それぞれの恋物語

第3話 ~ 届けない想い ~

時の流れが止まった世界に、僕と彼女は存在している。
僕と彼女が同じ空間に佇んでいる時、
互いに想う気持ちを気付いている筈なのに、
そんな気持ちは、この世界には存在しないものとして、お互いにそれを演じ続けている。
お互いに想う気持ちを未来に刻むことは、今もこれからも存在しない。



 新緑から零れる陽射しが眩しくなり、紫陽花が咲き始める季節に彼女と初めて出逢った。出逢った時の彼女の印象は、小柄で笑顔が可愛らしい魅力ある女性だったといことを、今でも鮮明に覚えている。

 上司の代理で参加していたビジネス会合では、特に知り合いなどもいないこともあって退屈な時間を持て余していた。周りを見る限りでは、この会合の常連の方々なのだろう。いくつかのグループに分かれて、楽しそうに歓談している様子が伺える。ある程度時間が経ったら会場を後にしようと、そんなことを考えながら手持ち無沙汰にぼんやりと会場を眺めていると、ふと視線を感じた。少し離れたところから、女性がこちらの様子を伺っている。“浮いているかな、自分?”あたりを見渡す限りでは、このビジネス会合において、世間一般の中堅サラリーマンである自分の年齢では、少しばかり若い方なのかもしれない。世間体的には、決して若い方とは言えないのだが。

 何となく、彼女と目を合わせると、互いに軽く会釈を交わした。

 “改めて会場を見渡すと、参加している女性は、少ないよな”

 そんなことを考えていたら、彼女の方から近寄ってきて声をかけてきてくれた。
 「こんばんは。お一人で参加ですか」

 近くで改めて見ると、魅力ある女性であることに気づき、そんな女性から声をかけられたこともあって少し動揺した。
 女性の服装は、ビジネスでよく見かけるネイビースーツであったが、淡いトーンのゆったりとしたシルクのブラウスが上品な感じを醸し出していて、よく見かけるビジネススーツ姿なのにもかかわらず、着こなしている姿があまりにも魅力的で、彼女が特別に見える。アクセサリーは多めに身に着けているが、それも似合っているせいか 嫌味などもなく、どれもセンスが良くて上手く馴染んでいた。

 「こんばんは。一人です」そういうと同時に、名刺を差し出し簡単に自分の自己紹介をした。
 「富士商事の中田直樹です」
 そう言うと、笑顔で彼女の名刺を差し出してきた。
 「PEコンサルの渡辺麻美です。よかった、私も一人で、初めての参加だったので何だか落ち着かなくて」
 差し出された名刺に書かれている名前を確認する。“渡辺麻美さん、か”

 その日のビジネス会合では、彼女と世間一般的な社交辞令を含む会話を交わすくらいで終わった。居心地の悪い社交界の会場を早々に離れ、帰路に就く電車の中で、その日出逢った彼女のことを思い出していた。
 “渡辺さんと、また会えるかな?”
 単に会うだけなら、名刺も交換していることだし、可能であることなのは承知で、そういった類の出会いではなく、それとは違う出会いを求めている自分がいた。
 “何かに期待しているのだろうか”
 あり得ない期待、そう考えると自分でも笑ってしまう。それは恐らく、今晩出逢った彼女にどこか心を惹かれているからであろう。彼女のことが頭から離れられず、帰宅するまでの間、ずっと彼女のことを考えていた。

 翌朝になると、気持ちは落ち着きを取り戻し、それから数日後には彼女のことを忘れていた。完全に忘れていたわけではなく、時折、ふと彼女のことを思い出すことはあった。

 彼女とは、その後何かと縁があり、定期的に開催されるセミナーやイベントなどの会合で、一緒になることが多かった。
 最初の頃は、当たり障りない会話をぎこちなく交わす程度だったが、会合で会う度に、ぎこちなさは薄れ、親しみを持って接する関係へと変わっていった。

 今日の会合でも彼女に会えるかな?
 そんな淡い期待を抱きながら会場に着くと、参加者の中に彼女がいないか目で探す。
 「渡辺さん」そう言って、会場にいた彼女に声をかけた。
 「お会いする機会、多いですよね?いつもお会いする度に素敵だなって思っています。」こんな会話の振りもできるようになったくらい彼女との距離感は縮まっている。彼女と親しくなっている実感が得られ嬉しかった。
 「中田さん、こんばんは。ほんと、よくお会いしますね」
 にこやかに答える彼女の雰囲気からも、満更でもなさそうな様子が伺える。
 この頃になると、互いの仕事に関わる話から、自然とプライベートに関心を持つ話題が多くなっていき、互いに互いのことを意識する雰囲気を時折感じるようになるには、時間がかからなかった。
 そんなたわいない日常の事を話す程度だったが、それでも十分楽しく満足していた。彼女との会話の中で出てくる色々な事で共感できたし、嗜好も似通うこともあってか、ごく自然に距離感が縮まっていった。彼女と会える時間は会合の中での僅かな時間だったが、それでも彼女と一緒に過ごせる時間が楽しかった。



