してストレスを溜めていた。今日一日、思い返せば、彼女に対して思い抱いていた不満を色々と思い出し、これ以上自分の中で抱えることができないと考え、3年近く付き合ってきた彼女と別れる決心をした。

 佳織と出会ったのは4年くらい前だろうか、五つ年下の彼女だが、とてもしっかりしていて、仕事もバリバリとこなす聡明な彼女の虜となって、こんな女性は二度と現れないと思い夢中で彼女のハートを掴みにいった。猛アタックして、佳織と付き合いだしたのは、その半年後だ。
 佳織と付き合いだして間もない頃は、何もかもが上手くいき、彼女こそ自分の一生の相手になる運命の女性だと思っていた。
 彼女を手放したくなくて、直ぐに一緒に住むことを提案した。
 「自分は、この先も佳織と一生一緒にいたいし、先々のことを考えてどうだろうか?」
 「うん、いいよ。私も一人暮らしだと色々とお金かかるもの。一緒に住んで浮いたお金は将来の為に貯蓄できるしね」
 「そう思うでしょ?だからメリットの方が大きいと思う」
 「一緒に住む家は、どうするの?」
 「先ずは、自分の家に来なよ。新たに借りる家探すのもの大変だし」
 「そっか、私はいいけど。私も生活費はちゃんと払うから。そうすれば、拓也も貯蓄できるでしょ?」
 「もちろん。それは間違いなく」と答えたが、そこまで計画的に考えておらず内心焦った。
 こんな感じでとんとん拍子に進み、二人の一緒の生活を始めることとなった。
 女性と一緒に住むのは初めてのことで、友人たちからは独身貴族が楽しいぞと、やもめ言われたが、彼女と一緒にいられるのは嬉しいし、その上、生活費も浮くからラッキーだと気楽に考えていた。そう思っていたのだが、佳織はもっと堅実的に考えていたようだった。
 「拓也君、同棲する条件としてね、両親にきちんと会って挨拶をして欲しいんだけど、いいかな?それと将来のことについても、どうするか、計画みたいなもんかな、そういうのを両親に話してくれたら、父も母も安心すると思うのね」
 「それ必要?もう少し気楽に考えていたんだけど・・」両親にご挨拶とか、ちょっとしり込みしてしまう。
 「気楽ってなに?拓也君は、いずれにせよ結婚するからってことで同棲すること決めたんだよね?」
 「それはそうだけど、ほら、佳織の家に挨拶に行くとかって、もっと落ち着いてからでも良いんじゃないかな」
 「落ち着いてからって、いつ?」
 「いつとか、まだ決めているわけじゃないけど・・・」
 「じゃあ、決めてよ」
 「わかった、とりあえず今やらなければならないことあるから、後でこの話の続きをしよう」
 そう言うと、そそくさと佳織の前から退散した。

 今、思い出すと、その時点から二人の考えがずれていたのかもしれない。

 そんな感じて始まった同棲生活は、初期の頃から色々と意見の衝突があったが、お互いに休日に会う程度くらいだと、普段の彼女が何をしているのか見えなくて不安になったりしたし、それに付き合い始めての頃は、彼女をこちらに振り向かせ続けようと必死になっていたこともあり、彼女のことは自分が護るという意味でも同棲をして正解だ!と、自分に言い聞かせていた。

