水色の手紙をあなたに

1.

 「吉田君、今日は青山町を回ってくれるかい?」 「分かりました。」
谷川という小さな店で、ぼく吉田幸一は営業の仕事をしている。 もう5年目。
でも売れるでも売れないでもなく、目立つでも目立たないでもない、ごく平凡な営業マンの一人。
営業部長の金沢芳江さんはなかなかの凄腕で、気付いたら営業成績はいつもトップ。
だからって何か特異なことをやってるわけでもなさそうだ。
「やることをきちんとやれば売れるのよ。」って彼女は平然としている。
 1年ほど彼女にくっ付いてぼくもいろいろと教えてもらったはずなのに、いざ一人になると何かが違う。 「あなたにはね、魅力が無いのよ。」
思ったことを素直にぶつけてくるから、金沢部長には頭が上がらない。
 何しろさあ、ここだけの話だけど成果が振るわなかった時にこっそりと成果を分けてくれたりするもんだから恩人には逆らえないよ。
そんなわけで疲れて帰ってくると金沢さんが夕食を用意して待っていてくれたりしたんだ。
とはいってもね、自分で作ってくれてるわけじゃないんだ。 「今夜は激励会をしましょう。」なんて言ってくる。
そして二人でファミレスに向かうんだ。 「好きな物を食べてね。」って言われるけど、そんなに甘えるわけにもいかない。
何だか恐縮してしまっていつもいつもハンバーグである。
「たまには違う物を食べたら?」って笑われるけど気が引けちゃってなかなか頼めないよ。
そりゃそうだろう。 「お金はいいから頑張ってね。」って笑いながら肩をポンと叩かれるんだもん。
これで売り上げが伸びなかったら、食事代をまとめて請求されるよな きっと。

 青山町に入るのは初めてじゃないんだよね。 金沢さんとも何度か来てるんだ。
それでけっこう見覚えの有る家も多いんだ。 最初の頃に訪問した家も有るね。
でもさ、5年も経ってるから景色が変わっていたりする。 ドキドキするよ。
まずはコンビニでコーヒーを何本か買う。 話してると喉が渇くから。
それから車を走らせて、適当に訪問先を探す。 この辺りは意外と奥さんが多いんだ。
犬を飼っていたりすると目標になりやすいんだよなあ。 そんでもって狙いを定めてピンポーン。
居ないなあ、空振りか。 気を取り直して次の家へ。
お年寄りも多いんだよなあ。 裏に回って洗濯物を確認する。
干したばかりなら家人は居る。 緊張するけどピンポーン。
ガチャっと音がしておじいさんが出てきたけれど、あんまり聞いていないのでここは退散する。
うまくいかないなあ。

 コーヒーを飲みながら走っていると小さなアパートが見えてきた。 (こんなアパート有ったっけ?)
地図を確認すると大竹アパートって出ているらしい。 不安も有るけれど行かないわけにもいかない。
玄関を確認すると6世帯くらいは入っているようだ。 駐車場には車も止まっている。
でもでもよく見ると二部屋は空室だ。 ついでに言うと夫婦で入っているらしい。
 ベランダに洗濯物が干してある。 二階の真ん中の部屋。
外階段を上がって玄関の前へ、、、。 コンコンコン。
「はーい。」 軽くノックすると中から声が聞こえた。
出てきたのは30歳くらいの女性である。 「すいません。 今、お話しても大丈夫ですか?」
恐る恐る聞いてみる。 「どうぞ。 入ってください。」
その返事にホッとするぼく、、、。
 カタログを見せながらいざクリーナーの売込みだ。 いくつか質問はされたが商品を買ってくれることになった。
「では数日後に商品が届きますのでお待ちくださいね。」 名刺を渡しながら部屋を出る。
でもホッとしすぎて階段を踏み外してしまった。 「大丈夫ですか?」
ドターンという大きな音を聞いて女性が飛び出してきた。
「ああ、いや、尻もちをついただけだから、、、。」 「とは言うけどズボンが汚れてるわよ。」
彼女は部屋からブラシを持ってくるとズボンに付いたゴミや泥を丁寧に落としてくれた。
「すいませんねえ。 買ってもらった上にお世話になっちゃって、、、。」 「いいんです。 いつでも来てくださいね。」
笑っているのに彼女の眼には涙が光っていた。