 真夏の暑い日々が続く頃になると、彼女に会えることが楽しくて仕方なかった。その頃になると、仕事を目的とした会合の参加から、彼女に会う為に参加する会合となり、会合に参加するたびに彼女を目で追って探した。彼女と会えた時は、心が躍り、自然と気持ちが高揚し、彼女に対し特別な気持ちを抱く自分に気づいていた。彼女からの好意的に思ってくれている言葉遣いや態度に、彼女も特別な感情を抱いてくれていることを実感できた。
 ただやはり会合では、彼女と終始話していられるわけではない。そうしたいのは山々だが、仕事で会合に出席している以上は、キチンと仕事もしなければならない。それは、彼女も同じである。 
 だから、会合が開催されている間のすべての時間を彼女から奪い彼女を独占する訳にも行かないし、何より公の場である以上は、ビジネスライクでなければならないという体裁もあるし、他人の目も意識する。そんなことを考えていると、プライベートで彼女と話をしてみたくなってくる。

 “今度、食事に誘ってみようかな”

 変な下心なんてない、と自分に言い聞かせる。気が合うビジネス交流の友人として公の場でなく、もう少しプライベートな空間で気兼ねなく話をしたい。もちろん、純粋な友人として、と言ったら本心ではない。共通な話題に気が合うとか、それだけじゃない。彼女を異性としても意識はしている。だから、余計に楽しくて心が躍る。ただ、自分自身には、とても気が合う友人というカテゴリーに入れて、それ以上の関係になることも、なり得ることもないと、心の中で何かをシャットダウンしていた。

 最後に彼女と会った会合から幾分日が過ぎた次の定例の会合で、彼女と話をするチャンスがあった。
今日は、会合以外で会えるか勇気を振り絞って誘ってみようと、彼女と話しながらキカッケを伺っているが、なかなか言い出せない。
 
 “さりげなく、伺ってみよう。下心なんてない”そう、自分に言い聞かす。

 あくまでも仲の良い気が合うビジネス関係として。だが、そう思えば思うと余計に意識してしまう。彼女も何となく妙な空気を察してか、今日のお互いの会話は何となくぎこちない。

 彼女との会話がひと段落した。この流れだと、ここでお互いに“また後ほど”と、言って解散パターンだろう。今がチャンスだ。今しかない!
 「何か落ち着かないですよね?」
 唐突過ぎたか?と、思う変なタイミングで会話を振ってしまった。
 カーっと身体が熱くなり、毛穴から汗が出るのが感じられる。
 “焦るな!”
 自分に向かって言い放ち、高ぶる気持ちを落ち着かせる。
 「いえ、いつも、もっとお話しし続けたいなって思っていたので。なので、もう少し落ち着いて話ができれば良いなって・・・・」後半は、しどろもどろになっていた気がして、恥ずかしかった。
 彼女を観察する。“大丈夫だったか?変な人に思われていないか?”とにかく、言い放った以上は、もう後に戻れない。
 “ダメもとで、このまま突き進め!”
 「私も同じ様に思っていました。この後、宜しければ何処かで飲み直しませんか?」
 “やった!”急に視界がクリアになって、目の前がパァッと一瞬で明るくなった。
 「是非、行きましょう。なんなら・・、このままココ退散して、これから行きませんか?」
 勢いに乗って、何も考えもせずに思わず出てきた言葉に自分でも少々驚いたが、彼女は、意外でもなんでもなさそうに「そうですね」と言って、にこりと笑うと、「行きましょうか」と、会場出口の方を見た。「そうですね」と、自分も同意し、二人でさりげなく自然を装い会場を後にした。

 会場の少し離れたところからタクシーに乗り、自分が知っているお店の中で一番良い雰囲気のお店に向かうことにした。タクシーの中ではお互いを意識しすぎているせいなのか、少しばかり緊張した雰囲気であったものの、それでもこの後の何かしらの期待感とか、一緒にいられるという幸福感からか、目に映る何もかもが輝いて見え、二人の間には幸福感で満たされるのを感じられた。

 お店に入ると、店内の奥にある目立たないボックス席を選んで座った。雰囲気の良い店内装飾が、二人の為に用意された世界みたいで、より一層ロマンチックな演出を増長させた。少し薄暗い店内で、テーブルの上に置かれていているローソクの灯が彼女の顔をやさしく照らす。彼女を見つめると、ゆらゆらと揺れるローソクの炎がガラスの様に輝いている彼女の瞳に映り込み、その瞳に自分は吸い込まれ、周りの景色が視界から消えてしまう。今、誰が見ても、二人の関係は恋人同士にしか見えないだろう。互いに目を逸らすことなく何時間でも話を続けることができる、そんな世界だった。
 
