さよならの春 ぼくと真奈美の恋物語
 駅のほうから吐き出されてくるサラリーマンたちが通り過ぎていく。 近くの下宿に住んでいる学生たちがバイト先へ急いでいる。
(もしかして真奈美が居るんじゃ?) そう思って探してみたりする。
短大に通っていたら今頃は後期の勉強中か。 忙しいよな。
バイトにサークルにゼミ、、、真奈美ならいつも走り回っていただろう。
そしてぼくに言うんだ。 「猛君、勉強するのもいいもんだよ。」ってね。
真奈美が死んでしまってもう1年。 忘れなきゃいけないんだよな。
何処かで真奈美に会いそうな気がしてぼくの心は揺れている。 いつまでも囚われてるわけにはいかないのに、、、。
「私がここに居るんです。」 涼子はそう言って泣いていた。
トーマスに就職して以来、涼子とずっと同じ売り場を回っている。 吉川さんもそれを見守っている。
涼子は別の高校でブラスバンドをやっていた。 ぼくはこれまで彼女のことを知らなかった。
最近は必須アイテムのラインやツイッターもぼくはやらないから関わることが無かったのだろうね。
「山下さんはラインやってないんですか?」 「分からないからやってないよ。」
「えー? 遅れてる。」 「って言ったって、、、。」
「でもまあ、やるもやらないも人それぞれですからねえ。」 彼女はそう言って笑う。
時代遅れとか機械音痴とか、そんなんじゃないんだ。 ただ興味が無いだけ。
未だにスマホだって持ってないんだからね。

 バスを降りて夜道を歩いていく。 バイクが通り過ぎていった。
珍しく夜空を仰いだりする。 名前の知らない星が輝いている。
(あそこに真奈美が居るのかな?) 頼りない街灯が辺りを照らしている。
犬の鳴き声が聞こえる。 玄関を開けると煮物の匂いがした。
 「あら、お帰り。」 母さんが鍋を洗いながらぼくを迎えてくれた。
父さんはいつものように日本酒を飲みながらテレビを見ている。 「お、ご苦労さん。」
「仕事のほうはどうなの?」 「なんとかうまくやってるよ。」
「そう? 店長さんにも迷惑掛けてない?」 「大丈夫だよ。 一緒に動いてる女の子には怒られてばっかだけどね。」
「あらあら、また女の子に怒られてるの? 真奈美ちゃんみたいな人が居て良かったわねえ。」 「でもさあ、、、。」
「いいじゃないか。 お前、その子に好かれてるんだろう?」 「そんなんじゃないよ。」
「そのうちになんとかなるさ。」 ぼくは煮物を食べながら涼子の涙目を思い出した。
「その人は大事にするんだよ。 真奈美ちゃんみたいに何でも言ってくれる人はそう居ないんだからね。」
母さんはお茶を注ぎながら笑った。

 布団に潜りこんでも涼子のことを考えてしまう。 いやいや、まだまだだ。
好きとか嫌いとかそんなんじゃない。 一緒に働いているだけだ。
とはいうけれど、日に日に涼子の存在が大きくなってきていたのも事実だよな、、、。
 「今日から山下は文房具売り場の主任だ。 しっかり頼んだぞ。」 目立たないけど無くてもいいわけではない売り場だ。
ぼくがうっかり見落としても後から涼子がそっとやってくれている。 「主任なんだからちゃんと見てくださいよね。」
河豚みたいに頬っぺたを膨らませている涼子はどっか可愛い。 そんな涼子が照れながら弁当を差し出すことが有る。
「これ食べてください。」 それだけ言うと彼女は矢よりも早く休憩室を飛び出していく。
空っぽにした弁当箱を彼女の机の上に置いておく。 「美味しかったですか?」
「うん。 でもよく作ったね。」 「山下さんのためだから。」
「ぼくのため?」 「そうですよ。 これから頑張ってもらわないといけないから。」
「そうなのか、、、。」 「そうなのか、、、じゃないですよ 山下さん。」
「分かった。 分かったよ。」 「頑張りましょうねえ。」
涼子は着替えを済ませると荷物を持って出て行った。

 「猛君さ、、、私のこと忘れたの?」 何処かで真奈美が泣いているような気がする。
「忘れたとかそんなんじゃないんだよ。 ぼくはただ、、、。」 街灯の下に居る陰にぼくは答えた。
「じゃあ、何?」 「真奈美は好きかもしれないけれど、だからって何も出来ないんだよ。 分かってる?」
「それでも一緒に居たいの。 ずっと一緒に。」 「気持ちは嬉しいけどさ、、、。」
ぼくが戸惑っていると陰はスッと消えてしまった。
やっぱり真奈美なんだな。 今も傍に居るのか。
嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちをぼくは初めて噛み締めた。
 真奈美が死んで以来、家にも行かなくなってしまってどれくらい経つだろう?
生きている時にはあんだけ遊びに行ったのに、、、。 お母さんたちにも会わなくなったな。
 次の日、トーマスに出勤すると涼子がバイクで走ってきた。 「おはようございまあす。 今日も頑張りましょうねえ。」
そう言うと彼女は裏の駐車場に入っていった。 「そうか。 今の時間に来てたんだ。」
ぼくはなんだか嬉しくなって涼子を待った。 「あらら、待っててくれたんですか?」
「たまにはいいかと思ってね。」 脇の従業員出入り口を開ける。
「おー、お二人さん お似合いだよ。」 「店長、、、それは無いですよ。」
「いいじゃないか。 頑張れ。」 「だって、、、。」
ぼくの肩をポンと叩いて行ってしまった吉川さんを見ながら涼子はどう反応していいのか分からない複雑な顔をした。
「カップルじゃないんですからねえ 私たち。」 「まだ、、、まだね。」
「まだって何ですか? まだって、、、。」 「いや、、、その、、、。」
友達以上恋人未満ではどう言ったらいいのだろうか?
 その日は朝から忙しくて初めて二人で休憩を取ることになった。
「珍しいですねえ、主任と休憩を取るのは。」 「やめてよ。 主任って柄じゃないんだから。」
「いいじゃないですか。 じゃあ、、、山下さんって呼びますか?」 「それもくすぐったいよ。」
「じゃあ、どうしたらいいのよ? どっちかにしてください。」 「怒っちゃった。」
「怒ります。 私は真剣なんだから。」 弁当を食べながら真面目に怒っている涼子の顔を見詰める。
「じゃあ、、、山下さんでいいよ。」 「いいんですね? 良かった。」
彼女の長い髪が揺れる。 仄かにコロンの香りが漂ってくる。
(真奈美もこうなってたのかな?) 「あの人のことは考えないでくださいね。」
遠い目をすると釘を刺すように口を尖らせる涼子である。 「やっぱり、、、。」
「そうですよ。 あの人のことは忘れてくれって何度もお願いしてるはずです。」 涼子はぼくの顔を見ると泣きそうになる。
「こうして傍に居るんです。 働いている間だけでも私が傍に居るんです。 分かってください。」 「分かった。」
涼子がハンカチを取り出して涙を拭くのがつらくて、ぼくは窓の外に目をやった。
気持ちの良い季節である。 真奈美が居たら散歩したくなる季節である。
「山下さんは散歩なんてしないんですか?」 「ぐ、、、。」
「また考えてましたね?」 「ごめん。」
「まったくもう、、、。」 涼子の追求からは逃げられないようだ。
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