黄昏色の街で
ぼんやりと天井を仰いでから今夜も冴えない顔で晩酌をする。 濁り酒が私のお供だ。
今夜は冷ややっこにワサビ醤油を絡めてみた。 いつもはショウガ醤油を絡めるのだが、友達の勧めも有ってワサビ醤油にしてみた。
「ワサビも美味しいもんだぞ。 やってみろ。」 神奈川五月はそう言って笑っていた。
いつもの醤油にほんのりと香るくらいのワサビを投入する。 少しピリッと感じるくらいがいいらしい。
豆腐を入れた丼に醤油を掛けてからテーブルに落ち着く。
物音もしない部屋で50過ぎのおっさんが丼を前にして溜息を吐いている。
「今夜もまあまあ無事にこの時を迎えられたんだ。 感謝してるよ 母さん。」 仏壇にチラッと眼をやってから箸を取り上げる。
豆腐を刻みながら遠いふるさとで暮らしている妹のことを思ったりする。
「あいつも44になるんだ。 そろそろいい加減に落ち着いたかな?」 私とは違って活動的というのか、尻が軽いというのか、妹は賑やかな世界が大好きだ。
私がこの町に引っ越した時、妹の早苗は中学生だった。
あの頃はまだおとなしいほうだったが、社会人になったとたんに遊び回るようになってしまった。
借金だって返せなくて私が立て替えたことも有る。 その後は何の連絡も無いけれど、、、。
豆腐を崩しながら時計を見る。 何事も無かったように同じリズムで時を刻んでくれている。
明日もまたいつものように同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、同じ時間に会社に入って同じ時間に帰ってくるのだ。
ある意味で平和で、ある意味で何事も無く、ある意味で何の刺激も無い真っ平らな生活をただ命じられたように繰り返すだけである。
妹の政子は私が居ない間に家出したんだと聞いている。 母さんも気付かなかったらしい。
それをなんとか探し出して連れ戻したはいいけれど、20年前にまた家出したんだよね。 その時はさすがの母さんも諦めたらしい。
そして言った。 「私が死んでも政子には知らせないでくれ。」って。
親の死に目に会わせないって言うのも余程のことだよな。 親戚一同は黙って頷いたらしい。
だから政子は今でも母さんの墓前に立ったことが無い。 墓が何処に在るのかも知らないという。
やつが30を過ぎた頃だよな。 男にのめり込んで借金を作ったのは、、、。 それでなぜか弁護士が封筒を寄越してきた。
「自己破産させるか、あなたが肩代わりするか、、、。」 その文面に凍り付いたものの政子のことだ。
自己破産させるのは可哀そうだと思ったから2000万の借金を返した。 自己破産させてもよかったな。
聞いてみたらその後も借金を繰り返していたらしい。 「二度は助けないと伝えてくれ。」
弁護士にそう伝えて縁を切ったんだよ。 兄妹の縁を切るなんて余程だよ。
飲んでいるといろんなことを思い出すもんだね。 幼稚園時代に可愛がってくれていた保母さんにも会ったことが有る。
高校を卒業した後のことだった。 最後の春休みで映画を見に行ったらそこに来てたんだね。
懐かしくて映画もそっちのけで話し込んでしまった。 可愛い人だった。
5年前に結婚して二人の子供が居るんだって言ってたな。 あれからもう30年。
保母さんもすっかりおばあちゃんになっちゃったかなあ? 考えてみなよ 20は上なんだぜ。
ってことは、、、、、、、76歳くらいか。 元気で居るといいなあ。
その幼稚園は10年前に閉園されたって役所に聞いた。 時代の流れだね。
そんなに大きな幼稚園じゃなかった。 小学校と同じ敷地内に在ったんだ。
だからね、卒園しても保母さんたちとは話したり遊んだりしてたよ。 楽しかったなあ。
その頃、目の悪い子が居て、いつも虐められてた。 私は何も出来なかった。
とにかくガキ大将が怖くてさ、、、。 周りの子も一緒になって虐めてたな。
吉岡ひろ子先生は必死に虐めを辞めさせようとしてたんだけど収まらなくて、その子は1年後に幼稚園を辞めてしまった。
何処に住んでるかも知らないから遊びにさえ行けなかったな。 その子はどうしたんだろう?
