さよならの春 ぼくと真奈美の恋物語
 そもそも、ぼくはなぜトーマスで働き始めたのか? それは真奈美との思い出の場所だったから。
「ここでもか?」だよね。 ぼくらはいつもこの店で文房具を買っていた。
トーマスだ、ポケモンだ、ワンピースだって競うようにノートや鉛筆を買っていた。
あの弁当箱だってトーマスで買ったんだ。 何処までトーマスに染まってたんだろうね?
その頃、涼子は隣町の小学生だった。 何処かで会っているかもしれないが覚えていない。
 トーマスには涼子以外にも女の子は働いている。 日用品コーナーには先輩の原田麻衣さんが居るし、事務所には少し上の斎藤登紀子さんが居る。
もちろん、話さないことは無いし一緒に休憩することだって有る。 でも涼子といる時間が長いんだよ。
「山下さんって休みの日は何をしてるんですか?」 「別に何も、、、。」
「うっそだあ。 何もしないんですか?」 「これといって趣味は無いからさ、、、。」
「不健康ですねえ。 ツーリングでもしませんか?」 「自転車 乗れないからさ、、、。」
「あらら、、、どうしようもないなあ。 今度の水曜日にでも誘おうかと思ったのに、、、。」 「ごめんね。」
涼子はスマホで何かを検索している。 「はい。」っと見せられたのは山岳ツーリングの写真だった。
「山登り?」 「自転車で走るんです。 気持ちいいですよ。」
嬉しそうにしている涼子を見ていると、ぼくは何だか澄まない気持ちになってきた。
 その日の帰路、ぼくは自転車屋に立ち寄った。 「おー、山下君か。 何事だね?」
先輩 谷山修平のお父さんがやっている店だ。 「自転車を見ようと思って、、、。」
「君がかい? 珍しいことも有るもんだなあ。」 お父さんは不思議そうな目をしている。
「たまには乗る練習をしようかと、、、。」 「そうだなあ、、、山下君に合いそうなやつは有るかなあ?」
狭いが片付いているショールームに並んでいるのはスポーツタイプの自転車ばかりだ。 それを見ていると気が引けていくのを感じる。
でもさあ、乗れないと涼子が、、、。 暗示顔のぼくを見たお父さんは笑い出した。
「女の子にでも誘われたのか?」 図星だったからぼくは何も言えない。
「そうか、、、。 じゃあこいつで練習しなよ。 乗れるようになったら金を払ってくれ。」
そう言ってお父さんが店の奥から出してきたのは何年も前から飾ってあるママチャリだった。
 ということで、翌日からママチャリでの練習が始まったのだが、、、。 これまで乗ったことの無い自転車との取っ組み合いである。
滑ったの転んだのと、母さんも妹も大笑いの大騒ぎだ。 「そんなに笑わなくても、、、。」
「ごめんごめん。 あんまりおかしいもんだからつい、、、。」 腹を抱えて笑い転げる二人に見守られながらぼくは汗だくである。
ペダルを踏んだだけで転んでしまう。 そんなに運動能力が低いのか?
それでもやめるわけにはいかないんだ。 「猛、大丈夫か?」
母さんも父さんもぼくがいきなり自転車の練習を始めたものだから病気にでもなったのかと心配している。
「兄ちゃん、何か変。」 妹にも笑われながら、それでも必死にペダルを漕いでいる。
(少しは乗れるようにならないとな、、、。) とは思うが、あっちもこっちも擦り傷だらけじゃ、、、。
真奈美が居た頃にはそんなことしなかったのになあ。

 店に出てきてもシップやら絆創膏やらで痛々しい姿である。 「ごめんなさい。 私が無理に勧めたから、、、。」
「いいんだよ。 少しは乗れるようになりそうだから。」 「ケガだけはしないでくださいね。」
「もうしてるよ。」 「え?」
驚いた涼子は腕の絆創膏を見た。 「あはは。 これくらいなら大丈夫ですよ。 私だってずいぶん転びましたから。」
涼子の笑顔を見てぼくはホッとした。
 それから2週間が過ぎ、秋も深まってきた。
「紅葉狩りに行きませんか?」 「何処へ?」
「山へ、、、って思ったけど、山下さん まだまだですよねえ。」 「そうなんだよなあ、、、。」
「じゃあさあ、自転車で登るのは来年にしましょう。」 それでも諦めきれない涼子はレンタルショップを駆け回ってサイドカーを借りてきた。
 「これなら山下さんも乗れるからいいでしょう?」 「悪いね。 無理させちゃって、、、。」
「いいんです。 山下さんの傍に居られればいいから。」 「傍に居られたら?」
ぼくは変わっていく涼子に何かを感じた。 怒らせると怖いけど、なぜか安らげる。
「お似合いだぞ 山下。」 あの時、吉川さんが言っていたこともまんざらではないかもしれない。
そう思えたりもするけれど、、、ぼくの脳裏にはまだまだ真奈美の映像が揺れている。
夢を見ているのか、夜中にふと目を覚ますことが有る。 誰かに起こされたようで、、、。
「兄ちゃん、また始まったんじゃないの? 叫んでたよ。」 妹が聞いてきた。
「叫んでた?」 「ギャーとか、やめろーーーーとか。」
妹の怪訝そうな顔を見て1年前のことを思い出した。
「「私が悪いんです。」って真奈美が言ってたって吉川さんが言ってたよな。」
すっかり落ち着いていたはずなのに、仕事に追われているからか、またぼんやりしている。 いつの間にか真奈美のことを忘れていたぼくはハッとした。
「そういえば、一度も墓参りに行ってないな。」 それで吉川さんとも相談して一緒に行くことにしたんだ。
 町外れに在る墓地公園の中、静かな納骨堂へぼくらは出掛けて行った。 「山下とここへ来るなんてなあ。」
「ぼくは初めてですよ。」 「そうか。 だから真奈美が怒ってたんだ。」
「来るの遅くてごめんね。」 「まあ、しっかり拝んでやろうぜ。」
ぼくらは納骨堂の前で手を合わせると何も言わずに立ち尽くした。
「猛君、やっと来てくれたのね? 寂しかった。」 真奈美は笑っていた。
 秋の昼下がり、冷たくなってきた風が頬を撫でていく。 辺りには誰も居ない。
「猛君、無理しないで頑張るんだよ。」 真奈美の声が聞こえた。
 その夜、ぼくは不思議な夢を見た。 真奈美と二人で電車に乗っている夢だ。
駅を通り過ぎるごとにぼくは焦っているが、真奈美はずっと前を向いたまま。
「次で降りなきゃ、、、。」 ぼくがそう言うと真奈美は一度だけぼくの顔を見た。
やがて電車は大きな駅に着いた。 大勢の人が乗ってくる。
その波に紛れてぼくは降りていった。 その時、ぼくは体が痺れるような違和感を感じて目を覚ました。
(真奈美だ。 真奈美が本当にあの世に行ってしまったんだ。) ぼくはそう思った。
真奈美を乗せた電車は発車して、数秒と経たないうちに見えなくなってしまった。
何処へ行ったのか分からない。 後に残ったのは掴み処の無い寂しさだけだった。
 あの葉書を持って癌センターへ行ったあの日。 真奈美はもう弱り切っていたけれど、体を起こして話してくれた。
会えただけで嬉しかった。 話せたのはあれが最後だったけどね。
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