 今夜、互いの距離は、確実に近寄っていた。

 甘いロマンティックな時間を過ごしていたが、ある時、彼女の視線が携帯電話の時間をちらりと確認したのを見逃さなかった。気が付かないほどのさりげない動作だったが、急に現実の世界に戻された気がした。
 “帰宅時間、気にしているのかな?”そう考えると、ここら辺で切り上げた方が紳士的だろう。いつまでも、この素敵な時間に留まりたいが、それは現実的じゃない。
 「渡辺さん、今日は、ありがとう。とても有意義な時間過ごせました」
 腕時計に目をやって「もうこんな時間ですね、終電は大丈夫ですか?」と、彼女に伺う。
 さりげなく彼女に気を遣ったつもりだ。
 「私は、まだ大丈夫です。タクシーでも帰れますし」ちょっと残念そうな表情で自分を見つめて答える。そんな彼女を見ていると、その言葉に甘えてしまいたい。
 「それじゃあ、まだ一緒に」
 次の瞬間、彼女の表情が一瞬でも和らいだ。その彼女が印象的で今でも忘れられない。
 「と、言いたいところなのですが、実は、明日朝一で現場に行かなければならなくて・・・・」
 「あ、ごめんなさい。気が利かなくて。言ってくださればよかったのに、無理にお付き合いさせちゃったみたいで」彼女の表情が急にビジネスライクに変わる。
 「いえいえ、全くそんなことありません!むしろ、もっとご一緒したいというのが本当の気持ちですから」と、慌てて否定した。
 もっとも、明日は普通に休みで、あいにく土曜、日曜日に現場に出向くような職種でもないし、そんな仕事を抱えたこともない。咄嗟の言い訳だった。
 少し残念そうな彼女の表情が、今の彼女の気持ちが分かった様な気がして嬉しくもあり、自虐的に自ら、この甘くとろける世界を壊してしまった自分への慰めにもなった。

 店を出てから駅に向かうまでの間は、先ほどの様な親密な雰囲気はなく、いつも通りのビジネス関係といった感じだった。駅に着いて改札を抜けると、この先は互いの自宅方向に向かう電車が異なるので、ここでお別れとなる。

 「それじゃ、自分はこっち方向なので」

 「私は、こちら方向なので」 

 お互いに少し近づきたい。互いの手と手が触れあいたい、そんな気持ちにさせる。何となく、再びお店にいた時と同じ甘い雰囲気に包まれる。お互いに離れたくない気持ちが手に取るように分かった瞬間だった。
 だが、その気持ちは今がピークで、これ以上の発展はないし、これから始まる二人の未来もない。今は、彼女との距離が近づけば近づくほどに、胸が締め付けられる思いだけが募るばかりだった。
  
 何故ならそれは・・・・、

 彼女の左手薬指には、指輪があるから。

 その事実が、何も施す手段もない現実を突き刺してくる。切なくて苦しくなるだけの気持ちにさせる現実。

 「それじゃ・・・」そういうと彼女は軽く会釈し、ホームに向かって歩いていった。
 僕は、そんな彼女をほんの僅かな時間だけ見つめていたが、いつまでも未練がましく見届けず、直ぐに自分乗る電車のホームへ急ぎ早に向かった。プラットホームに向かエスカレーターに乗り、ちらりと彼女の向かったホームのエスカレーター方面に目をやった。その時、一瞬であったが、彼女がこちらを見ているのに気が付いた。 
 一瞬だったので確信はないが、人ごみの中でエスカレーターに乗らず、こちらを見ていた彼女の姿が、今でも心の奥に焼き付いている。

 金曜日の夜、終電間近の電車には、多くの人が乗っていた。都合よくドア付近に立って、流れゆく外の景色を眺めていたふりをしていた。目の前の景色を見ているようで見てはおらず、意識は彼女の面影ばかりを思い出していた。
 彼女と時間を過ごすと、素直に自分達の気持ちを声にできない立場であり、何も期待してはいけないのに、何の根拠もない淡い期待をしてしまう。彼女と過ごす時間が多くなれば多くなるほど、このままこの関係を続けても報われないと分かっているのに、それでも彼女とこれからもずっと一緒にいたいという気持ちを抑えられなくなる。ずっと一緒にいられたら、そしたら、もっと欲がわいてきてしまう。でも、これ以上望んではいけないと思うと、心のどこかでブレーキをかける自分がいる。

 ただ一番に大事に思う事は、彼女が平穏で幸せに過ごせればいい。
 “自分は、どうでもいい”

 そう考えると、彼女の今の生活を護るためにも、今後は会うこともなく、何もなかったことにすればいいのではないだろうか。先程の別れ際の事を思い出すと、胸のあたりがチクンと痛くなる。  
 それでも、欲望のままに自分が行動すれば、最後に苦しい思いをするのは彼女なのだから。

 それから、しばらくの間、彼女と会うことはなかった。彼女と会うようなスケジュールを避けて過ごした。もしあの夜、思うがまま行動していたら、どうなっていたのだろうか。だが今はまだ、自分の気持ちを偽っていられる。

 “ひと夏の儚い恋かな”

 そう思うと、まだ心は引き返せる場所にある。

 夏の終わりに吹く夜風に吹かれながら、天に美しく輝く満月を見上げる。月が天空の宙を西の方へゆっくりと動いて行く。

 僕はまだ動けず、あの日の時間が止まったままの空間に佇んでいる。
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