ひろ子先生は小学生の頃、家に遊びに来たことが有る。 母さんの妹と友達でね。
妹の康江叔母さんと一緒に遊びに来たんだって。 その頃の私はミニカーに嵌っていた。
机にミニカーを並べて遊んでたっけなあ。 それも今は昔。
そのミニカーは近所の男の子に全部あげてしまった。 もったいなかったなあ。
今夜は冷ややっこにワサビ醤油を絡めてみた。 いつもはショウガ醤油を絡めるのだが、友達の勧めも有ってワサビ醤油にしてみた。
「ワサビも美味しいもんだぞ。 やってみろ。」 神奈川五月はそう言って笑っていた。
いつもの醤油にほんのりと香るくらいのワサビを投入する。 少しピリッと感じるくらいがいいらしい。
豆腐を入れた丼に醤油を掛けてからテーブルに落ち着く。
物音もしない部屋で50過ぎのおっさんが丼を前にして溜息を吐いている。
「今夜もまあまあ無事にこの時を迎えられたんだ。 感謝してるよ 母さん。」 仏壇にチラッと眼をやってから箸を取り上げる。
豆腐を刻みながら遠いふるさとで暮らしている妹のことを思ったりする。
「あいつも44になるんだ。 そろそろいい加減に落ち着いたかな?」 私とは違って活動的というのか、尻が軽いというのか、妹は賑やかな世界が大好きだ。
私がこの町に引っ越した時、妹の早苗は中学生だった。
あの頃はまだおとなしいほうだったが、社会人になったとたんに遊び回るようになってしまった。
借金だって返せなくて私が立て替えたことも有る。 その後は何の連絡も無いけれど、、、。
豆腐を崩しながら時計を見る。 何事も無かったように同じリズムで時を刻んでくれている。
明日もまたいつものように同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、同じ時間に会社に入って同じ時間に帰ってくるのだ。
ある意味で平和で、ある意味で何事も無く、ある意味で何の刺激も無い真っ平らな生活をただ命じられたように繰り返すだけである。
妹の政子は私が居ない間に家出したんだと聞いている。 母さんも気付かなかったらしい。
それをなんとか探し出して連れ戻したはいいけれど、20年前にまた家出したんだよね。 その時はさすがの母さんも諦めたらしい。
そして言った。 「私が死んでも政子には知らせないでくれ。」って。
親の死に目に会わせないって言うのも余程のことだよな。 親戚一同は黙って頷いたらしい。
だから政子は今でも母さんの墓前に立ったことが無い。 墓が何処に在るのかも知らないという。
やつが30を過ぎた頃だよな。 男にのめり込んで借金を作ったのは、、、。 それでなぜか弁護士が封筒を寄越してきた。
「自己破産させるか、あなたが肩代わりするか、、、。」 その文面に凍り付いたものの政子のことだ。
自己破産させるのは可哀そうだと思ったから2000万の借金を返した。 自己破産させてもよかったな。
聞いてみたらその後も借金を繰り返していたらしい。 「二度は助けないと伝えてくれ。」
弁護士にそう伝えて縁を切ったんだよ。 兄妹の縁を切るなんて余程だよ。
飲んでいるといろんなことを思い出すもんだね。 幼稚園時代に可愛がってくれていた保母さんにも会ったことが有る。
高校を卒業した後のことだった。 最後の春休みで映画を見に行ったらそこに来てたんだね。
懐かしくて映画もそっちのけで話し込んでしまった。 可愛い人だった。
5年前に結婚して二人の子供が居るんだって言ってたな。 あれからもう30年。
保母さんもすっかりおばあちゃんになっちゃったかなあ? 考えてみなよ 20は上なんだぜ。
ってことは、、、、、、、76歳くらいか。 元気で居るといいなあ。
その幼稚園は10年前に閉園されたって役所に聞いた。 時代の流れだね。
そんなに大きな幼稚園じゃなかった。 小学校と同じ敷地内に在ったんだ。
だからね、卒園しても保母さんたちとは話したり遊んだりしてたよ。 楽しかったなあ。
その頃、目の悪い子が居て、いつも虐められてた。 私は何も出来なかった。
とにかくガキ大将が怖くてさ、、、。 周りの子も一緒になって虐めてたな。
吉岡ひろ子先生は必死に虐めを辞めさせようとしてたんだけど収まらなくて、その子は1年後に幼稚園を辞めてしまった。
何処に住んでるかも知らないから遊びにさえ行けなかったな。 その子はどうしたんだろう?
ひろ子先生は小学生の頃、家に遊びに来たことが有る。 母さんの妹と友達でね。
妹の康江叔母さんと一緒に遊びに来たんだって。 その頃の私はミニカーに嵌っていた。
机にミニカーを並べて遊んでたっけなあ。 それも今は昔。
そのミニカーは近所の男の子に全部あげてしまった。 もったいなかったなあ。