 会社に戻ってきたぼくは、部長に売れたことを報告した。 「やったわね。 まだまだやれるから頑張りなさい。」
金沢さんは絶対におめでとうとは言わない人なのである。
 (あの人、何課寂しそうだったヨナ。」 商品を買ってくれた女性のことを思い出してみる。
丹沢雅子さん、30歳。 何処にでも居そうなふつうな奥さんだ。
でも何か引っかかる。 「いつでも来てください。」なんて、、、。
ぼくはただの営業マンだよ。

 それからしばらくして丹沢さんから会社へ電話が掛かってきた。 「そうなんです。 使い方でちょっと分からない箇所が有って、、、。」
「分かりました。 では営業に行った吉田を行かせますからお待ちくださいね。」
カスタマーセンターの大沢久美子がぼくを呼んだ。 「ってなわけで説明してほしいんだって。 丹沢さんのうちへ行ってきて。」
「分かりました。」 車の中で大竹アパートの場所を確認する。
(さてさて、今日はどうなるんだろうなあ? こないだよりは緊張しないかな?)
資料を持って階段を上がる。 コンコンコン。
「はーい。」 前回と同じく軽い返事が返ってきた。
「谷川の、、、。」 「ああ、吉田さんね。 開けるわね。」
ガタガタと音がする。 (何だろう?)と思っていると扉が開いた。
「すいませんね。 忙しいのに来ていただいて、、、。」 「いえ、ぼくは暇なほうですから。」
頭を掻きながら中へ入る。 「きれいなお部屋ですね。」
「とんでもない。 普段はめちゃくちゃです。 主人は出しっぱなしにする人なので困ってます。」
「ぼくも同じですよ。 掃除なんて滅多にしませんから、、、。」
「そうなんですか? きちんとしてらっしゃるから家でもそうなんだろうなって思ってました。」
彼女は笑いながらお茶を出してくれた。 「クリーナーはどうですか?」
「あれは操作も簡単でいいわねえ。」 「え? 操作で分からない箇所が有るって、、、。」
「あなたに会いたかったの。」 「ぼくに?」
「そう。 この間会った時にキュンとしたのよ。」 「冗談でしょう?」
「本当なのよ。」 「そんなことも有るんですかねえ? ぼくはただの営業マンですよ。」
「だから会いたかったの。」 「でもぼくは、、、。」
ぼくが戸惑っていると奥さんが手を握ってきた。 「これじゃあ、会社には、、、。」
「説明してきたって言えばいいでしょう。」 「でも、、、。」
「優しい手ですね。 旦那とは違うわ。」 「そんなに違いますか?」
「旦那は鉄工所で働いてるの。 ゴツゴツしててなんか嫌なのよ。」 「じゃあ、何で結婚を?」
「結婚してくれなきゃ自殺するって迫られたんです。 それで仕方なく、、、。」 俯いた奥さんが妙にセクシーに見えるのはなぜだろう?
ぼくは変な胸の高鳴りを感じていた。

 ぼくは自分のスマホの番号を教えてから会社へ戻ってきた。
「どうだった?」 「スピード調節と吸い込み調節が分かりにくいって、、、。」
「確かに、、、英語だもんねえ。」 金沢さんも渋い顔をしてメモを開いた。
「でもよくやってくれたわ。 ありがとね。」 彼女はそう言うと次の仕事に取り掛かった。
ぼくはというと、内心穏やかではないんだ。 だってお客さんに自分のスマホを教えてしまったんだから。
「個人的な付き合いはしないようにね。 いろいろと誤解されるから。」 金沢さんにもそうやって釘を刺されてるんだ。
ばれないようにしなきゃ、、、。
 そこで仕事中はマナーモードにしてバッグに仕舞ってあるのだが、時々は確認しないと業務連絡だったりするからね。
一度は業務連絡を見落として金沢さんに死にたくなるほどきつく叱られたんだから。
 さてさて今日も昼からは外勤で苅田町へ回る。 この辺りは働いている人が多いから心配だ。
一軒家が多いし、カーテンも閉まってる。 車も無いなあ。
チラシをどっさり持ってきて正解だった。
あんまりグルグル回ってると不審者だって思われるからたまにコースを変える。
コンビニにも寄ってみる。 でも居ないなあ。
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