 同棲し始めの頃、親しい友人と飲んだ時のことだった。
 「えー、奥谷信二君に、ご報告があります」
 「なになに?改まって?」
 「彼女と同棲することになりました」と、にやけて報告をした。
 「えっ、マジで?それじゃあ、彼女といよいよ結婚カウント?」
 「それは、まだない。だけど、いずれは結婚することも考えているよ。そういう意味でも、一緒に住み始めたということ否めない。事実、この間、彼女の両親ところへ挨拶に行ったしね」
 「ホントに!?拓也もやるなあ。まあ、俺達も、もうすぐ30代に突入しな」
 「だよね、やっぱり年齢的に付き合う彼女がいれば、結婚も意識する」と言って、ビールを一口で飲み干した。ビールのお代わりを二杯店員さんに頼むと、直ぐに生ビールの泡が溢れんばかりの ジョッキが直ぐに来る。意味なく乾杯をして、またビールを一口飲んだ。
 「うん、冷えた生は最高だね。で、信二は、どうなのよ?」
 「実はさ、夏の初め頃に教習所通っていたじゃん」
 「あー、そういえば、バイクの免許取るとか言っていたっけ」
 「そこで、バイクの免許取りに来ていた女性に出会ってさ」
 「えっ、まさかの一目惚れ?ってやつ?」
 「まあ、一目惚れって、そんなんじゃないけど。良いなって思ってね」
 「戦略家の奥谷には珍しいじゃん。そんな感情で動くことあるんだ。それで、付き合っているの?聞いていないけど」
 「人をなんだと思っているの?」信二は飲んでいたビールでむせて咳き込んだ。     
 「いや、まだ友達止まりで。好きな人いるみたいでね、チャンスは狙っているよ」
 「そっか、上手くいくといいね」
 そう言うと、持っているグラスを軽く上に持ち上げて、信二に向けて検討祈る!とポーズをとった。信二は、緻密な計画を立てて、いつも物事を進めていくタイプだ。  彼なら、その想う彼女のハートを掴めるかもしれない。信二の話を聞きながら、そんな風に思っていた。男性も30歳を過ぎれば、なんだかんだ将来共に生活することを意識したりする。彼も同じなんだなと、お互いの話をしながら思っていた。

 2年前の友人と飲んだあの時の会話を思い出すと、親しい友人に彼女との同棲の報告をして、しかも結婚というキーワードも出ているくらいなので、自分がどれだけ彼女に惚れ込んでいたか分かる。そして、あれから2年間という月日が流れている。佳織は、結婚を意識しているが、自分は結婚というものに重みを感じて避けている気持ちになっていた。ただ、結婚はしないということではない。“そんなに結婚って重要だろうか?たかが紙切れだろう。結婚というしきたりでなく、大事なのは気持ちだ”と、思っていた。
 そう思っていた筈が、そう思う気持ちよりも、時折見せる彼女の態度に対して疎ましく思うことが多くなり、いつからだったのだろうか、それらが徐々に気持ちを霞ませて行くようになった。そして、いつの間にか気づかないうちに、そんな風に思うようになっていた。


 以前、僕が車を運転している時、彼女の習慣的な性格から来る曖昧な態度や言葉に苛立ちを感じ、怒りを爆発させたその日が起点だったかもしれない。
 その頃は既に彼女と付き合って3年目ぐらい、彼女は僕の日常における習慣や性格的なところまで分かっていた筈だった。特に車を運転している時は、運転に集中しているからこそ、普段は気にかけない何気ない言動や行動に対し、敏感に反応し感情的になってしまう自分がいる。その日も、何気ない会話から大喧嘩に発展した。

