黄昏色の街で

第1章

 真昼の太陽が西の空へ下りていく。 東のほうでは決まりきったように紫がかった宵闇が迫りつつある。
私は長年通い詰めた会社の玄関を出てから一度だけ背伸びをして駅へと歩き始める。
 もう11月だ。 辺りはすっかり秋色に染まってしまって何とも言えぬ物寂しさを漂わせている。
 「まもなく電車が参ります。 どうぞご利用ください。」

 市電のセンチメンタルな接近情報が聞こえている。 入社以来、この声を何度聞いただろうか?
独り者の私にとってこの声はどうも寂しさを助長するにはちょうど良すぎていつも泣きたい気持ちになるのだが、、、。
だからといって「寂しくなるからやめてくれ。」とも言えないので毎日仕方なく聞いているのである。
まったくどうしようもないおっさんだ。

 ややあって電車が走ってきた。 私の家へ向かう京町行きの電車である。 扉が開いた。
それにしても市電というのは便利で不便な乗り物である。
都合のいい時はものすごく便利なのだが、一度都合が悪くなるとまったくもって不便な乗り物に早変わりする。
いつだったか、交差点で事故が起きた時、市電がそこで止まってしまって乗り換えるバスも無いままに歩いて家まで帰ったことが有る。
タクシーでも拾えばよかったのだろうが、私は携帯という物を持っていないから捕まえられなかったのである。
 「今日はなんとかなりそうだな。」 椅子に座って窓の外に目をやる。
街路樹という街路樹が葉を落としてしまって歩道もまるで紅葉のカーテンを敷き詰めたようである。
歩いてみるとカサカサと枯葉を踏みしめる音が聞こえてただでさえ寂しい心を更に寂しくさせてしまう。
もともと、秋という季節は大好きな私なのだが、年を重ねるごとにどうもその寂しさが気に入らなくて、、、。
そこでこの頃では「好きな季節は春です。」ということにしている。
 新入社員の歓迎会などでもそう言って酒を飲んでいるのだが、長年一緒に働いている同僚からは白い目で見られている。
 「お前、また嘘吐いたなあ。 ほんとに好きなのは秋なんだろう?」 「いいじゃないか。 秋は寂しくてダメだ。 だから春にしたんだよ。」
「ばれなきゃいいけどなあ。」 「心配するな。」
 同僚の中田健司君も心配はしてくれるが、私は取り敢えず今は春好きなおじさんを決め込んでいるのである。

 家に帰ってくると玄関脇のプランターに水をやる。 母親が亡くなってから始めた花の栽培だ。
栽培と言えるほどかっこいい物ではないのだが、それでも一応百合を育てているのである。
母さんは百合が好きだった。 中でもカサブランカが大好きだった。
大きくて白い花、そしてあのゴージャスな女王様のような香り、、、。
母さんは自分の手で育てたいと言っていた。 それが叶わなかったのだ。
 62歳の時、末期癌で呆気なく逝ってしまったのだから、、、。
人間とは儚い生き物である。 何処かの詩人のようなことを私も考えたものだった。
あれから6年。 来年は七回忌なのだ。
生きていた頃にはこれと言って母さんを喜ばせたことが無い私だが、せめて七回忌くらいはと思っている。
ここに嫁でも居たらもう少し明るくなったのになあ。
私にはなぜか恋の縁が向いてこないのである。 向いてこないのか、向かせられないのかは分からない。
大学を卒業して今の会社に勤めて30年。 先輩にも後輩にも心惹かれる女性は何人も居た。
しかし臆病だからなのか、それとも世間を知らないからなのか、気付いたらいつも一人なのである。
「純一郎もそろそろ嫁さんを、、、。」 親父も心配はしてくれたが、花嫁を迎える前に死んでしまった。
まったくの親不孝である。 両親に孫を抱かせてやれなかったのだから。

 水やりを済ませると扉の鍵を開けて中へ入る。 薄暗い部屋を見回して蛍光灯を点ける。
「今夜も一人きりなんだなあ。」 背広をハンガーにかけてから炊飯器を覗き込む。 取り敢えずご飯は炊けている。ひとまず床に体を投げ出して、それから何を食べるか考えよう。

 ラジオを付けてみる。 これといって面白い番組は無い。
夏と違って野球中継も無いのだからほんとにつまらない。 パソコンを開いてみる。
メールも来るはずが無く、探しても見たい物が無い。
諦めた私は黙って天井を仰いだ。
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