 「休日は、車が多いなあ」

 何事もなければ、既に空港に到着し搭乗手続きを済ませ、ラウンジでゆったりとコーヒーを飲みながら搭乗までの時間を過ごす予定でいた。しかし、ナビからの情報によれば、ここからだと目的地まであと一時間弱くらいかかると表示されている。
 “搭乗時間に余裕を持って間に合うように出発しているので、問題はないと思うが”
 「搭乗時間には十分間に合うと思うけど、空港でゆっくりする時間はなさそうだね」
 助手席で携帯を見ながら、彼女は曖昧な返事を返す。
 「仕事?」と、僕は聞き返したが、彼女は、「うんそう」と、素っ気ない返事を返してきただけだった。
 「連休なのに忙しいね?お疲れ様」
 嫌味なく言っていると思うが。返事なく携帯電話を眺めてばかりいる彼女をチラッ と横目で見るが、相変わらず無心に何か打ち込んでいるだけだった。
 助手席に座っている彼女は、出かけ始めから僕の言葉を聞いているのか聞いていないのか、相槌さえもない。
 「あ、そうだ。家の契約更新の件だけど、契約書見てくれた?」
 「・・・・・」
 「そろそろ契約更新が近いと思うんだけど。連休明け前には確認しておきたかったけど、連休後かな」彼女の態度に少し苛立ちを覚え始めた。
 「あのさ、聞てる?」
 ほんのちょっとだけ、彼女の態度にカチンときたが、喧嘩なんてろくなことがないからと思い直し、すぐにその感情をひっこめた。
 それでも、彼女の返事さえもしない態度に苛立ち、とうとう言わずにはいられなくなった。
 「あのさ、とりあえず返事だけはきちんと返そうよ。忙しいのは分かるけど、コミュニケーションにおいて礼儀ってあるじゃない?」
 すると、暫らくして彼女から、こちらを見ることなく素っ気ない返答が返ってきた。
 「ごめん。今、仕事の内容について返事しているところだから、あとでいい?」
 「あのさ、返事ちゃんと返そうよ!なんか馬鹿にされている感じがして気分悪いんだけど!」
 渋滞の中を運転しているからだろうか。気持ちに余裕がなくなって、大人気なく思わず声を荒らげてしまった。
 そんな言われ方をされた彼女は機嫌を損ねてしまったらしく、それから暫くの間、車内の空気は重々しく、互いに言葉を交わすことはなかった。もちろん、空港に着いてからも、飛行機の中でも、まるでお互いに知らない他人様みたいな微妙な空気感で過ごした。
 前からお互いに楽しみにしていた旅行だったけど、既に行きたい気持ちはこれっぽっちもなく、なんなら彼女を置き去りにして帰りたいくらいだった。

 その時のことだって、既に3年も一緒に時間を過ごしてきたのだから、そういう喧嘩も初めてのことでなく、以前にだってドライブ中に幾度となく些細なことで喧嘩になったこともあるので、彼女なら当然分かっている筈なのに、どうしてあの時もあんなに気に障る態度をとったのだろうか。
 それに、当時その頃の僕は、加えて仕事のプレッシャーで気持ちに余裕がなかった。ただ、そんなことがあってもそれはそれで、彼女との将来を考え、生活基盤である仕事を今きちんとしておけば、ゆくゆくは彼女と生計を共にする際にプラス方向で間違いないと確信していた。だから、ストレスを抱えながらも、そんなことは彼女には見せずに、ただひたすらに頑張っていた。
 同じ頃、彼女もキャリアアップの為に転職した時期ということもあり、新しい職場で成果を上げるべく苦労していたことも十分理解していたつもりだ。むしろ、献身的に支えていたのではなかろうか?
 同棲しているからこそ、彼女にできることと思って、何も言わず家事もやっていたし、彼女にとって少しでも負担が軽くなればと思い、できることは何でもサポートしてきたつもりだ。

 だから、自分には全く非が無いと、ずっと思っていた。

 早めに仕事を切り上げ定時に退社し、イヤフォンから流れてくる曲を聴きながら、 まだ込み合う前の通勤電車の車窓に流れる景色を眺めていた。
 “そういえばこの曲、佳織が好きって言っていたな”流れてきた曲を聴いてると、ふと、彼女の笑顔を思い出した。
 ついこの間まで、この時間はまだ明るかったのに、今はもうすっかりと暗くなっている。高架線を走る列車から見える車窓からは、郊外の向こうに見える山地の高い稜線に沈んだ夕陽が鮮やかな紅い帯びとなって際立たせ、上空に向かうにつれて紫色から深い紺色のグラデーションを描き、僅かに輝く星が散りばめられていた天空と地上の建物から放たれる煌びやかな光の景色が広がっていた。
 到着駅から、いつもはバスに乗り帰路に就くのだが、なんとなく家に帰りたくないなと思ったりもしたので、バスには乗らずに歩いて帰ることにした。

 “どうして彼女と一緒になろうと思ったのだろうか”

 ふと、佳織が言っていた言葉を思い出す。

 “何があっても、いつも私は側にいるよ。それに私って男を見る目に自信があるんだ。だから、考えていることを思い切ってやってみなよ”

 透き通った綺麗な笑顔で、よく彼女が言っていた言葉を思い出した。
 そう言えば、うだつが上がらない時、忙しすぎてスランプに陥った時、そんな感じで仕事に取り憑かれていた時期でも、何か仕事であった時は、いつも一緒にどうすればいいか一緒に考えていてくれた彼女がいたな。佳織は仕事もできる子だからな、アドバイスも的確だったりする。

 “任せておいて。ぴったりのレストランがあるから、そこ予約しておく”

 そう言って、自信に満ち溢れた笑顔で、いつも快く手伝ってくれた彼女を思い出した。
 いつだったか、重要な取引先と大型案件の契約前に会食をするとなった時、その会食場所をどこにすればいいか悩んでいたところ、彼女の交友先で気の利いたアレンジをしてくれるレストランを予約してくれた。

 “そっかあ、うーん・・・、良い店紹介できるかも。良かったら詳しく教えてくれない?きっと役に立てると思う。拓也、自信もって進めても大丈夫だよ”

 そんなことが幾度あっただろうか。そういった機会の度に、彼女のお陰でビジネスを成功させてきたから、だから、今の自分がある。

 いつもテキパキと動く彼女に感心し、やっぱり自分の選んだ彼女は間違いなかったって、いつも実感していた。
 あるビジネスで必要としていた許可関連も、たまたま持ち合わせていた彼女のコネと根回しで難航を乗り越えることができた。
 何かをしたいと思った時に、いつも背中を押してくれて、誰よりも自分の成功を信じてくれていたのも彼女だった。思い出せば溢れるくらいの信頼を寄せていてくれていた彼女がいつもそこにいた。

 今まで家事全てを自分がやってきたわけではない。自分が仕事で忙しいときは、彼女が家事をやっていてくれていた。風邪で寝込んだ時は、今まで誰もしてくれたことがないくらいに親身に看病してくれた。

 “拓也に何があっても私が護ってあげる”

 そう言って、何があっても味方でいてくれる彼女が側にいた。
 些細な揉め事も多々あるが、そんなことはお構いなしに、いつも彼女は自分を支えていてくれた。

 駅から続く街路樹の下で立ち止まり、楓の樹を見上げた。澄み渡った夜空に楓の葉が淡いオレンジ色のネオン燈に照らされて、より一層鮮やかに紅く発色して見える。

 時折、冷たい風に吹かれて揺られる葉を眺めていると、今までの自分勝手な振る舞いを思い出して、自責の念に駆れると同時に、自らの愚かさを恥ずかしく思うようになってきた。

 “自分に都合いいことばかり考えて、彼女は自分以上に尽くしてくれているのに、なにやってんだか・・・・”

 笑顔の彼女を思い出し、急に愛おしくなってきた。

 “彼女が自分を想う気持ちにちゃんと応えないと”

 彼女の色々な良いところを沢山思い出した。彼女の優しさ、それが心の深いところまでゆっくりと流れ込んでくる。今更だけど、いつも彼女が心を暖かくしてくれる、この気持ちを忘れていた。
 今からでも遅くない、まだ十分間に合うところにいる。何があっても彼女の手を放さず、自分もまた、彼女がしてくれたことと同じ様に彼女を支え護っていく。未来に向かって、また新たな軌跡を彼女と描くだけだ。

 “ごめん・・・・”

 そう、心の中でつぶやくと、急ぎ足で駅へと戻る。
 駅のコンコースにフラワーショップとスイーツのお店がある。彼女も今晩は予定が何もないから、もう帰宅しているかもしれない。何か買って帰って、彼女に喜んでもらおうかな。
 彼女の喜ぶ顔を思い浮かべると、なんだか自分も嬉しくなってきた。

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